フィディウスの天秤

 アンリエッタは――ニコルは――好き嫌いがなさそうだね、とドイツから遊びに訪ねてきた親戚に言われたことがある。少し前から仕事の関係でこっちへ来ていたのだが、休日がもらえたので姪の顔を見に来たのだ、とそんなような話をしていた男の親戚で、母の言うところに因ると古物商を営んでいるということだった。いかにもそれらしいアンティークドールを、わたしたちへの土産だと言って姉様と私とにそれぞれ渡して帰っていった彼は、おそらく悪人ではない。悪人ではないし、かといって全くの善人という訳でもなさそうであったが、少なくとも、わたしや姉様のことをよく知っているとは言い難かった。

 わたしたちにも、好き嫌いは当然にある。わたしの好きなものは姉様で、そのほかには、数学と、少し古めかしい雑貨や海外の本なんかもたまに読むし、姉様もわたしを好きで、わたしと同じように数と、アンティークの小物と、国内の本――特に歴史なんかを好んでいる。叔父がわたしたちにくれたアンティークドールは、そういう意味では偶然にも趣味嗜好と合致していて、だから今でもマントルピースの上にふたつ並べて置いてあるのだけれど。
 わたしたち――否、わたしにだって嫌いなものは存在するのだ。姉様のお心を乱すわたし以外の誰かや、姉様の尊い静謐な美しさを妨げる余計な付属物、わたしの為に行われるのでない姉様の犯罪。特に二つ目に関しては並べ立てればきりがないのだが、両親が片輪のわたしたちの為にと拵えてくれた義手が、わたしは一等気に入らなかった。
 無論、両親に罪はない。義手を造った機械技師も、デザイナーも、無実だ。無実だけれど、とても許せない。姉様の美しさは、あれで完成されているのだ。透き通るようなライラックの双眸に、白磁の頬に影を落とす長い睫毛。わたしと同じ、腰まで届こうかという波打つ髪に、欠けた右腕。肩から先を失ったその右腕は、しかし欠けているからこそ、姉様をどこまでも尊く崇高な――その気高く神秘的な美の為に神格をも得られるような高貴な存在に召し上げているように思われた。そうしてわたしは、そんな姉様の右腕の代わりを務めていて――わたしは左腕がないから、そちらは姉様が務めてくださっている――、義手、というのは、姉様の美しさを損なうばかりか、わたしの立場をも危うくする、いわば天敵であった。そんなものを両親の厚意だからと、たったそれっぽっちの理由で許せるはずはなかった。

 わたしたちに贈られた対の義手は、ほとんど完全に同じ意匠を施されている。精緻な彫刻が彫られたそれは、単なる生活の補助を担う道具であるというよりも、一個の芸術品や装飾品のような見目をしていて、わたしたち好みの、古風な雰囲気を持っていた。ふっくらと柔らかな、上等なクッションの上へ置いて見ると、それはたちまち高級感を漂わせ、立派な芸術家の彫刻作品のようなオーラを醸し出して、ついつい溜息を吐いてしまうような優美を滲ませる。目の保養とするには、家じゅうの古い雑貨を持ち出してきてもこの最新式の、ゆかしい意匠の義手を差し置いて右に出るものはないといった風であったが、これが例えば姉様の肩へ嵌まって、そのお体にぶら下がると、途端に下卑た土くれのように映るのであった。
 鈍色の義手。美しく光を反射して鈍く輝くそれが、何か薄汚いものを取りまとめて、必死に綺麗に見えるよう取り繕っただけのごみに見える。姉様の持つ神聖な、女神のような輝きには、到底似つかわしく思われない。
「そんなものをいつまでつけていらっしゃるの」
 と姉様のお膝に縋りついて、早く外してもらってほしいと嘆願したことももはや十指では足りないくらいある。そういう時、わたしも大抵義手をつけているのだけれど、一応は姉様とペア、おそろいのものであるという認識故か、姉様の身に着けているものほど汚らしくは見えない。私の左腕は姉様のことだから、これを自分の腕だと思うことは出来そうもなかったけれど、それでも例えば、腕の形をしたアクセサリーで、母が手首から下げているブレスレットと似たような感覚で身に着ける装飾品、程度の認識にとどめることはできていた。しかしやっぱり、姉様のそれは随分なゲテモノに見えた。姉様は、美しい。義手も、美しい。が、合わさるとだめだ。姉様の清廉潔白な雰囲気は損なわれ、義手の芸術性は何だかごてごてとした下品なものに見えてくる。そんなものは姉様には似合わないから外してしまって――そうしたら私も外してしまうから、例の分厚いクッションの上へ並べて置いておいて、あるいは、ふかふかの台座をあしらった黒木の箱の中へしまっておいて、たまの夜半にでも月明かりに照らして二人でぼんやり眺めましょう、と提案したくなってしまうのだ。

 姉様はそんなわたしの我儘を「そうね」と小さなお返事と一緒に聞き届けてくださって、大抵はすぐ席を立って両親や給仕のところへ行って外すよう頼んでくださるのだけれど、やはり五回に一回は、向こうにもやむを得ぬ事情があるのかすげなく断られてしまって、よく注意せねば分からないくらい、ほんのわずかに肩を落とした様子で戻ってきて「ごめんなさい」とささやかな謝罪をこぼす。そうしてまた柔らかなクッションをいくつも置いた椅子に腰を下ろして、心なしか物悲しそうな目でわたしを見つめるので、わたしはふるふると首を振って「謝らないでもいいの」と口走るのであった。

「姉様は、何も悪くないもの。わたしが我儘を言ったのがいけないんだから、……」
「……でも、貴女の頼みなのに」
「本当に良いの。きっと少しの間だけだから」

 それに姉様が言ってだめだったのなら、わたしが言っても同じことなのだ。
 わたしも姉様も、その時ばかりはただ黙して互いの肩からぶら下がった慣れない重みを大層苦労して持ち上げたり、はたまたほかの人々のようにこぶしを作ったりして、両親からの贈り物に何の不満もない、いつも通りの、おとなしい、仲のいい双子の姉妹のふるまいを見せることにしていて、ちょっといつもより豪勢な食事が並ぶ、――はっきり言ってしまうと――騒がしいだけの会合が終わってすぐに、近くにいた大人のところへ歩いていって「この義手を外してちょうだい」と頼んで、土くれを芸術的な品に戻してもらうのであった。
 叔父は無論、そんなときでも、こちらの内側で起こっている葛藤や嵐のことなんかを知らずに、「素敵な贈り物だね。二人の雰囲気によく似合うよ」と笑っているのだが、そんな彼の笑顔を見る度に、きっとこの人はわたしや姉様が「義手を外してほしい」と強請ったところで、どうしてそんなことを言うのかと驚くのに違いない、そしてわたしも姉様も、その理由までもを説明するのは憚られるから、「ちょっとかゆくて」とか何とか言ってごまかすほかなく、それで通らなければ、この美しくも醜い装飾品を腕へ嵌めたままにしておかねばならないのだと奇妙な絶望感に襲われて、なんだか涙の滲むような思いをするのであった。そうして泣きそうな思いをしている時、お隣に座った姉様がご自分の左手をそっとこちらへ差し出して「アンリエッタ、」と呼び掛けてくださることだけが、そしてその手を、わたしの右手が握ることを許してくださることだけが、わたしの心を優しく抱きしめて慰めてくれる、唯一の救いなのである。




title:ユリ柩