審神者は考えていた。審神者の任についてから一年ほど経った本丸の縁側に座り、暢気にお茶を飲みながら。


(……どうしたら良いのだろう)


資材不足や刀剣不足に悩み、金策のやりくりなどで四苦八苦していた時期はとうに過ぎている。故に、悩みの種とは本丸の維持に関することではない。

審神者が悩みを抱えていることとは、本丸にいる刀剣達のことである。


(今更、もっと刀剣達と仲良くなりたいなどと……)









審神者として過ごす日々。慣れないことに手探りでがむしゃらに進んできた日々。過ぎてみればあっという間だった。刀剣達も増えて、経験も積み、手入れや鍛刀にも困らないほどの資材も集められるようになった。これから改善工夫していく点はあれど、問題といえるような点はない。

遊びで審神者をしているわけではない。規律を乱さぬ為に――刀剣達と親しくなりすぎないように、一定の距離を保つ。そんな日々を送ってきた。


(情が湧いてしまえば、どこかで支障が起きるだろう、と。そう信じていたのだけれど、考え過ぎだったのかもしれない)


きっかけは、近侍を連れて近場の万屋に赴いた先でのことだ。普段は刀剣達に任せていた買い物に、審神者自身が赴くのは初めてのことであった。近侍である加州清光をつれていた審神者は、初めての万屋を満喫し――そして、自分の本丸が他の本丸と、少々違うことに気がついたのである。


「あるじさん。見てみて、あれすっごく可愛いっ」
「ああ、そうだね。でも、似たようなのうちの本丸にもない?」
「全然ちがうよ! ねね、あれ、ボクもほしいなあ?」
「えー前にも買ったじゃん」
「あれともちがうの! あるじさん、お願い! ……だめ?」
「もー、しょうがないなあ」
「やったー! あるじさん、だーいすき!」


乱藤四郎を連れた審神者が、おねだりをされている場面。短刀だからだろうか、随分と距離の近い様子。まるで兄妹のようである。そんな本丸もあるのだろうと思いながら、審神者は違う方角をみる。目線の先にあるのは団子屋である。


「おや……主。あれは一体何だ?」
「……御手洗団子だな。お前、昨日食べていただろ。知らんはずがない」
「ふむ。どうだったか……やはり年をとると物忘れも激しくなるようでな……味が思い出せぬ。一本だけでも食せば、思い出すだろうが……なあ、主?」
「………食べたいならそう言え。本丸のやつにも買っていく。荷物持ちはお前がやれよ」
「ふふ、流石は主。話の分かる男だな」


そこでは三日月宗近に団子を強請られている審神者の姿がある。刀剣におねだりされることはそんなに珍しいことでもないのだろうかと思い、審神者はそっと周囲の審神者と近侍のやりとりを観察する。

こうして周囲を見渡すと、刀剣だけで買い物に来ていることは少数のようだ。どこを向いても、刀剣を引き連れた審神者の姿が一組は目に入る。はぐれぬように刀剣と手を繋ぐ審神者もいれば、遠足のように多くの刀剣を引き連れている者。果ては、腕を組み、恋人のように振る舞う者達まで。

些細な違いはあれど、皆一様に親しいようだった。どうして分かるのかと言えば、簡単。皆笑顔を浮かべていたからである。

審神者として、刀剣とは一定の距離を置き、使命を全うする。それが当然だと思っていた審神者にとって、その光景は衝撃だったのである。


「主」


足を止めて、その場に立ち尽くす審神者に、加州清光が声をかける。呼ばれ、振り向いた審神者は、顔を強ばらせた。


「どうしたの?」
「……いいや。何も」


加州清光は、他の本丸の刀剣達のように、笑ってはいなかった。










他の本丸と刀剣達のやりとりをみる機会はなかった。こうして刀剣達を見て審神者が知ったこと。必ずしも、刀剣達と距離を置く必要はないということ。

思い返せば、本丸での刀剣達とのやりとりは、酷く淡泊だったように思えてくる。


報連相。これらは徹底して出来ていたと思う。けれど雑談といったようなものは、皆無といっていいほどかもしれない。滞りなく本丸は維持できていたために、それをおかしいとも思わなかった。近侍の加州清光にも、苦言を並べられたことだってない。

