平成心中

裏の角のとこの息子が死んだと聞いたのは数日前のことである。立派な家の長男坊で、将来は家業を継ぐのだと言って一所懸命、勉学に励んでいた姿が脳裏をよぎった。彼がどうして死んだのか、野次馬の噂によれば自殺だと言うが真偽の程は分からない。

ラジオから聞こえる昼時の番組では、頻りについ此間起こった白昼の悲劇的事件について議論が交わされている。最近はずっとそういう事件の話題で持ちきりであった。昨日は「死刑になる人間の気持ちが知りたい」と言って10人殺した芸術家の裁判の話が世を攫っていた。一昨日は東京の学生が二人、手を取り合って駅のホームから飛び降りた。一週間前などは、かつて一世を風靡した大女優が夫に刺殺されていた。
立て続けに人が死ぬのを聞かされる此方としても気が滅入る。そういうことがかれこれひと月ふた月も続いたので、私はとうとう友人に
「最近の暗いニュースは何だろう」
と問いかけてしまった。
彼はゆっくり珈琲を啜って、そうして低く柔らかな声音で「そりゃあお前そういう時期なのさ」と不可思議なことを返した。

そういう時期とは何だろう。立て続けにたくさん人が死ぬ時期なんてものがあって良いものかと腰を浮かせた私を、彼は腕の動きだけで制止した。
「きっと平成に愛されたんだろう。時代が連中を道連れにしちまったんだ」
「……それは一体どういうことだ。何を言っているのやら——」
たしかにちょうどひと月前に改元があったが、だからと言って「平成に道連れにされる」だなんて。彼はオカルティックな趣味は無かったはずである。それどころか霊魂だの言い伝えだのは全く信じていない人間で、それがまさかこんなことを口にするとは。
「息子が、」と彼は静かに言を切った。

「息子が、平成は殺されたと言うんだ。深刻そうな顔で尤もらしく、平成はぼくたちが殺したんだなんて言いやがる。……それを聞いていたら、今の時勢がどうもやつの呪いみたいに思えてきた。連中はあの時代を愛して、平成に愛されてたんじゃねえかと思えてな」
ひとりで死ぬのが嫌だって、心臓ごと持って行っちまったみたいだろう。
「平成心中だよ」
そうは思わねえかと私を見上げた彼の目は胡乱であった。一瞬、まさか死ぬつもりではないかと嫌な情景が目に浮かび、私は今度こそ立ち上がった。
ガタンと椅子の倒れる大きな音に彼は目を丸くして「おいなんだ急に立って」と声を上げる。その顔には既に生気が戻っていた。