「よおなまえ、久し振りだな」

 ある昼下がりのこと。自宅に予想外の人物が訪れた。わたしは、ドアスコープを覗かずにドアを開けてしまったことを後悔した。

「え!? 飯匙倩さん!?」

 その予想外の訪問者とは、キャバをやっていたときによく店に来て、指名もしてくれていたヤクザの組長さんだった。

「何で家、分かったんですか……?」
「お前がいた店の女が教えてくれた」

 正直、体にゾッと寒気が走って、内鍵の掛かった半開きのドアを今すぐ閉めたかった。でも、蛇に睨まれた蛙のように、わたしの体は動かない。「とりあえず上がらせろよ」と言われ、素直に従うしかなかった。

「へー、いい部屋じゃん」
「ありがとうございます……」

 玄関に雑に脱ぎ捨てられた相変わらず高そうな靴が、この家には不釣り合い過ぎる。どうして今、こんな状況になっているのか。いくら考えても、この人の行動なんて理解できない。

「で、どうよ? 新婚生活」
「楽しくやってますよ」

 わたしが促すより先に、空いていたソファにドカッと無遠慮に座る。普段は旦那が座っている場所だけど、目を瞑るしかない。

「仕事は?」
「今はしてません……」
「何で? ガキできたの?」
「いえ、まだです」

 常に何かを探るような、この人の視線が怖い。感情が読めない、爬虫類のような冷たい目。出会ったときから苦手だ。
 なのに、彼はそんなわたしの感情を逆撫でするかのように、店に来ては指名をした。飽きて来なくなるだろうと思って一度だけエッチしたけど、むしろ気に入られてしまい、愛人になるよう迫られ続け、わたしは精神を病み、キャバを辞めた。そしてこれを期に付き合っていた彼氏と結婚したのだけど、なぜか今わたしは、もう二度と会うことはないだろうと思っていた男を家に上げている。

「ふーん、じゃあ俺のガキ産めよ」
「飯匙倩さんの冗談は笑えないですよ……」

 本当に笑えない。淹れたてのコーヒーを置いてその場を離れようとするけど、逃さないとばかりにすぐに手を引っ張られ、わたしは飯匙倩さんの隣に座る形になった。手首は強く握られたままだ。

「相変わらず綺麗だな、お前」
「相変わらず、お世辞がお上手ですね」
「お前と俺のガキなら美形だろうな」
「飯匙倩さんの血なら、誰が相手でも美形ですよ」

 はははと、少し機嫌の良い様子で飯匙倩さんは笑う。こうやって話していると、キャバ時代を思い出す。でも、もう戻りたくはない。
 笑いが止むと、沈黙が訪れる。飯匙倩さんは急に真面目な顔になって、何か言いたそうな雰囲気を醸す。何だろう、聞きたくない。

「お前、仕事してないんなら俺の店で働けよ」
「え、お店?」
「ああ。安心しろ、キャバクラだ」

 なるほど、そういうことか。急に訪問したのはそれを告げるためだったのか。でも何でわたしが必要なのか。現役の子を引き抜いちゃえばいいのに。飯匙倩さんの権力があればそれ位余裕だと思うのに。
 わたしはもう現役の子と張れる歳じゃないし、そもそも既婚者だし、ここは丁重にお断りしよう。そう決めて口を開きかけたときだった。肩を抱き寄せられて、拒む暇もなくキスをされた。舌が入ってきそうになって必死に抵抗すると、飯匙倩さんは面白がってケラケラと笑う。

「なんなんですか、もう……」
「断ろうとしてたから塞いだんだよ」
「塞がれたら何も言えないじゃないですか」
「うるせー。顔見りゃ分かんだよ」

 相変わらず強引で自分勝手な人。次には「まあいいや、帰る」と言って立ち上がる。

「また来る」

 玄関のドアが閉まってから「来なくていいですよ」と一人呟く。ねえ、お願いします。これ以上わたしの心をかき乱さないでもらえませんか。





2017-06-27


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