本丸にいる全員の情報は頭に入っている。それも、加州が教えてくれていたからだ。仕事の合間、時々、刀剣達の様子や修行の風景を見に行って、元気そうな姿に安堵し、声をかけることなくまた仕事に戻る。その繰り返し。刀剣達とは、最低限の会話しかしたことがない。雑談なんて、もっての他である。

そんな関係を続けて、一年。一年も、そうしてきてしまった。




――そして、話は冒頭に戻る。

(今更、仲良くなど、受け入れられるとも思えない。結局、このまま現状維持をすべきなのだろうか)


加州が持ってきてくれたおやつのどら焼きを一口かじり、ぼんやりと考える。


(加州が笑ったところ、見たことがあっただろうか……?)


そういうものだと思えば気にならなかった。加州はよく動いてくれるが、いつも真剣な表情をしているので、それこそ、信じて疑いもしなかった。他の本丸の審神者が連れて歩く加州清光の笑顔も甘えぶりも、己の知る加州清光とは微塵も重なることはない。


(私がああさせてしまっていたのだろう……気づかず、一年も。ひどいことをしてしまった)


良き審神者として振る舞うためには、規律を守らねばならない。故に必要なことだと距離を置いてきたが、今更になって気づいてしまった。とはいえ、気づいたと言っても、これから具体的に何をどうすればいいのかも分からない。

合間に熱いお茶を一口飲んで、ため息をつく。


「……おや」


がさがさと揺れる草影。食べかけのどら焼きを置き、審神者は草履を履いて、不自然に揺れる草影にそっと忍び寄る。そしてしゃがみ込んでのぞき込めば、そこには可愛らしい白い虎が丸まっていた。審神者の存在に気づいているのかそうではないのか、爪を地面に立てて背伸びをしている様に、審神者はふっと笑みをこぼした。


「五虎退の虎だね」


審神者の部屋の近くで虎を見るのは初めてだった。審神者が距離を置くことは刀剣達も分かっているのだから、ここまで近づいてくることはなかった。近侍である加州清光を除けば、初めての訪問者といえるくらいの存在かもしれない。


「おいで。何か、あげられるものがあるかもしれない」


どら焼きの生地部分だったら食べられるだろうかと考えながら、虎を抱えて立ち上がる。虎は眠そうに身をよじりながらも、逃げだそうとはせず、抱えられるがままであった。そのまま縁側に戻って、腰を下ろす。

己に身をゆだねている、腕の中の白いふわふわが愛しく思える。優しく撫でながら、小さくちぎったどら焼きの生地を口元に持って行けば、薄い紅色の舌をのばして賢明に口の中に入れる。その様子がおかしくて、クスクスと笑う。


「あっ、あるじさま……?」


すると、完全に気を抜いていたためか、近くに誰かがいることにも気づけなかった。思ってもいなかったところから声をかけられて、審神者は声のした方角へ目を向ける。

そこでは、目を丸くした五虎退が立っていた。


「……この子を、探しにきたのかい?」
「えっ、えっと、はい! いなくなっちゃって、僕、ずっと探してて……」


おどおどしている姿に申し訳なさを感じなくはないが、元々五虎退はこんな風である。よく言葉を噛み、はきはきとしたしゃべり方をすることは滅多にない。けれど、とても優しい刀なのだと、加州から聞いていた。そうでなくとも、時々遠目に五虎退の様子は見てきたのだ。直接言葉を交わさずとも、たったのそれだけのことで、五虎退が優しい心を持つことは審神者にも分かっていた。

小さな歩幅で、おそるおそるといったように近づいてくる五虎退に、そのまま腕の中の虎を引き渡そうとも思ったが、ふと、審神者は思いついた。


「五虎退。今、時間はあるだろうか」
「へっ、あ、い、今ですか?」
「うん。どら焼き、もう一個あるんだ。一緒にどうかな?」


迷惑ではないだろうか。そんな心配をしつつもそう誘えば、ぶんぶんと五虎退は首を振った。横ではなく、縦に。


「僕、と、とっても嬉しいです。あるじさま」


ぱあっと笑う五虎退。その笑顔につられて、審神者も小さく微笑んだ。
















「ごめん。主」


おやつを食べて仕事に戻り、日が沈み出す。そろそろ蝋燭に火を灯そうと思った頃、部屋に入ってきた加州が、唐突にそう告げた。いつものような、抑揚のない声で。だが、それとも色が少し違う。沈んでいるように思えた。


