かといって許せもしない

はらはらと涙が溢れて、じんわり滲んだ視界の中で「おいどうしたんだ」とハンカチを片手に駆け寄った女が、憎くて、それ以上に美しく感ぜられて、ますます涙が止まらなくなった。
優しく涙を拭きながら、彼女は白々しくも「何かあったのか」と尋ねてくる。
何かあったのかだなんて、私は他でもない貴女のことで泣いているのに、と睨めつける。それに気付いているのかいないのか、少し困った様子で躊躇いがちに背をさすられて、なんと腹立たしい奴だろう、計算ならばよほどかマシであったのに、こいつは天然でそうしているのだから、何一つ追及できやしない。

私の好きな男の、愛した女が彼女だった、ただそれだけのことなのだ。恋が叶わぬなどよくあることだ。たとえその恋慕がどれほど強く深いものであろうとも、相手に慕われなければ叶わない。そうして相手もひとである以上は、自分と同じ気持ちなのとそうでないのと五分五分なのである。
そうと分かっていて、それでも彼女を許せなかった。
「変な奴だけど気にしないでくれ」と言った彼。ケーキを用意してお茶を淹れる様子を、恍惚として眺めていた碧い眼差しは、見たこともないほど柔らかで、本当に愛おしげだった。
恋する人間の横顔は、世界で一番うつくしいのだと聞いたことがある。ならば彼の横顔は、きっと世界で一番うつくしいのだ。私が恋した青年が、私ではない女を恋しく思う眼を「なんて綺麗だろう」と思って見惚れてしまったのが、哀しくて、苛立たしくて堪らなかった。
あんな風に見つめられておきながら、この女にはその自覚がない。刺々しい軽口を叩いて、私たちと大して変わらない年頃に見えるのに、ふん、と達観した、優越的な、大人びた笑みを浮かべる彼女に「煌は貴女を好きなのだ」と突きつけてやりたくなる。

でも結局のところ、そうやって勝手に突きつけて、彼の恋が破れたのを見計らって近づいたところで、ダメなのだ。
……私では敵わないのである。
小憎たらしい、暁という女は、全く実に腹立たしいことに、実に人離れした美貌を持っていた。凛と研ぎ澄まされた、芯のある美しさには、妙な重厚感さえあり、立ち居振る舞いや言葉の端々に、もう何百年と生きているのではないかと疑わしくなってしまうほどの超越的な重みがある。そのくせ、ふ、と穏やかに笑い、さらりと黒檀の髪を揺らして「お前の目は綺麗だな」などと何の前触れもなく話すのだ。——煌はそう言ってほとほと困ったような顔をしていたけれど、私には分かった。彼は「あんなのは嫌いだ」と口にしていたけれども、その実、彼女に心底惚れ込んでいるのだった。
その瞬間、私では遠く及ばないのだと気付いた。彼は彼女のどこを好きになったのだろうと考えて、いっそ尋ねようとして、やめた。
きっと嫉妬が深まるだけだ。

「私の方が、貴女よりずっと先に、」
その先は言えなかった。
彼女はなおもハンカチを私の頬に押し付けて、とめどない涙を丁寧に拭っていた。
やがて静かに「……そうか」とつぶやく。何も分かっちゃいないのだろうと勘付いて、何処までも憎い、恨めしい人間だと奥歯を噛み締めた。
「そうよ。貴女には、わからないかもしれないけど」
深紅の瞳がわずかに揺らぐ。悲壮、……困惑、怒り、嘲弄——そのいずれとも似つかない、実に静かな揺らぎであった。
「……そうだな」
ハンカチが離れて、彼女がゆるりと立ち上がる。
「私には、分からんだろう」
その言葉が不思議と肩に重くのしかかった。蒸しタオルを持ってくる、とその場を離れる背中に、もしかして本当に彼女は何百年も生きていて、つまりは、人間ではない何かなのかと思わされて「あ」と声が漏れた。
絶対に許すことのできない女の、細い背が、私には到底理解し得ない孤独を漂わせて、ゆっくり遠ざかっていくのを、私は馬鹿みたいに口を開けてぼんやり眺めていた。