女の童

からころと鈴を転がすような笑い声に、はた、と足を止めた。いかにも格式高そうな古めかしい三門の向こう側から聞こえたその音は、からからと一頻りはしゃいで、そしてぱたりと鳴るのをやめてしまう。
この寺院に人が住んでいると言う話は聞いたことがなかった。数十年前に住職が急死して以来——噂では斃死なのだというがにわかには信じがたい——、新しい管理の手も見つからず、かと言って取り壊してしまうわけにもいかず、長らく放置の憂き目を見ている廃寺院。そんな風な話を折に触れて聞かされていたのだが、もしや誰か住職でも赴任してきたのであろうか。先の笑い声は、その住職の身内なのであろうか。
果たして入ってしまっても良いものか、と悩んだのは一瞬のことであった。もし誰か暮らしている者があるならば、せめて挨拶の一言くらいは交わしておきたかった。

三門を潜った先に広がる境内には背の高い雑草が生い茂り、本堂の扉は外れかかっていた。屋根瓦は所々崩れ落ち、底の深い大鉢には雨水が溜まって一面を藻が覆っている。木々の枝を渡る大きなクモの巣といい、三和土の上に散らばる落ち葉といい、修繕される気配のない腐りかけた柱といい、とても人の住んでいるようには思われなかった。先ほどの笑い声は私の幻聴なのだろうかと訝しんだ後ろから、「あ、」と女の声が掛かる。
「お客さま」
ぱっと声の方を振り返って、勝手に立ち入ってじろじろ見回していたことへの非礼を詫びようと口を開いた私に、おかっぱの童女は「それ以上はいいの」と微笑みを向ける。
季節外れな菊の四つ身に兵児帯を巻いた少女は、にっと笑みを深くして「お客さま」ともう一度私を呼んだ。
「お客さま、もう御用は終わったの?」
「それがまだ——……住職に挨拶を、と思ったのだけれど。えぇと、……」
「まぁ……そうなの!それは良いことだわ!」
挨拶してくれる人なんて久しぶりよ、と少女が私の手を握る。透けるように色の白い手はひんやりと冷たく、その力はおよそ年端のいかない子供のものとは思えないほど強かった。
刹那、悪寒が背筋を這う。どっと吹いた風が草葉を揺らし、彼女のつややかな黒髪をなぶる。「すごい風!」からころと少女が笑って私の腕を引っ張った。
「行きましょう、」
やはり今日のところは、と言いかけた私を遮って、少女はどこまでも無邪気な屈託のない笑みを浮かべて特別においしいお菓子もあるのだと言いながら一歩足を踏み出した。それに合わせてチリンと小さな鈴の音が——……そういえば彼女はいつの間に後ろへ来ていたのだろう。一歩、また一歩と前へ進むたびにチリンチリンと響く涼やかな音を耳にしながらふ、と思考を飛ばす。鈴音はこんなにもはっきり聞こえるというのに、私は彼女の訪れに気づくことが出来なかったのだ。そも、この音を聞いたという覚えもない。
幼子らしからぬ力の強さといい、いやに冷えた指先といい、考えてみれば考えてみるほどに薄気味悪くなってくる。それに彼女は「挨拶してくれる人なんて久しぶり」だと口にしていた。この寺院は廃寺で、管理の手も無く朽ちていく一方、もう随分長い間誰も住んでいないという話ではなかったか。庫裏の方へ私を連れて歩いていく後ろ姿に一抹の恐怖を覚え、おそるおそる「君はいつから此処で?」と問い掛ける。せめてこの数ヶ月のうちであってくれと願いを込めた質問に、少女はこちらを振り返ることもせず、ただ歌うように、こともなげに言い放つ。
「何十年も昔から!」