「……加州。何かあった?」


問題が起きたのかと思えば、加州は少し俯き、口を開く。


「五虎退が来たんでしょ。ここには近づかないように、ちゃんと言い聞かせていたんだけどね」


申し訳なさそうに告げる加州に、審神者は少しの沈黙の後、首を傾げる。


「謝ることではないよ。私が五虎退を誘ったんだ」
「……え?」


言えば、加州は顔を上げ、信じられないといった表情を浮かべて審神者を見ている。何故だか分からないが、五虎退が無礼をしたと勘違いしているらしい加州清光に、事態を説明する必要がある。


「五虎退の虎が迷い込んでしまったようでね、折角だからおやつを一緒にと。一人で食べるのも、味気ないからね」


そう言い終わると、加州は眉間にしわを作り、ぐっと黙り込む。


「……そう。分かった」


二、三秒ほどの間の沈黙の後、絞り出すようにそう口にした。
そのまま審神者に背を向けて、歩き出す。廊下に出る前に足を止めると、振り向かぬまま、加州清光は審神者に問いかける。


「夕餉はどうする? 皆と食べるの?」


いつもの抑揚のない声だ。


「いいや。仕事が残っているからね。ここで食べるよ。持ってきて貰えるかな」
「……分かった。ここに持ってくるよ。いつも通り」


そう言い終わると、加州は静かに部屋から出ていった。それを見送り、審神者は加州の反応に違和感を覚えた。


(加州……怒っていただろうか)


いつも反応は薄いが、今日は何か、いつもと違った気がする。なにか気に障ることをしてしまったのだろうか。思い当たることと言えば五虎退のことしかないが、それが何故加州の気に障ってしまったのか分からない。

ろうそくに火を灯しながら、審神者は加州の沈んだ声を思い出した。














「おや、これは久しぶりだね」


机に向かい、書類仕事をしていた審神者は、着物が引っ張られている感覚に、筆を止めた。後ろに目を向ければ、そこでは爪を着物に引っかけて、甘えるように腹を見せている五虎退の虎の姿があった。前に会ったときは縁側の外であったが、今日は室内。審神者の部屋の中だ。


「五虎退が心配しているんじゃないかい?」


指先で露わにされている虎の腹をなぞると、虎はくすぐったそうに身をよじらせ、器用に両手の肉球で指を挟んでしまう。うりうりと指を動かせば、小さいながらも立派な牙で、甘噛みされてしまった。

しばらくそうしてじゃれていると、ドタドタと忙しない足音が近づいてくる。大きくはないが、どうにも急いでいるようだった。

そうして部屋に入ってきたのは、大方予想通りの刀だった。


「やあ、五虎退。いらっしゃい」


いっぱいの汗をかきながら慌てて飛び込んできたのは、案の定、五虎退だ。虎に指を甘噛みされながら挨拶をすれば、その光景を見て、五虎退は顔を真っ青にしていた。


「だ、だめですよぅ…! あるじさまのお仕事をじゃましちゃ……あるじさま、ごめんなさいっ」
「そんなに忙しくはないから、平気だよ。五虎退」


甘噛みから逃れた指で今度が顎下を撫でれば、丸い瞳を細めてしまう。その反応が可愛らしく、また顔が緩んだ。そんな審神者を見て、五虎退は肩を落としてしまう。


「あ、あるじさま…この前はごめんなさい。僕、お仕事のじゃまをしちゃって……」
「邪魔ではないよ。私が五虎退とおやつを一緒に食べたかったんだ」


加州も気にしていたが、そんなに気にすることでもないのに。そう思いつつ、審神者は無意識に五虎退の頭に手のひらを置く。そのまま優しく頭を撫でれば五虎退は驚いたように目を丸くした後、審神者と目を合わせてから無邪気に微笑んだ。


