見習いDJ(♂)がバレンタインする話
バレンタイン、というものあるらしい。
どうして知らなかったのかと言われると、オレも何でかは分からないけど。でも、あんまり気にしたことはなかったっていうか。全く知らないわけじゃないけど、ちゃんと説明ができないっていうか。
(それにしても、いいにおいだなあ……)
町は華やかに彩られ、バレンタインという単語が売場の至るところにある。どこを見ても目にはいるし、甘いチョコレートのにおいがいっぱい漂っていて、歩くだけでも楽しい。
オレはそれを眺めながら、みんなの顔を思い浮かべた。
今オレが町を歩いている理由はまさにバレンタイン――お世話になっている人たちに感謝を伝えるためのチョコレートを買いにきたからだった。
まず忘れてはいけないのが、オレの師匠であり親代わりでもある満天星呂駒呂――オレの尊敬しているDJだ。それから、よくお手伝いに行っている酒場の店主のアミリアさん。
それから、MAD TRIGGER CREWの碧棺左馬刻さん、入間銃兎さん、毒島メイソン理鶯さん。オレの、いっぱいお世話になっている尊敬する人たちだ。
(喜んでくれるといいなあ…)
高価なもの買えないけれど、でも、安価でもおいしいものはいっぱいある。だから掘り出し物をみつけられたらいいのだけど。
お世話になりっぱなしの人たちの顔を思い浮かべると、自然と笑みがこぼれてきた。
見習いDJがバレンタインする話
「あら、おかえりなさい。見習いくん。その様子だと、お目当てのものは買えたみたいね」
長い時間をかけてしまったけれど、お目当てのものを無事に買うことが出来た。ほくほく顔で、Port harbor開店前の酒場――ブラックハスラーに帰ってくる。小さく口角を引き上げて上品に微笑んだアミリアさんに、オレは小走りで駆け寄った。はやく報告したい気持ちでいっぱいだったからだった。
「はい! アミリアさん、無事に買えましたっ」
「ふふ、良かったわね」
大事に大事に紙袋を抱えたオレに、アミリアさんはほんのりと優しい眼差しを向けてくれた。そのまま、楽しげにオレの頬をつついてしまう。黒と紫を混ぜたような色を乗せた爪先がオレの頬に沈んで、同時に指先からあったかい温度が伝わってきた。
「耳まで真っ赤ね。外は寒かったでしょう? 今、温かい飲み物を入れるわね」
「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして。さ、座って。今はお客さんもいないし、話し相手になってちょうだい。せっかくだから、詳しい話も聞きたいわ」
そういって、アミリアさんはイタズラっぽく笑った。
「貴方があのMAD TRIGGER CREWにバレンタインチョコなんて、とても興味があるもの。一体どんなチョコレートを選んだのかしら」
「あんまり面白味はないかもですけど……あ、でも、オレ、アミリアさんにも買ってきたんですよ。受け取ってくれますか…?」
紙袋の中から、ブルーのリボンでラッピングされたチョコレートを取り出す。細長い長方形の箱は、上品な雰囲気に惹かれて買ってきたものだった。座る前に取り出したオレが慌ただしかったのか、アミリアさんがあらあら、と呟いた。
「そんなに急がなくても……でも嬉しいわ。アタシにも買ってきてくれたのね?」
「もちろん! アミリアさんにはいつもお世話になってますし……これ、とってもきれいだったからアミリアさんに似合うと思って……気に入って貰えるとうれしいです」
白くて長い女性らしい指先が、ラッピングのリボンをつまむ。
「まあ、嬉しいことを言ってくれるのね。……ふふ、じゃあ、早速開けちゃおうかしら」
丁寧に包みをはがして箱を開けたアミリアさんは、ふわっと表情を柔らかくさせた。
中から出てきたのは、まるで本物の宝石のような光沢を乗せた丸いチョコレートだ。宝石に似せたことが売りのチョコレートだそうで、一目でアミリアさんにぴったりだと思って買ったものだった。といっても本物の宝石なんて見たことないから、どれくらい似ているのかなんて分からないけれど。でも、アミリアさんの反応は、多分、好感触なんだと思う。やっぱり似ているのかな。
「――とっても素敵ね。食べちゃうのがもったいないわ」
