Dependence!

此れが無いと駄目になっちまうんだよ、と男は教えてくれた。
年若い見目のその男は、私が訪ねた令嬢の家に雇われた小間使いらしいのだが、恰好こそ小奇麗な服を着て整えているように見えるものの、シャツの所々に附いた煤や磨かれている様子の無い靴、そして態度や口調から無学であることが容易に知れた。

屋敷の主人曰く、「あの者はあれで娘が気に入っておりますので、――」とのことらしく、それが理由で令嬢の身の回りの世話を任せているのだそうだったが、年頃の娘にこのような男を宛がって良いものか、と甚だ疑問であった。 此れからその娘御に薬を持って行くのだ、という小間使いに連れられて、私は長い廊下を歩き、一旦屋敷の外へ出て、そして庭に敷かれた小路を辿って離れへとやって来た。
「此処に令嬢が?」
「そうだよ。あの人は気を病んでるからな、お医者からのありがてぇお達しでね」
男は少し下から斜めに見上げて鼻を鳴らした。
玄関扉を開けて直ぐの処にある扉を叩き、返事も無いうちに開けて、彼はためらうことなく入っていく。私が、果たして入って行って良いものだろうか、気を病んでいる等と小間使いは云っていたが、だからと云って部外者たる私が勝手に入って構わないのだろうか、第一に病身とあらば尚更気を遣うべきであろう、と思い悩んでいると小間使いが此方を振り返って
「早く入れよ、」
と急かす。いよいよ態度のなっていない男であるが、本当に令嬢はこの小間使いを気に入っているのだろうか。
扉の向こうの部屋はカーテンが閉まっているのだろう、随分薄暗いように見える。
渋々入室して、扉をそうっと閉めると小間使いは再び令嬢の方を向いた。

「お嬢様、お薬お持ちしましたァ」
妙に間延びした口調で呼びかけたその声に、窓辺に佇んで庭の方を見つめていた彼女が「其処に置いておいてよ」とつっけんどんに返す。
彼は錠剤と水差しとグラスとが載せられたトレイを近くにあった丸テーブルに置いて「ちゃんと飲んで下さいよ」と釘を刺した。
「うるさい、早く下がってよ」
「そう云われても俺だって旦那様に命じられて来てるんですから、――で、お体の調子は如何なんです?」
「別に悪かないわよ」
ふん、と鼻で笑って、そこでようやく彼女は此方を振り返った。
そして、自分の視界に私を入れて、一瞬目を見開き、やがて居住まいを正して、背筋をしゃんとして「どちら様?」と訊ねてきた。

「申し遅れました、初めまして、私藤原と云う者です。此方のお手紙を頂きましたので、先日お返事させて頂いたのですが、……」

着物の懐から一通の手紙を取り出して「ご当主の方から伺っておりませんか」と続けた私に、令嬢は刹那思案顔になって、やがて「失礼ですけど、何も聞いていませんわ」と答えた。
「どんな用事ですか」
「何だっけ、あんた、確かさっき云ってただろ――」
「取材」
「そうだ、取材だそうですよ。お嬢様に色々訊きたいことがあるンだって、来た時旦那様におっしゃってました」
「――取材ですって?」
いぶかしげに眉をひそめ、彼女はつつっと此方へ近づいてくる。
その様子は先ほどまでとは打って変わって凛として淑やかそうであり、あの高慢そうな無愛想な態度と一変して、なるほどこうしてみると顔色もあまり優れぬようであるし、病身を抱えた深遠なお嬢様と云った雰囲気である。
「私に取材だなんて、何を―?」
「はぁ、……申し上げにくい事ではあるのですが、…勿論、貴女が否とおっしゃるのであれば無理強いは致しません、すぐ引かせていただくつもりで御座います、――私がお訊きしたいのは、貴女の御病気の事です」

彼女は精神病を抱え、その為の神経遮断薬を多量に服用していた。
断られるものと思って臨んだが、当人の方では「そう云うことならば」と快諾してくれ、処方箋を飲んで長椅子に腰を下ろして、病のことと薬のこと、其れと、病が元で生じた自分と父親との間の亀裂のことまで流暢に語った。
小間使いが「此れが無いと駄目になる」と云っていたのは、鎮静剤に使っているモルヒネであった。
「一人で良いから放っておいて」と云われて小間使いは「切れたらどうするんです、誰が用意して打ってやるんですか」と部屋に残ることを主張して引かず、その為もあってなのか令嬢は始終機嫌を損ねたままあれやこれやと話してくれたが、モルヒネが切れてもやはり不機嫌になって、すぐに癇癪を起こすようになり、情緒不安定の気が出るのだと、部屋を出た時に彼は云っていた。
ご当主に挨拶をして、屋敷を出る。呼んでいた車に乗り込んで、私は離れに残る令嬢の事を脳裏に思い浮かべた。彼女は今頃、寝台の上に寝転がって、夢見心地の筈である。取材も終わる頃になってモルヒネの切れた令嬢は、焦燥か不安かに駆られて酷くいらだたしげになり、その後まもなくして、扉の処で控えていた小間使いの男にモルヒネを用意させて、自らの腕に注射針をぷすりと刺したのである。
そうして私の事など最早気にもしない様子で寝台に入って、ふぅと一息ついてしまったのだ。

「藤原様、私、此れが一番好きなんですの。痛い思いもしないし、厭な気分も無くなって極楽を見ているみたいに、心地いいんだもの。……無いと駄目になってしまいます」
云ってふふふ、と彼女は優雅に笑っていた。
焦点の合わない虚ろな目で私を見やり「お父様は何もして下さらないけれど、」と言葉を切った。
「でも、頼めば幾らでも用意してくださるのよ、其れだけしか、して下さらないけれどね」

不意に、あの不遜な小間使いの顔が克明に思い出される。あの男は、無学であるが、内心何処かで自分の仕えるお嬢様が病気と薬とに侵されて妙になっているのを気付いていたのだろう、小馬鹿にする視線には憐憫がわずかにまじっていた。
別れ際、彼は変わらず身をわきまえぬ態度と礼儀の欠片も無い口調で云い放った。

「旦那様も他の使用人も気にしちゃいねえが、俺は駄目だと思うね。お嬢様はあれが無いとまるでいけねえンだから、あれは依存症だ。その辺、書くならちゃんと書いてくれよ藤原さん」