「えへへ、撫でてもらっちゃいましたぁ」


くすぐったそうに笑う五虎退に、審神者も満足げに笑う。嬉しくてしばらくそのまま五虎退の頭を撫で続けると、すっかり肩の力を抜けたようだった。


「……あるじさまは、僕たち刀と関わりを持つことがお嫌いだと、聞いてました」
「おや、誰から?」
「加州さんからです」
「加州から?」
「はい」


初めて聞いた話だと、審神者は目を丸くした。けれど少しして、すとんと全てが附に落ちた。以前加州が五虎退のことについて謝ってきたことは、つまりはそういうことだったのだろう。


(私が距離を置いていたから、加州に要らぬ心配をさせてしまっていたんだね)


やはり、自分の審神者として心構えは、ずれていたのだ。他の本丸の審神者の振る舞いの方が、一般的だったのだろう。知らない内に、加州にどれだけの負担を強いていたのかを考えると、申し訳ない気持ちがあふれてきてしまう。


「でも、あるじさまはとっても優しいです」
「……そんなことはないよ」
「いいえ! 僕、あるじさまが大好きですっ……僕だけじゃなくて、みんな、ぜったいぜったい、あるじさまが大好きですよ!」


頬を赤らめながらそう力一杯告げる五虎退に、審神者はふっと笑い、そのまま五虎退を引き寄せてぎゅっと抱きしめた。


「っ…あ、主さま?」
「ありがとう。五虎退」


ふわふわの髪が頬に当たってくすぐったい。細い肩も華奢な体も、すっぽり自分の腕に収まってしまう。こんな小さな体に今までずっと我慢をさせてしまったのだと思えば、いよいよ、自分の心構えが間違いだったのだとはっきりと自覚せずにはいられなかった。














「加州。今日は、ここで一緒に食べないか?」


いつものように、夕餉を部屋に持ってきてくれた加州を、そう誘ってみる。いきなり皆と一緒に夕餉も心の準備がほしいところではあるし、そう遠くない内にと思っているけれど、今ではないと思っている。今は先に、一番近くで一番苦労をかけてきた加州清光という刀と、きちんと話をしてみたかったのだ。


「……はあ?」


しかし、返ってきた第一声は、その一言だった。


「いや、一人で食べるのは味気ないだろう? 今日はそこまで仕事も残ってないし……」


信じられないようなものを見ているような、そんな冷めた視線を受けては、希望も打ち砕かれるというもの。


(私は加州に嫌われているのだろうか……?)


了承してもらえるものと思いこんでいたのだろう。思いの外嫌そうな反応に、心が打ち砕かれそうだった。


「だったらさ、皆と一緒に食べれば? 広間までは距離あるけど、そこまで遠くはないんだし」


遠回しにお断りされているようだ。審神者は肩を落として、ぎこちなく笑った。


「そうなんだけどね。今まで、きちんと話をしてこなかったのに、いきなりはやはり、皆を驚かせてしまうかと……」
「そんなの、気にしないよ。皆、主と話したがってる」


そう言うと、加州清光はぎゅっと拳を握った。


「主が俺達刀剣と直接関わりを持つのが嫌いだって思ってたから、皆気を遣ってただけだよ。だから、皆主に必要以上に近づかなかっただけ」
「っ……加州。そんなことは決して……」


やはり勘違いされてしまっている。そのことについて詳しく話をしたかったのだが、夕餉を食べながらゆっくり、とはいかないようである。


「じゃあ、何だったの? 俺、主がそうなんだと思ってたから、ずっと、ずっとずっと我慢してきたのに」
「すまない、加州。でも、それは……」


立ち上がって、加州清光に近づく。加州清光は目にうっすら涙を浮かべていて、一瞬言葉が詰まってしまう。


「それは、何? 何だっていうの? ……俺より先に五虎退と仲良くしてさ、本当は俺が嫌だっただけ? 俺、主のためにたくさん頑張ったのに、なんで俺が一番じゃなかったの?」


何に対して加州が心を揺さぶられているのか、審神者には明確には分からなかった。

うまく言葉が絞り出せず、審神者は加州の前に行くと、そっとその頬にふれた。熱を感じ、そのまま目尻を指で優しく拭う。けれど、拭ったそばからまた涙の粒があふれ出し、ついには頬を伝って流れてしまう。