「気に入ってもらえましたか…?」
「ええ、もちろんよ。ありがとう、見習いくん。何かお返しをしたいから、ホワイトデーを楽しみにしててちょうだいね。それにしても……ホワイトデーに贈り物を探すなんて、初めての経験ね。なんだか新鮮だわ」
「えへへ、どういたしまして…」
喜んでもらえることって、とってもうれしい。楽しそうな表情でチョコレートを選んでいる女の子たちの気持ちが、なんだかよく分かる。この笑顔が見られるなら、時間も手間もお金も、惜しくなんかないって思えてくるから。
「MAD TRIGGER CREWのみんなも、喜んでくれるといいんですけど……」
「大丈夫よ。MAD TRIGGER CREWのみんなは、貴方にとびっきり甘いから」
不思議と、アミリアさんの言葉には背中を押される。うれしいのと照れくさいのとで、えへへ、と声がこぼれた。いつだって、オレはアミリアさんにこうして助けてもらっていた。一生懸命選んで買ってきたチョコレートだったけど、こうして考えると、いつもの感謝を伝えるには全然足りていないような気がする。
――バレンタインは日頃の感謝を伝える日なのだと、アミリアさんから教わったのだ。だからPort harborでも、常連のお客さんたちにちょっとしたチョコレートをバレンタインの日に渡すらしい。小さく荷物にならない、けれどもらって嬉しい包装をして。
そのラッピング作業を手伝っていたオレは、ぱっと思いついてしまったのだ。
――そうだ。オレも、普段お世話になっているみんなに感謝を贈ろう。
そしてその買い物に出かけたのは数時間前。帰ってきたのは今さっきである。今日がバレンタインだからか、アミリアさんが出してくれたのは甘い甘いホットチョコレートだった。
「せっかくだから、アタシからも見習いくんにバレンタインってことで」
「っ……ありがとうございます! うれしいです!」
「うふふ、喜んでもらえて何よりだわ」
感謝を伝えたかったのに、逆にもらってしまった。ちょっと申し訳ないけど、でもうれしい。自分のために用意してもらったもの、というだけ、ふつうに飲むよりもずっとずっと美味しく感じるから不思議だ。外で冷えた体が温まると同時に、心もぽかぽかしてきたみたいだ。
この気持ちを、あの三人にもあげられたらいいのに。
――それから、師匠にも。
バレンタインということも関係しているのか、いつもよりもお客さんの出入りが多い。その分裏方の仕事も増えていくから、オレは掃除と皿洗いと、普段よりも忙しなく動きっぱなしだ。いつもならMAD TRIGGER CREWのメンバーが来たらすぐに気づくのだけど、こうも騒がしいと気づけないかも知れない。
(アミリアさんが教えてくれるっていってたし、大丈夫だろうけど)
ちょっと不安に思ったものの、きっと問題ないだろう。アミリアさんは約束をきちんと守ってくれる人だ。
それに、決まった日時や時間にくる人たちじゃないから、今日は来ないだけかもしれないし。そうだとしでも、日持ちがするものを選んだから、多分大丈夫だろう。しばらくは。
(……来て欲しいなあ)
そんなことを思いながら、オレは鼻歌を口ずさむ。普段よりも、皿洗いがちょっと楽しかった。
「見習いくん、いらっしゃい」
願いが天に通じたからだろうか。アミリアさんに呼ばれたオレは、急いで手を拭いて裏から飛び出した。アミリアさんがそんなオレの反応をほほえましそうに見ている向かいでカウンターに座っているのは――入間銃兎さんだった。
「銃兎さん!」
ぱたぱたと駆け寄っていけば、そこには銃兎さんがいた。「こんばんは、見習いさん」と落ち着きのある声で挨拶するその姿は、まさに大人!という感じだった。
「こんばんは! 会えてうれしいです! オレ、会えたらいいなって思ってたから……!」
うれしさのあまりそうまくし立てるオレに、銃兎さんはきょとんとして、そして少しだけ困ったような表情で笑ってくれた。
「……まるで子犬のようですね。あなたを見ていると、つくづくそう思います」
「可愛いでしょう? 尻尾が見えるくらい、貴方になついているのよ」
「全く、どうしてここまでなつかれたのでしょうね。覚えがありませんが……まあ、悪い気はしませんね」
