現在進行形中毒

※ドラッグを匂わせる描写があります



 僕はその幻に夢中だった。硝子の小瓶――ちょうど手のひらに収まるくらいのものだ――いっぱいに詰め込まれた、色とりどりの、小さな錠剤が見せる幻が、僕の心の拠り所であった。

 錠剤の中には、世界中から集めた幻想が閉じ込められている。幻想、というのは少し美しすぎるかもしれない。狂気とか、単なる幻覚とか、そういう風に表現するのが正しいように思われる。錠剤を一粒飲み下す。そうするとだんだん思考に靄がかかって、ふわふわと夢心地になるのである。重くなった瞼を幾度か瞬かせると、次に目を開いた時には目の前にとにかく美しいものや、楽しいもの、おどろおどろしいものなんかが広がっている。――と、そういう代物で、最近ではそこらのコンビニエンスストアでも手に入るくらいポピュラーな『娯楽』、気軽な暇つぶしのひとつであった。

 僕が特に気に入ってよく口にする錠がある。
 そこには何処かの誰かが繰り広げた、甘ったるい、けれど素敵な恋模様が閉じ込められている。追体験。そう言えば適当かしら、それを腹の奥へ押し流すと、やがて甘やかな日々の幻が視界いっぱいに広がって、堪えようもなく幸福な気分を味わえるのだ。
 仲間のうちには、その錠は一番悪辣で下卑たものだ、そんなものが好きだなんて趣味の悪い、と言う奴もあるが、彼らの謗りなどこの美しさを前にしては聞こえないも同然であった。第一、彼らの中にはもっと陰惨な、血腥いものを「良い」と言う奴もいるのだから、趣味の悪さに関してはお互い様であろう。要は単なる好き嫌いの問題なのだと、僕は笑って受け流していた。


 そうして彼らが、どろどろとした惨たらしい幻に入り浸り、僕が幸福な夢を見ていたある時、最近になってよくつるむようになった少年が「新しいのが出ていた」と言って薄紫の三角の錠を人数分持ち込んだ。
 この少年は仲間内でもいっとうやんちゃな性質をしていて、猫のように気まぐれだった。あちらこちらの店を梯子しては「面白そうだったから」と何やら正体のしれぬ奇妙なものを買い、僕たちの誰かがそれに夢中になる頃には「あまり面白くもなかった」と醒めた目をして、いかにもつまらなさそうな顔でそれを眺めているような人物であった。
 今回も多分そうなるだろう、と誰もが思っていた。おそらく数日後――早ければ半日後には、飽きたと言って捨てているに違いない。彼の「面白い」は一週間も持続しない。それが毎回のことなのだ。
 だからこそ、彼の口から一週間前の日付が飛び出した時にはみんな驚いたのである。

「飲むとトリップした気になれる」
 彼はこう言っていつになく饒舌に、この錠剤がどれほど愉快なものか僕らに語った。
 カラフルな蝶や美しい花々の咲き乱れる平原、その後突如として現れるめちゃくちゃな色の建物、空を飛ぶ車、ズンズンと脳を揺さぶるダンスミュージック。目に痛いほどの照明があちらこちらを照らすダンスクラブで、緩やかに波打つブロンドを持った美女に誘われたと彼は言った。
「楽園みたいなんだ。まだ出回ってないんだけど、こっそり人から貰ってさ、……とにかく凄く良いから、お前らもどうかなと思って」
 僕たちは互いに顔を見合わせて、どうしたものかと視線で会話した。リーダー格の男は、最後に出てきたブロンドの美女に惹かれたようで「良いんじゃねえのか」と満更でもなさそうな顔をしている。他の連中も、めいめい惹かれるところがあったようで、まぁ一粒試しに飲むくらいなら、と考えているのがその瞳から伝わった。かくいう僕も、最初に話された花畑の光景と、空を飛ぶ車などというSFチックな風景に、大いに好奇心を刺激されていた。
 錠剤を口に含む、という選択は満場一致で可決された。ひとり一錠ずつ、彼の持つ硝子瓶からそれを受け取って、せえの、で飲み込んだ。
 僕らが正気を保ったまま、幻の世界に没頭していられたのは、その日が最後であった。




title:ユリ柩 Thema:狂気の経口摂取