天邪鬼の話

当に嫌いなら、いっそ出て行ったらいいじゃないかと僕が口にすると、青年はわずかにたじろいだ。

青年の名を煌という。僕の知己である暁の家に間借りする男で、年の頃は19、20といったところだろうか。目を刺すような赤毛と、やたらに鋭いハイヒールが否応なしに目を惹く、とにかく派手な出で立ちをしている。暁に負けず劣らず気の強い彼は、事あるごとに彼女と衝突しては僕のところへやってきて、あいつのあの癖が嫌だの、こういう態度がいけ好かないだのと愚痴をこぼす。
今日も例にたがわずそういう日で、彼は開口一番、
「あんたからも言ってやれよ」
と声を荒げていた。
何を言えば良いんだい、今度は何があったんだと訊いてやる。
ああ、しかしきっとまた喧嘩をしたに違いない。
暁という女は昔から気性の荒いところがあったが、煌に対しては特に苛烈なように思われる。煌も煌で若さゆえか、存外向こう見ずで反骨精神旺盛なので、まあ、売り言葉に買い言葉というやつか。二人の喧嘩はいつもそういう始まり方をする。普段からかなり棘のあるやり取りをしているらしいけれど。

どうせまたうまくやり込められたとかそういう話だろうと聞いていると、どうやらそんな穏やかな話でもなかったようである。
「あいつまた何処かで暴れてきたみたいで、この前も大怪我して帰ってきやがってさ」
「……それは初耳だな。何処をやったんだい」
「腕とあと背中……?絶対やべぇから病院行けって言っても聞かねえし、なぁあんた医者だろ、あのばかになんか言ってくれよ」
ふむ、と1つ頷いた。
「それは良くないな」
彼女の意志か、あるいはその時の仕事か。暁が今でも多勢に無勢で大立ち回りをしているとは聞いていたが。
「俺が駄目でもあんたの言う事なら聞くだろ」
ふん、と煌はぶすくれた顔をした。

彼女が心配なら心配だと言えばいいのに、それが出来ないのは彼らの気の強さと、天邪鬼のせいであろう。暁にはただ「病院へ行け」と言うよりも「見ている此方の気が気でないから医者にかかれ」と言った方が効果的なのだが、はてそれを教えるのは吉か否か。
「……解った、僕からも言っておこう」
だが次からはまっすぐ僕の処へ連れてくると良い。暁は大怪我の理由だの状況だのを説明するのが億劫なだけだからね。
そう言うと煌は「はぁ?何だよあいつ」と眉宇を寄せた。
「同感だ。でも彼女はそういう奴だよ、君も薄々気付いてるだろ?」
「それは、……クソ、やっぱり嫌いだ」
忌々しげに舌打ちをひとつ。
「ふぅむ……君は彼女を嫌いだと言うが、――」
そんなに嫌いなら、家を出れば良いじゃないかと提言すると、彼は目に見えて動揺した。ついで露骨に大人しくなる。煌のこういう分かりやすくて素直な処は、なかなかどうして可愛らしいものである。

青年はしばらく躊躇して黙っていた。口元を歪めたり、眉を寄せたり、青くなったり、赤くなったりしながらひとしきり唸って、やがて、それは出来ない、と心底恥ずかしそうに呟いた。
「あ、暁の事は知らねえけど、ほら、あの双子、あいつらの事は心配だし。大体、そんなのどうだっていいだろ、俺の用はもう済んだから帰る!」
へえ、と頷きながら頬が緩むのを抑えきれなかった。なるほど、なるほど。双子の心配をしているのは無論本心であろう――何しろあの二人はとても危なっかしい。だが、わざわざこんな処へやってきて、暁がどうのこうのと話しておきながら「知らない」と言うのは、嘘だ。
「そういう事にしておくよ。まぁ、頑張りたまえ」
部屋を後にするその背中に激励を投げかけると「何のことだよ!」とまた荒い声が飛んできて、続いてカッカッとヒールがタイルを蹴る音があり、それが次第に遠ざかっていく。
「――君の想いは大いにわかるとも、僕も昔はそうだった」
ぽそりと零した独り言は、小さな診療所の静けさに呑まれて、霧散した。