ネクタイを少し緩め、やれやれといった風にオレに視線を向けた銃兎さんは、眼鏡越しに目をちょっとだけ細めていた。目尻に出来たしわが、なんだかうれしい。
「今日は少し顔を出しにきた程度ですので長居は出来ませんが――どうやら、見習いさんは私に用事があるとか」
先にアミリアさんが言ってくれていたらしい。どのタイミングで渡せばいいか悩んでいたオレは、これ幸いと紙袋を取り出した。呼ばれてすぐに、一緒に抱えて飛び出してきたのだ。すぐに渡せるように。その存在感に、きっと頭の良い銃兎さんは気づいているのかも知れない。その上で、オレに助け船を出してくれているのかも…!本当に頭の切れる人だと思う。
「っ〜〜実は、オレ銃兎さんに渡したい物があって――…チョコレートなんですけど、今日ってバレンタインなんです! 知ってましたか!?」
「ええ、まあ。どこに行ってもこの時期バレンタイン一色ですからね。といっても、あまり私には関係ない話ではありますが。もうそんな季節か……と思う程度です」
「そ、そうですか……それであの、オレ、バレンタインはお世話になっている人に感謝の気持ちを伝える日だってアミリアさんから聞いて――…できたら今日銃兎さんに渡せたらいいなって……受け取ってくれますか?」
がさがさと音を立てながら、覚束ない手つきで包装された箱を取り出す。紺の包装紙に、シックな黒いリボンが結ばれているそれを銃兎さんに差し出した。喜んでくれるだろうか。それ以前に、受け取って貰えるだろうか。不安に思いながらもどきどきとして反応を伺うオレをよそに、銃兎さんはアミリアさんに目配せをしていた。ちょっとだけ、呆れたようにも見える。
「完全に間違いではないでしょうが……女性でない見習いさんにそう教えるのは如何なものでしょうか」
「あら、いいじゃない。嬉しいでしょう? それとも迷惑だったかしら?」
「そんなことは……」
「えっ、迷惑でしたか…?」
銃兎さんは感情表現が豊かというわけではないから、どうにも反応が読めない。そう感じていた矢先のアミリアさんの言葉だったから、オレはショックを受けてそう呟いてしまう。あれだけそわそわしていた気持ちが落ちてきて、唇がひきつった。
オレの言葉に銃兎さんは珍しくぎょっとして、小さく首を横に振った。
「いいえ、そういうわけではありませんよ。ですから、そう肩を落とさないで下さい」
言って、諦めたように微笑んで、オレの手にあるチョコレートの箱を受け取ってくれた。
「野暮なことを言いました。確かに、感謝をもらうことについては、素直に嬉しいですよ。そこまでしてもらうほど、貴方に構ったつもりもありませんが――……ここは、有り難く受け取っておきましょう」
「っ――! ありがとうございます!」
「何故貴方が礼を……ここは、私が感謝を述べるところですよ。全く」
眼鏡のブリッジを軽く上げて、銃兎さんは続ける。
「ともあれ、有り難うございます。大事にいただきますね」
「はい!」
「ところで、日頃の感謝ということは――私の他に、左馬刻や理鶯にもチョコの用意を?」
「はい! それに、師匠にもちゃんと用意してます」
「ふむ……二人は既にPort harborには?」
「それが、まだ来ていないんです。今日渡せたらうれしいですけど、でも、日持ちはするので……」
理想をいえば渡したいのは今日。でも、忙しい三人のことだ。無理に今日にこだわるつもりはない。感謝どころか、迷惑になってしまうだろうから。
「アタシも貰ったのよ? 一番に」
「それは先程から何度も聞きましたよ」
「あら、そうだったかしら?」
そんなやり取りの後に、銃兎銃兎さんはじっくりと箱を観察して、そして意味深にオレに目配せをした。
「お返しは期待しておいて下さいね」
「えっ、いえ、これは日頃のお礼なので……」
「子供が遠慮をしない。貰いっぱなしにさせるつもりですか? ここは、素直に受け取っておけばいいんですよ」
そんなこと、いいのだろうか。それでは本末転倒じゃないか。悩んでうんうんいっていたオレだったけれど、「別にいいんじゃないかしら。甘えておきなさい」とアミリアさんから後押しされたことで、頷くことにしたのだった。
「改めてお返しは用意しますが……そうですね。貴方に今日のうちに一つ、ささやかですがお返しをしておきましょうか」