「加州。すまない。泣かせたかったわけじゃないんだ」
「っ……俺だって、泣くつもりなんかなかったのに……ばか、主のばか!」


この涙をどうやって止めればいいのか分からず、審神者はおろおろとするばかりだ。


「ごめん、主は悪くないよ。俺が、初期刀で、近侍だったのに気づけなかったから、だから、」
「加州。そんなことはない。すまない。私が変なことを言い出してしまったからだ。混乱させてしまった」
「ちがっ……主は、悪くなんかないのに……」


嗚咽し始めた加州清光にどう対応すればいいのか分からなくなった審神者は、動揺を隠せないまま提案をする。


「すまない。夕餉は、やはり一人でとるよ。今までそうだったのだから、それが自然だ」


妙案という風に、そんな提案を。
それが妙案だとは思っていない。けれど、パニックを起こした頭では、そんな言葉しか選ぶことは出来なかった。

加州清光という刀がこんなにも感情をさらけ出したことはなかった。いつも淡々と過ごしていた加州をここまで乱してしまっていることに、珍しく審神者も焦りきっている。その証拠に、加州が何故泣いているのか分からないくせに、分かったように自分でもそれが事態を好転させるのかも分からないまま、そんな提案をしてしまっている。


「自然ってなに…!? 意味わかんないよ!」
「加州!」


くしゃりと泣き顔を歪めて、加州は逃げるように審神者から距離をとった。そのまま廊下に出て、審神者の顔を見ることもなく背を向けて去っていく。ドタドタと大きな音を立てて廊下を走っていく背中を見つめながら、審神者は、加州を泣かせてしまったことに呆然としていた。


「加州……」


残されたものは、冷め始めた食事がのった膳のみだった。加州清光を追いかけることも出来ず、しばしその場に立ち尽くした後、審神者は諦めて膳の前にゆっくりと腰を下ろした。いつも一人でとっていた食事。いつもと変わらず光景のはずなのに、妙に部屋が広く感じるのは何故だろう。

食欲はあまりないが、それでも、残すことはしない。いつも通り、全て食べきろう。手を合わせ、元気のない声で「いただきます」と呟いた。




箸をとり、ご飯の蓋を開ける。少しだけわいた湯気を見下ろすと、何故だか無性に寂しくなった。全て食べきれるだろうか。そう考えていると、静かな空間に、音が飛び込んできたことに気づいた。


(……何の音だろう)


気になって耳を澄ませば、その音はどんどん近づいてくる。そして少しすると、それが足音だということに気がついた。乱暴で急ぎ足で、先ほど加州の去っていた足音と、それはとても似ていた。


「加州」


ふとこぼれた名前に、審神者は箸を置いて、廊下に目を向けた。立ち上がり、廊下に出ようとした時には既に、足音はすぐそこまで来ていたところだった。そうして廊下ではち合わせたのは加州だった。

先ほどと違うところは、その両手で膳を抱えていたところである。


「……加州」


喜びよりも驚きの方が勝っている状態。赤くなった鼻をすすって、加州は鼻声でこう言った。


「俺も、ここで食べる」









――またとない好機だった。

加州ときちんと話をしたいと思っていたのだから。今までのことも、これからのことも、色々と話したいことがある。けれど、いざ対面すると、なにを話せばいいのか分からなくなった。


(まさか何も話せないとは……)


就寝前に、布団の中に入った審神者は、己の情けなさにため息をついた。
難しい話はない。とても簡単で、とても情けない話というだけ。

加州と向かい合って黙々と食事を取り進めて、そのまま完食し、何も話さないまま片づけをしただけ。


(本当に、何をしているのだろう)


顔を両手で覆いながら嘆くものの、状況は何一つとして変わらない。
刀剣嫌いの誤解をといておきたいこと。これからはもっと仲良くしたいこと。何一つとして言えなかった。加州が何を考えているのか分からない状態で、また、今にも泣きそうな表情で黙々と食事をする加州に、どんな言葉をかければいいのか分からなかった。

加州がどんな気持ちで膳を持って戻ってきてくれたのか。少なくとも、主命だから嫌々、という風には見えなかった。少なくとも、加州は審神者に対して何かした歩み寄ってくれたのだろう。それをないがしろにしてしまった。


