アンドロイドの恋について

アンドロイドも恋をする時代が来るのだと誰かが言っていた。いつか機械が、ヒトと同じように心を持つ日が来るのだ――、そう誇らしげに語っていたのが誰だったのか、私はもう覚えていないけれど。


人間という連中はいついかなる時でも色恋を忘れない、血に濡れた戦さ場にあって尚、脳裏のほんのわずかな場所を想う人の為に使っている、というのが暁の認識であった。
それは無論、たった一回の戦争から得た見解ではなく、彼女が何度もその足を繰り出した戦地での経験から得たものである。ある時は上司が、またある時は部下が、同輩が、故郷に置いてきた妻子や恋人の話をぽろりと零していた。彼らは決して口にはしなかったが、きっと本心では故郷に帰りたかったに違いないのだと思う。
暁はヒトではなかったが、言外に滲む彼らの望みを「帰っても其奴らが生きているとは限らんだろう」などと言って滅茶苦茶に引っ掻き回すような真似はしなかった。そんなことをするのは野暮だとか、そういった理由だったように記憶しているが、実際はもっと別な理由であったやもしれない。はっきりと事細かに思い出せるほど、彼女の人生――のようなもの――の時間は短くなかったのである。

さて「アンドロイドも恋をするようになる」と言ったのは誰だったかな、と暁は窓辺で目を伏せた。
――ここ数十年の事だと思うが、……数十年? もうそんなに経ったのか? なるほど、ふむ、なるほどな、なら思い出せないのも道理か。
ふむふむと頷く暁に、いつの間にやら室内に来ていたらしいニコラが「何かあったの?」と問いかけてくる。振り向きがてら、少し昔のことを思い出していたんだよ、と返して、深く昏い追想の海から浮き上がってきた思考を、半分ほど水面下に押し戻す。
どうにも思い出せないということは、あの言葉を投げかけた人間は、とっくの昔に死した者なのだろうか。……故人のことを綺麗さっぱり忘却してしまう、というのは、長く生きてきた彼女には頻繁に起こることであった。今更珍しいことでもない、何かのきっかけでふと記憶が蘇るかもしれないのだから、まぁ今は諦めて放っておくこととしよう、とまた一つ首肯した暁に、
「昔、の、どんなお話?」
とニコラが、ガラス玉を嵌め込んだようながらんどうの瞳を少し――それこそよほど注視していなければ分からないほどに輝かせた。

彼女の目に何かしらの感情が滲むのは、一年に一度あるかないかという稀有な現象である。暁はそれ故に、大した話ではないのだが、と前置きをした上で、先ほど脳裏に描いていた記憶について、なるたけ分かりやすいように、あれやこれやと情報を付け足して話してやった。
命を刈り取る戦場にあってなお、恋を忘れぬ人々のことや、アンドロイドの件をニコラは黙したまま聞いていた。
「……お前はどう思う」
「どう、……」「アンドロイドは恋をするようになると思うか?」
ちらりと彼女は目を逸らした。かと思うとすぐさま向き直って、普段と大差ない、淡々とした口調でこう言った。
「――いつかそうなる。もう、すぐそこ」
「……そうか」
ニコラは数字に愛された少女である。妹同様、数学界の寵児であり、数を用いる全ての事象と論理に対してひどく強く出来ていた。
そんな彼女を以ってして「すぐそこ」と言わしめるのであれば、それはほぼ間違いなく確かなのだ。いつだったか誰かが誇らしげに言っていたアンドロイドの恋愛は現実のものになるのだろう。
暁は今一度、そうか、と呟いてニコラに一言礼を言い、今度こそ思考の波間へどっぷりと潜り込んだのだった。