「? お返しですか…?」
「はい。後ほど、意味が分かるでしょう」
銃兎さんは、そう言い残してPort harborを後にした。銃兎さんの言葉の意味が分からず首を傾げるオレの横で、アミリアさんは全て見透かしたような表情をしていた。
「アミリアさんは、どういう意味かわかったんですか?」
「ええ。でも、内緒。ここでアタシが説明したらつまらないものね。さ、入間くんも帰っちゃったし、皿洗いの続きをお願いできるかしら? 心配しなくても碧棺くんや毒島くんが来たらすぐに呼んであげる」
さあさあと背中を押され、オレは後ろ髪を引かれながらも言われるがままに裏に戻る。確かに、今日はバレンタインということもあって、お客さんも普段より多い気がする。急いで仕事をしなければ。
「――ああ、左馬刻ですか。少し、耳に入れておきたいことがありまして――」
(それにしても、やっぱり銃兎さんは忙しいんだろうなあ。会えて良かった)
銃兎さんは、どうやらまだ何か用事が残っているらしかった。フルタイムで働きながらMAD TRIGGER CREWの二足の草鞋をはいているのだから、やっぱり大変なんだろうなあ。でも、平気な顔をしてこなしているところ、ほんとうに尊敬する。
そんなことを考えながら、抜け出したときよりも山盛りになっている皿と格闘する。あんまり期待するのも良くないと思うけど、でも、いつ左馬刻さんや理鶯さんがくるかも分からないのだから。出来るだけ早く片づけておかなくっちゃ。あんまり期待しすぎるのは、よくないけど。二回いっとこう。
――けれど、嬉しいことは続くもので。
「見習いくん、碧棺くんが来たわよ」
「えっ!!」
驚きすぎて、表にまで聞こえるんじゃないかというほどの声がでてしまった。こんなことってあるのだろうか。確かに、一人が集まったら二人、三人とMAD TRIGGER CREWのメンバーが集うこともあったけれど。でも、最近はそれはとても珍しいことだったから。
来てくれたら嬉しいなあと思いつつも、いざ来たらびっくりして信じられないと思ってしまう。それくらいすごくて珍しいことだ。
「本当だっ! 左馬刻さんだ!」
「うるせえ、俺様を珍獣みたいに扱ってんじゃねえぞ」
呆れたような声でたばこに火をつけながらそう言った左馬刻さんに、オレはスキップしたくなるような気持ちで駆け寄る。実際に顔を合わせたら、会えて嬉しい!という気持ちがあふれてきて、今にもこぼれ落ちてしまいそうだった。
「いつにも増してやかましいぞ。一体なんだってんだ」
「あ、ごめんなさい。オレ、左馬刻さんに会いたくて……」
「ああっ? なんの用だ。くだらねえ用件だったらぶっ飛ばすぞ」
「それは……ぶっ飛ばされるんでしょうか、オレ……」
「チッ……マジでくだらねえ用件なのかよ」
あんまり機嫌が良いとは言えなさそうだ。
「銃兎の野郎……何が大事な用だっつーの」
ぼそりと付け加えた言葉は小さくて、人で賑わっている中聞き取れなかったけれど、でも、あんまり良い状況というわけではないみたいだ。喜んで貰えないかもしれない不安がおそってきて、つい紙袋からチョコレートを取り出す手が躊躇してしまう。
「んだよ、その紙袋は」
「あの、これ、……その、買ってきたもので……」
「声がちっさくて聞こえねえよ。男だろうが、ハキハキ喋りやがれ」
「ごめんなさいっ! これは――左馬刻さんに渡したくて買ってきたチョコです!」
指摘されたことで焦ってしまって、自分で想定していた以上の声がでる。思っていたより周りの視線を集めてしまった動揺もそのままに、オレは勢いで左馬刻さんにチョコレートを差し出した。両手で差し出してお辞儀するように頭を下げていたから、左馬刻さんの反応は分からない。
「MAD TRIGGER CREWには――…左馬刻さんには、いつもお世話になってますし、感謝の気持ちを伝えたくて買ってきたんです! 一応、甘さ控えめのやつを選んだんですけど……!」
何も返事がこなかったことで、ゆっくりと顔を上げる。怒ってるだろうか、要らないと突っ返されてしまうだろうか。びくびくしながら顔を上げた先で――左馬刻さんは天を仰ぐように顔を上に向けて、ため息をつく。たばこを持っていない方の手で、自分の目を覆いながら。
