花葬

朝露に濡れてしっとりした花びらが頬をくすぐる。柔らかな花々から芳しい香りが漂って鼻腔を刺激した。良い匂い――これから起きる悪夢のような酷い出来事のことなど、忘れられるような……そんな匂いだ。
わたしは森の中の、青々と湿った空気が好きだった。植物の香り、雨に打たれた土の温もり、柔らかくも靭い小さな花たちの美しさ。そういうものに囲まれながら、すぅっと肺の奥に新鮮な空気を取り込んで、どこまでも続く果てない蒼穹を見上げるのが、堪えようもない幸福だった。
ぱちりと目を開けると、親族や友人たちが涙ながらにわたしのための弔花を、尚も棺の中へと落とし込んでいる。
「良い夢を」と母が顔を寄せた。わたしはからりと笑って一つうなずき、「おやすみ母さん」と彼女の頬にキスをした。彼女の白い肌は、わずかに湿っていて、ほんの少し塩辛かった。
ギィ、と軋んだ音とともに棺の蓋がおりていく。

――あぁ見納めだ。

この美しい空も、今日限りでわたしのものではなくなってしまう。森の木々も、土も、小鳥のさえずりさえも、わたしのそばから離れていってしまうのだ。
……バタムと蓋が降り切って、小さく錠をかける音がした。

しばらくゆらゆらと揺られて、おそらくは墓地に埋葬された。分厚い棺と土とを挟んだ上空から、別れを告げる声が微かに聞こえて、届かないのを承知で「ありがとう、ありがとう」と繰り返した。彼らの声はだんだんと遠ざかっていき、そのうちしん、と静まり返って、辺りの音はわたしがかすかに身じろぐのに合わせて花々がこすれる音のみになった。

わたしに残されたものはこの手向けの花ばかりである。
いずれ死にゆく花だ。きっとどれもわたしより早いうちにその命を散らすことになるやもしれない。この花たちが散って、干からびて、少しする頃にはきっとわたしも死んでしまうに違いなかった。そして同じように腐って干からびて、ただの墓石のひとつになるのである。
そう考えると、彼らの愛慕やその結晶たる弔花が、ひどく憎くなって、けれど愛すべき大切なものに思われて。
それがあまりに哀しく、つらい責め苦のように感ぜられて、涙が一筋、二筋とこぼれ落ちていった。