『御馳走様』
『御馳走様。主。もう膳持って行くね』
『うん。ありがとう』


交わした会話といえばこれ。これだけ。
一体何が変わったのだろう。否、何も変わってはいない。むしろ加州を泣かせてしまった分、悪化しているともいえるだろう。


「仲良く、なれるだろうか」


このまま何事もなかったかのように、今までの関係に戻るつもりは更々ない。けれど、不安だった。
加州と仲良くするためには、どうすればいいのだろう。他の刀剣達と距離を置いてきた今、相談できる相手も、審神者には思い浮かばない。














珍しい客が来た。ひょこひょこと髪の毛が障子から覗いていることに気づいた審神者は、筆を持ったまま、顔だけを其方に向けていた。


「ね、ねえ、ほんとに大丈夫なのかな…? あるじさま。お仕事してるのに」
「大丈夫だって! その時はボクたちが手伝えばいいし」
「で、でも、あんまり忙しそうだったら……かえってじゃまに……」


筆を置いて、静かに、物音を立てないように立ち上がる。忍び足でそんな会話を交わす影に近づくと、審神者はそっと障子の向こう側をのぞき込んだ。


「今日は、乱も一緒なんだね」


そこにいたのは、五虎退と乱藤四郎だった。五虎退はともかく、乱が顔を見せるのは非常に珍しいことだ。乱に限らず、加州以外の刀剣は大抵そうであるが。


「あるじさまっ、あ、あのっ」
「あるじさん。乱藤四郎だよ〜。ねえねえ、ボクと一緒に乱れてみる?」
「乱…!」

「ふふ、いらっしゃい」


笑い、五虎退の頭の上に手のひらを置いて撫でてやる。焦っていた様子の五虎退は、どこかほっとしたように笑ってみせた。すると割り込むように乱が間に入り、そのまま審神者の腰に両手を回して抱きついてくる。


「あるじさん! ボクも!」
「……いいの?」
「もちろん! だって、その為に来たんだもん」


甘い声でそう告げる乱に、審神者は首を傾げた。けれど拒む理由もないと、五虎退の頭の上に置いていた手を、乱の上にのせる。そのままやわらかい髪をなで回せば、嬉しそうに目を細めていた。


「五虎退の言うとおりだ。あるじさんが撫でてくれるって!」
「五虎退が? でも、撫でるといっても、そんな大したものじゃあ……」
「あるじさんが撫でてくれるんだよ? ボクたちにとっては、十分大したことなの」


すりすりと頬を胸のあたりによせて、乱は満足そうな声で続ける。


「あるじさんはこういうの苦手だって聞いてたから、みんな我慢してたんだよ。本当はボクたちみんな、あるじさんにこうしてほしかった」


その声に、審神者は乱を撫でていた手を止めた。そして少しの間を置いて、また撫でることを再開し、ぽつりと言葉をこぼす。


「私は今まで、皆に気を遣わせてしまっていたんだね。……私は、今からでも間に合うかい? 今からでも、皆と、仲良くなれるだろうか」


そう問えば、五虎退も乱も、ぱっと顔を上げて、真っ直ぐと審神者の目を見た。


「「もちろんです(だよ)!」」


声を揃えてそう言い切った二人の言葉に、審神者は頬を綻ばせた。


「ありがとう」


今度は空いている手を使い、五虎退のことも撫でていく。すると、ふにゃりとした表情を見せて、五虎退も乱のように審神者に(少し控えめだったけれど)ぎゅうっと抱きついた。それを受け止め、二人を撫でる審神者に、二人は弾んだ声で口にする。


「み〜んな、あるじさんが大好きだからね! 明日から…ううん、きっと今日から、みんな会いに来るよ」
「はい! あるじさまの迷惑にならないって分かったら、みんな喜んでやってきます!」












「加州。今日の夕餉なのだけど……」
「ここで食べろって言うんでしょ? そう言うと思って持ってきたよ」


ぷいと横を向いて膳を二つ運んできた加州清光は、決して審神者の方をみようとはしなかった。けれど、不機嫌ではないらしい。昨日よりも近い距離に向かい合うようにして並べられた膳が、それを物語っているように思えた。