「アミリア……」
「あら、何かしら」
「てめえも銃兎も、このこと知ってたろ」
「もちろんよ。その様子だとやっぱり、入間くんも肝心なことは言ってなかったのね。ふふ、驚いたでしょう?」
「驚いたも何も……こいつ絶対バレンタイン理解してねえだろ」
「そこが可愛いんじゃない。入間くんも、満更でもなさそうだったわよ。碧棺くんもそうでしょう?」
そんなアミリアさんの言葉には何も答えず、左馬刻さんは目を覆っていた手を下ろして、じいっとオレをみた。意外に感情表現が豊かな左馬刻さんだけど、なんだか真剣というか、無表情に近い感じだった。
(迷惑、だったかな…)
左馬刻さんに差し出したままのチョコは、未だに誰の手にも受け取って貰えていない。しばらくは粘って動かなかったオレだけど、段々不安が大きくなって、ついには肩を落として手を引こうとした。
――けれど、
「てめえ、何引っ込めてんだ。俺のだろうが。寄越せ」
がっしりとチョコレートを掴んだ手が、それを止めた。そのまま半ば引ったくるようにチョコを持っていった左馬刻さんは、大きなため息をつきながら、見せつけるようにそれを揺らしてみせた。
「ま、趣味じゃねえが――くれるってもんは貰っといてやるよ」
言って、たばこを吸う。徐々に灰が長くなっていくそれに、俺は条件反射で灰皿を差し出した。気が利くじゃねえかと呟いてその上に灰を落とした左馬刻さんは、今度はオレの手首を掴んで、そのまま離さなかった。
「で? なんか俺様にいうことあんだろ?」
言われて、はっとする。確かに、オレは左馬刻さんに言わなければならないことがあったのだ。
「――いつもありがとうございます! これからもオレ、左馬刻さん達といっぱいいっしょにいたいです! よろしくお願いします!」
そう大きな声で告げた瞬間、左馬刻さんは目を丸くした。隣では、「あらあら、呂駒呂が聞いたら妬いちゃうわね」とアミリアさんの楽しそうな声が聞こえる。言いたかったことを一息で言ってしまったオレはどきどきとうるさい心臓の音を感じながら、期待の目を左馬刻さんに向けていた。喜んでは貰えなかったかもしれないけれど、でも受け取って貰えた。それだけで十分に嬉しいことだった。
「――懐かれたもんだな。てめえも大概物好きってことか」
「そう…ですか? そんなことないと思いますけど」
「自覚がねえのが始末にわりい。反省しろ」
「ええっ、ひどくないですか?」
オレの反応を左馬刻さんは鼻でわらって、そうしてオレの手を離してくれた。
「まあ、なんだ……やられたら何倍にも熨斗つけてお返ししてやるのが俺様のモットーだ。次会うまでに、これの礼は何がいいか考えとけ」
「? いらないです。左馬刻さんが受け取ってくれたから、オレ、それだけで嬉しいですし」
えへへと笑っていえば、左馬刻さんは苦虫をかんだような表情をした。
「いいから黙って考えとけや」
「うーん。でも本当にいらな……」
「うるせえ。欲しいもん考えとけって言ってんだよ俺様が。何も要らなくても何かあんだろうが今ここで絞り出せ」
「ひえっ……」
そんなこと言われてもお返しが欲しくてチョコレートを買ってきたわけじゃない。だから何とも言えなくて、でもこの声のトーンの時の左馬刻さんはわりと不機嫌な時のやつだから、いらないですと言うことも出来ない。
しばらく考えた末、オレはようやく口を開いた。
「じゃあオレ、左馬刻さんと一緒にご飯食べに行きたいです」
そう答えた後、再び天を仰ぐ左馬刻さん。
「たらふく食わせてやんよ……」
小さな声で呟かれた言葉は、今度こそ聞き取れた。嬉しくてわっと表情を明るくさせたオレのことを、アミリアさんは微笑ましそうに見守っていた。
「――おう、理鶯か。俺だ。今動けるか?」
また来る、と言い残して去っていった左馬刻さんを見送ると、アミリアさんはくすくすと笑って言った。
「想像していた以上ね。貴方がみんなに好かれていて、なんだかアタシも嬉しくなっちゃうわ」
「そんなことはないと思いますけど……でも、銃兎さんも左馬刻さんも受け取ってくれて良かったです」
「そりゃあ受け取るわよ。可愛い見習いくんのためだものね。案外、碧棺くんもわざわざ会いに来てくれたのかもよ」
