手向けの言葉

身を穿つような北風が吹いていた。レニングラードの駅のホームは固く身を寄せ合う男女の他には、ちらほらと数人いるばかりである。
男は今期より、東方戦線への着任を命ぜられていた。「向こうはここより寒いのでしょう」と女手ずから編んだ羊毛のマフラーをしっかり巻いて、分厚いコートのボタンを一番上まで留めて、革製の手袋を嵌めている。対する女は素手であった。剥き出しになった白い指先は寒さの為に痛々しい赤色を呈している。
「ねえ本当に行ってしまうの?」
男の手を取って彼女は問う。
「……あぁ」
「今からでも代わっては貰えないのかしら、……」
「それは出来ないよ、僕だって代役を立てられたらそうしたいもんだけど」
きゅ、と眉間にしわを寄せる。灰色の両目には、惜別の情がありありと滲み出て、今にも溢れんばかりの涙が浮かんでいた。
女はゆるくかぶりを振る。「いいえ、」
「そうよね、解っていたわ。貴方を困らせたい訳ではなかったの、ごめんなさい」
ごめんなさい、ともう一度繰り返し、彼女はこぼれた涙を拭って、気をつけてと声を震わせた。
「夏には帰ってくるのでしょう?」
彼女の切な問いかけに、男は静かに頷いた。真摯な眼差しで女を見つめて「帰ってくるとも」と口にする。彼には確かにその気があった。彼女を置いて死ぬなど出来ない、何としても生きて戻らねばならない、そういう決意があった。
「なら、良いわ。……どうか気を付けて」
愛してると口付けた彼女に応えて、僕も愛していると囁く。
高い音を立てて止まった始発列車に乗り込んで、恋人の美しい――哀しい笑顔にどうにか笑い返して、男は鞄から切符を取り出した。そうして深々とため息を吐く。
何としても生きて戻らねばならない。
たとえこれが片道切符だとしても。



title:Regret
theme:片道切符/「ごめん」