澄ました顔で座る加州を見つめるものの、目は合わない。


「……そうか。ありがとう。昨日はうまく話せなかったから、とても嬉しいよ」
「昨日は全く話してなかったよね。主。誘ってきたのに、ずっと無言でさ」
「す、まない。何から話せばいいのか分からなかったんだ」
「まあ、別にいいけどね」


未だ目線は合わないままだが、昨日よりはきちんと会話が出来ているといえるだろう。審神者は困ったように笑いながら、手を合わせた。


「いただきます」
「いただきます!」


続けて、加州も手を合わせる。そうして食事を進めて、審神者は声をかけるタイミングを探った。咀嚼している状態で話をすることは行儀が良いとは言えない。加州が呑み込んだタイミングで答えられるように、じいっと加州の食事風景を見つめる。そうやって加州が呑み込む瞬間を待っていると、加州は眉間にしわを寄せて審神者を見た。


「そんなに見られてると食べづらいんだけど」
「っ……すまない」


冷静に考えればその通りだと、審神者は加州から視線をずらした。そのまま手持ちぶさたになり、黙々と食事を始める。そうなると余計声をかけるタイミングが分からなくなり、焦る。


(これでは、昨日と一緒だ。せっかく、加州がこうして来てくれているというのに)


加州は淡々と受け答えする。冷静で、よく気が利いていて、一番近侍としてそばにいてほしい刀剣だった。故に、一番心が読めなくもある。

五虎退や乱のように、感情が表情にでていれば話も変わっているのだけれど。そんなことを思いながら黙々と食事を続けていれば、あっという間にほとんどを食べ終わっていることに気づく。


(味がよく分からなかった……)


夢中で考えていたせいだろうか。これを食べ終えてしまったら、加州は膳を片づけて去ってしまうのだろう。それを思うと、後少しの量にも関わらず、箸を持つ手が止まってしまった。


「もうお腹いっぱい?」
「……いや。そんなことはないよ」


とうに食事を済ませて箸を置いてしまっている加州の膳を見つめ、審神者はぽつりとこぼす。


「食べ終えてしまったら、加州が去ってしまうだろう」


そう言った後、しんとした時間がその場に流れる。


「……何それ」


加州の声がする。顔を上げて加州の顔を見れば、ほんのりと頬を赤らめた加州清光が、そっぽをむいていた。


「主がここにいろって言えば、俺はずっとここにいるよ。俺は、主の一番刀だよ。初期刀で、近侍だから」
「加州……」
「ここの本丸の皆、主が大好きだけど――中でも一番主が大好きなのは俺。いい加減、気なんて遣わないでよ」


そういってやっと、加州は審神者と目を合わせた。加州の言葉がじんと心に響き、審神者は、ぎこちなく、口を開く。


「加州。食べ終わっても、もう少し話は出来るかな? もっとちゃんと、話がしたいんだ」


告げれば、加州は唇を震わせながら、目を細める。その仕草が、笑顔を必死に抑えるためのもののように思えた。

笑顔を抑え、真面目な表情になった後も、加州の口角はひくひくと動いてしまっていた。


「主のためならしょうがないからね。いいよ! でも膳は片づけちゃうから、冷めない内に食べ終わって!」
「……うん。ありがとう。加州」











「加州。おかえり」
「……ずっとそこで待ってたの?」


膳を片づけ、部屋に戻ってくる加州清光を縁側で待つ。返ってきた加州にそう言えば、口元を隠すように覆いながらそう聞いてきた。


「ああ。今夜は月も綺麗だし、ここの方が良いかと思ってね」


そう返事をすれば、加州は「ふうん」とこぼしてから、審神者の隣に腰を下ろした。そして顔を覆っていた手のひらをおろし、困ったようにため息をつく


「五虎退と乱が騒いでたよ。他の短刀達も。主が皆と仲良くなりたいって言って、二人を撫でたんだって聞いてさ。皆驚いてたよ」
「そうか。すまない、騒がせてしまった」
「本当だよ」


月明かりに照らされる横顔を見ると、言葉とは裏腹に、加州は穏やかな表情を浮かべていた。その横顔を静かに見つめていると、加州は唇を引き上げてうっすらと笑みを浮かべた。


(……笑った!?)


