52ヘルツの鯨

青銅製の剣。
それが、私の初めての「武器」だった。


ヒト、というらしい。薄橙色をした、ちょっと握っただけで骨が折れてしまうような、脆弱な生き物のことを、彼ら自身はヒト――あるいは人間と呼んでいるようだった。では私も人なのだろうか、と考える。そしてすぐさま、否、と首を振った。
人間は、人間の胎から産まれる。彼らは産まれてからしばらく、数年あるいは十数年のうちは一人では生きていかれない。飢えて死に、病に倒れて死に、同族で争って死に、怪我が化膿しても死に、果ては自ら腹を切り、毒を飲み、首を括って死ぬ。
私はそうではなかった。私は誰の胎からも産まれていない。いわゆる「親」という存在に食料を与えられ、身の周りの世話をされたこともない。飢えれば無論苦しむが、それでも「空腹で死ぬ」などということはない。病に長く伏せったことも、怪我が膿んだことも、「同族」と争ったこともない。そも、傷病の類とはほぼ無縁であったように思われる。
それに何より、私は「武器」を要さない。

人間は、人間を殺すのに「武器」というものが必要なのだ。殴打し続けて殺すのも可能ではあろうが、それでは時間がかかりすぎるのである。
奇怪なものだなぁと手に収まる「武器」……これは、剣、というのだったか。剣を見下ろして、考える。そうまでして同種の生き物を殺さねばならない理由が、私には全くわからなかった。生存競争――というのも確かにそのひとつであろうが、彼らの戦いを外から見ていると、どうしても生き残ることばかりが目的ではないような、そんな気配がする。けれど、その正体がなんなのか、わからない。
ぶんぶんと剣を振ってみる。拳以外のものを振るうのは初めてであった。何度か振り回しているうちに、柄と刀身との間が、ぼきり、と折れた。


彼らは同じ種族であるのに、どうも鳴き声……言葉が全く違うようだと気付いたのは、王――群れのリーダーらしい――直属の軍隊に加わり、遠方へ赴いた時だった。私はその頃ようやく人間と同じ言葉をいくつか覚えたばかりで、突然耳に入ってきた全く聞き覚えのない言葉に目を丸くしてしまった。どうして彼らと私たちとでは話す言葉が違うのかと問うと、国が違うのだから当たり前だろうと答えが返ってきた。国。……縄張りのことだろうか、と考えて、目を伏せた。
他にもいろいろと奇妙なところのある生き物だった。「神」を信奉し、「権力」に惹かれ、酒池肉林を貪り、争い、「結婚」をして子孫をもうけ、繁栄し、没落して死んでいく。私には彼らの一生が泡沫のごとく見えた。あ、と言っている間に産まれて、死んでしまう。「君は20年前と変わらないね」とある人に言われて、そこでようやく、人間の中では20年も容姿に変化がないことは異常なのだと分かった。
私は、やはりヒトではなかったのである。彼らと同じように薄橙の柔らかな皮膚に包まれ、2本足で歩いていても、私は人間とは全く別な生き物なのだ。姿形が似ているだけの何か。異端。どこまで行っても隣人止まりであることを、十二分に理解して、私はそれから「人間」のように振る舞うことを覚えたのである。

人間は私が「ヒトならざるもの」だと気付きさえしなければ優しかった。一定の周期で次のコミュニティを探しに旅をしなければならなかったが、街ごとに変わる顔色も、道中の景色も、大いに私を楽しませた。行く先々ではもっぱら傭兵業を選んだ。そうして月日が経ち、数え切れないほど住居を移し、大陸を何度も廻って、今に至る。
数多の人々と出会い、時には世代を経て関わりを持ったが、しかし、と溜息を吐く。宗教も、文化も、その心の機微でさえも、私は未だに解していない……解することが、出来なかった。
「君は孤独だね、暁」
誰かがそう言って微笑んでいた。私は彼に向け、つい数十年前に覚えたばかりの微笑みで以って返事をした。
「……分からんな、それは」