「……そうですかね、」
そうだったら嬉しい。照れくさくて誤魔化すように笑ってしまったオレは、にやける顔を隠すように裏に向かっていく。「もしも理鶯さんが来たら教えて下さい」と言った言葉に、アミリアさんはすぐに頷いてくれた。
「きっと来てくれるわよ」
まるで予言でもしているみたいに自信満々のその言葉が本当になりそうな気がして、オレはなんだかそわそわしっぱなしだった。
(もしかしたら――本当に理鶯さんも来てくれるかも……)
そんな期待に胸を躍らせ――たけれど、実際そんな風にうまく事が運ぶことはなかった。
「そりゃそうかあ……」
もうすぐ深夜を迎える時間――Port harborはまだ営業を続けるが、オレは未成年ということで、深夜を越える前にあがりとなる。これ以上は子供の成長に悪いとは、師匠とアミリアさんの共同の認識である。教育方針のにている二人なのだ。
でも、今日は特別というか、未練がまだ残っているというかなんというか。オレの足は、未練たらしくPort harborの床から離れようとしてくれない。
「あの、アミリアさん。あともうちょっとだけ……あと五分でいいので……」
「駄目よ」
普段なら帰宅している時間だったけれど、もしかしたら、もしかしたらと期待して粘りに粘って、今はいつもよりも遅い時間にPort harborに残っていた。けれど、放っておいたらいつまでも店にいそうだと、最後は背中を押されるように裏から追い出されてしまった。
「可哀想だけれど、これ以上は許可できないわ。さ、まだ人通りが多いうちに帰りなさい。今夜は呂駒呂もイベントで留守なんでしょう? 暗くて帰れなくなっても、誰も迎えにきてくれないんだから」
「で、でも……」
「だーめ。さ、今夜はおとなしく帰りなさい。大丈夫、毒島くんならいつだって受け取ってくれ――……あら、」
不意に途切れたアミリアさんの言葉。オレはぱちぱちと瞬きを繰り返して、その視線の先を追いかける。すると店の裏口から出た先に、誰かが立っていた。明らかに不釣り合い――というか異様に見えるのは、その人物がとても身長が高く、なんというか、オーラがものすごいからだろう。
「やあ、見習い。今夜は終わるのが遅かったな」
「――理鶯さん!」
ぱあっと目を輝かせてすぐに駆け寄ったオレの頭を、理鶯さんは大きな手のひらで撫でてくれた。犬を撫でてるみたいなんて左馬刻さんには言われたこともあったけれど、オレはこうされるのが好きだった。
「左馬刻から、見習いが小官に会いたがっていると聞いた。だが、生憎と出先でな。来るまでに時間がかかったから、此方で待たせて貰ったのだが――迷惑ではなかっただろうか?」
「全っ然! そんなことないです! オレ、すっごくうれしいです!」
語尾を食う勢いでそうまくし立てると、理鶯さんは優しく目を細めた。満開の笑みってやつじゃないけど、ほんの少し、表情が柔らかくなる。そんんな理鶯さんの表情がオレは好きだったのだ。それを見てるとじんと嬉しくなって、オレは緩くなる顔を押さえて隠そうとする。本当にオレに会いにここまで来てくれただと思うと、もう言葉にもならない。もう言ったけどね。
「良かったわね、見習いくん」
「はいい…!」
「毒島くん。この子、貴方に会いたくてこんな時間まで店に残っていたのよ。もしかすると貴方が来るかもって、期待したみたい」
「む、そうだったか。ならば、来て良かったな」
「ついでにお願いしたいんだけど、この子をうちまで送って貰ってもいいかしら。今呂駒呂が出張中だから、この子一人なのよ。心配で……毒島くんがついていてくれたら安心だわ」
どれだけ心配性なんだろう。オレは慌ててアミリアさんの提案を断ろうとしたけれど、それよりも先に理鶯さんが返事をしてしまう。
「了解した。小官に任せてくれ。確かに、この時間帯に見習いを一人で歩かせるのは心配だ」
「ありがとう、頼むわね」
そう言って、アミリアはぱちんとウインクを残して店に戻っていく。感謝しなさいよ、と言っているようにも見えた。オレは理鶯さんと長く一緒にいられることに感謝をして、次の手伝いの時にはしっかりとお礼を述べることを決めたのだった。
(やった…! これで理鶯さんと長くいられる……!)