前はいつ見たのかも分からない。見たことがあったのかも分からない。そんな加州の笑顔を見た。満面の笑顔とは言えないが、それでも、今の己には十分すぎるもの。

見とれるように視線を向けていたが、加州はそれに気づかない。


「主が迷惑していないなら、もっと仲良くなりたいってさ。明日からは、朝餉も昼餉も夕餉も、おやつも、俺以外の刀が持ってくることになるかもね。近侍の仕事を変わってほしいって言われたよ。さっきだって、いろんな奴にね。短刀だけじゃないよ。皆に」
「……そうか」
「俺、主が刀と距離を置きたい人だって思ってたから。ずっと我慢して頑張ってきたのに。折角主が仲良くしてくれるって思ったらこれだもん。本当、やんなっちゃうよ」


そうこぼすと、加州は困ったような表情を浮かべて、目を瞑る。


「でも、あいつらの気持ちも、分かるんだよね。俺だってもっと、主に可愛がってほしかったし」


加州には今まで沢山世話になった。今の本丸があるのは、加州の働きあってのことだと審神者は思っている。故に、自然と言葉は口をついて出てきた。


「近侍は加州清光だよ。これからもずっと」


加州は何も言わぬまま、目を開けて、審神者をみる。未だ言葉の意味を把握できていない。そんな表情だった。
迷惑だっただろうかと一抹の不安を感じ、審神者は問いかける。


「もちろん、迷惑でなければ……の話だけれど。嫌だろうか……?」


返事を待つように、そのまま黙り込む。加州は何の反応も見せぬまま、自身の膝に視線を落とした。ぎゅっと膝の上に拳を作って、服にしわを作っている。


「……なんで、俺なの」


そうしてやっと出てきた言葉に、審神者は思わず首を傾げてしまう。元より、加州以外の刀に近侍を任せようと考えたことがなかった。改まって聞かれてしまうと、少々返事に時間を要してしまう。


「………何故かな。加州以外の刀が近侍なんて、そもそも考えたことがないんだ」


うんと頭を悩ませなければ、理由は出てこない。加州が納得のいくような理由を出したいところではあるが、どうにも、口べたなために言葉が出てこない。


「近侍は加州がいい。私の一番近くに居てほしい。今までのように」


諦めて、簡潔にそれのみを伝える。納得してもらうことは難しいかもしれないが、そこは妥協して貰えると有り難いと思う。


「……駄目かな。そうなら、それでも――」
「駄目なわけないじゃん!」


そうなれば大人しく引こうと思っていた審神者は、言葉を遮るようにして否定をしてきた加州に圧されて口を閉じた。加州は顔を上げて、真っ直ぐと審神者のことを見つめている。真っ直ぐに、月に照らされてきらきらとしている瞳で、審神者のことを。


「――俺は主の一番刀だよ。近侍は俺! だよね? 主!」


はにかむように笑う加州の表情は、間違いなく、審神者が初めて見る笑顔だった。きらきらと輝いているように見えるくらい愛しく思うその笑顔に、思わずつられて顔が綻ぶ。


「ああ。もちろん」


そう答えれば、加州はえへへと笑って、照れくさそうに膝を抱き込むようにして座り直す。そのまま膝に顔をうずめて、審神者から見えないように隠してしまった。

今まで距離を置いてきた時間は長い。その空白を埋めるにはまだまだ時間がかかるだろう。


けれど、他の本丸で見た審神者と刀剣達と同じくらい、否、負けないくらいに、刀剣達と仲良くなれるような気がする。

そんな予感を受けた審神者は、静かに微笑んでいた。










以降、この本丸では新たな習慣が出来た。

急に仕事が減って、刀健達と仲良くする時間が増えることはない。審神者は、審神者としての仕事に手を抜くことは良しとしない方針だからである。故に、無理に時間を作ることはしない。

代わりに、刀剣達の間でかわりばんこに承るおやつ当番なるものが出来たのである。三時になると、審神者のところにおやつを持って行き、一緒に食す。それだけの当番である。

おやつをとる間は片手間で仕事をすることを許さず、審神者はきちんと刀剣達と向き合うこと。それから、出来る限り、食事を皆と一緒にとること。

そんな習慣である。








「主。そろそろ三時だよ。今日のおやつ当番は俺! 嬉しいでしょ? 早く一緒に食べよ!」

「……ああ。今行くよ。清光」





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