※本を食べる話です
どんな風味がするかしらと気になったのがそもそもの始まりであった。
真っ白な上質紙に刷られた図面の鮮やかさ、それに対して黒々として冴えた活字の確かなきらめき。この、どこまでも人工的な「うつくしいもの」は、どんな食感なのかしら、どんな舌触りなのかしら、甘いのかからいのか、――……。
ふつ、と沸き起こった些細な興味は、血に溶けて瞬く間に全身を支配した。常であれば「鋼」と言われるほどの堅牢さを誇る理性も、この興味には勝てなかったらしい。はっと気がついた時には、雑誌一冊ぶんの「うつくしいもの」が腹の中へ収まっていた。
それから私はしばしば、人目を忍んで雑誌だの新聞だのチラシだのを口の中へ押し込むようになった。このイラストが綺麗だとか、ここの文字の形が素晴らしいだとか、そういったことを感ずると何やら腹がぐるぐる唸りだして、次第に思考にもやがかかっていく。そのままゆっくり幸福感の湖へ身を投げて、またはっと我に返ると、先ほどまで手のうちにあったはずの読み物が綺麗さっぱり消え去っているのである。代わりに奇妙な満腹感と、喉の奥にこびりつくような後味が残されていて、それはムッとするようにねちっこい甘さであったり、舌先がぴりりと痺れる鋭いからさであったりと様々だった。
無論、中には世辞にも「美味しい」などとは思えない、ひどい後味のものもある。そういった紙面は一度食べたらそれで仕舞いにして、それきり口にはせず、単なる読み物として買い直した。
そんなことを繰り返しているうちに、私はある文豪の書いたイッヒロマンが最も美味であることを発見した。彼の書いたものはねっとりした甘さの中に、オレンジピールの苦味と爽やかさとが散りばめられていて、たとえば午後のデザートなんかにするにはうってつけであった。
同じものを数冊買いだめて、家の書庫へ仕舞い込んで誰の目にも触れぬよう隠しておく。それを家族に見られぬよう慎重に取り出し、毎日少しずつ柔らかな乳白色のページを裂いては、じっくり咀嚼して胃の奥へ流し込む時間、というのはまさしく筆舌に尽くしがたい幸せのひと時だった。
「私はもしかすると、この為に生まれたのかもしれないぞ」
と、ひとり浮き足立つ私の姿は、果たして友人や親族の目にはどう映っていたのだろう。彼らはたったの一回も、私の思考が弱々しく頼りないものになった訳や、それまで以上に書店へ通い詰めるようになった理由を尋ねては来なかった。
……やがて見境を失い、稀覯本にまで手を伸ばしてだめにしてしまった私を発見した時でさえ、ため息混じりに、
「ばかなことをしたね」
と低く吐き捨てただけであった。
そこには確かに、侮蔑と呆れとが滲んでいて。私は、それでようやく、自分の「美食」がいびつ極まりない代物であることに気付いたのである。