ありがとう、アミリアさん。本当にありがとう。
「すみません。忙しいのに、オレ、会いたいなんてワガママ……」
そうして帰路を進んでいく。家まで送って貰うことも初めてではないから、理鶯さんはオレの少し前を歩いていた。さながら、オレは出すタイミングを見失ったチョコレート――紙袋を、抱いたままである。
どうしようかな。これ、いつ渡そう。
「小官は我が儘とは思っていない。左馬刻も、直接顔を見たわけではないが機嫌が良かったように思える。見習いが気にする必要はない」
「そう言ってもらえると助かりますけど……」
もじもじとしながら、オレは理鶯さんにこう話を切りだした。
「あの、理鶯さんは今日がバレンタインだって、知ってましたか? お世話になった人に感謝をする日なんですけど……オレ、アミリアさんに今日それを教わって、それで……」
大丈夫。理鶯さんならちゃんと受け取ってくれる。オレはごくりと唾を飲み込んで足を止めて、紙袋から箱を出すなり理鶯さんに差し出した。タイミングは早いかもしれないけれど、渡すと決めたらいの一番に渡すのが一番いいと思ったからだ。
「いつもお世話になってるのでその……感謝を込めて、理鶯さんにチョコレートを用意したんです。受け取ってもらえるでしょうか?」
「……小官にか?」
「はいっ」
「ふむ。だから左馬刻は、小官に今夜会いにいけと言ったのか」
「だと思います。左馬刻さんにもチョコを渡したので」
「そうか」
理鶯さんも足を止めて、箱を受け取ると、優しく目を細めてくれた。
「礼をされるほど世話をしたつもりはないが――折角の礼を断るのはよくないな」
「じゃあ――」
「ああ。有り難く受け取ろう」
「ありがとうございます!」
「礼を言うのは此方の方だが……」
不思議そうな表情を浮かべたあと、ふっと、小さく微笑んだ理鶯さんは、箱を握りしめたまま口を開いた。
「そうだ、見習い。師匠が不在ならば、小官のところに泊まっていくか? 折角だ。小官の料理でもてなさせてくれ。うまくいけば、罠に獲物がかかっている頃合いだ」
「え? いいんですか…?」
「ああ。構わない。小官も、見習いと過ごすのは嫌いではないからな」
頭の上に置かれた手が、慈しむように撫でてくれる。
「是非お願いします! やったー!」
嬉しくてガッツポーズを決めて、オレはそのままの勢いで飛びつくように理鶯さんに抱きついた。腕を組むとか腰に手を回すとか大袈裟なやつじゃなくて、軽くしがみつくみたいに。理鶯さんは嫌な顔一つしないで、それを受け入れてくれる。それも嬉しかった。
「では、まずは見習いの家に荷物をとりにいくか」
「はい!」
日頃の感謝を伝えたかっただけなのに、渡した感謝以上の物を返して貰っている気がする。理鶯さんの料理はおいしいし、理鶯さんのことも大好きだ。今日はとってもいい日だと思うし、オレはバレンタインデーが大好きになってしまった。
毎日がバレンタインでも良いくらいだ!
(あとは――師匠の分だけ)
紙袋のそこに一つだけ残った箱。師匠へのチョコレートである。
師匠は明日帰るはずだから――そうだ。書き置きを残しておこう。そうしたら、きっと先に師匠が家についても気づいてくれるだろう。
「――あのクソガキ」
‘師匠へ
今日はバレンタインデーだったので、師匠に感謝の気持ちを込めてチョコレートを買いました。日本酒が入っているそうです。味わって食べて下さい。飲み過ぎは厳禁ですよ!’
「……絶対バレンタインが何の日か分かってねえな。さてはアミリアあたりに、なんか吹き込まれたか」
‘PS.今日は理鶯さんのところに泊まってきます!遅くなっても心配しないでくださいね! 見習いより’
「しかも無断外泊ときたか――……まあいい。帰ってきたら覚えてろよ」
その後、見習いは普段よりも若干機嫌の良い呂駒呂に叱られたとか叱られなかったとか――。
- 1 -
*前次#
ページ: