ぬけがら集め

暁過去編



 膨れ上がった死肉から漂う腐臭が立ち込めていた。私は世辞にも清潔な環境とは言い難い軍病院の、ある大部屋へやってきていた。先の戦いで両腕を失った友人を見舞うためだ。彼はとても勇敢な戦士であった。周りの目がどんどん澱んでいく中で、ただ一人、輝きを失わずにいた。この醜く荒んだ争いの中で――不思議なことに人類の共喰いは時代を追うごとに苛烈になる、今は最悪の時だった――、そんなことができる奴には今まで出会ったことがない。腕を失ったことで折れてしまわないといいけれど、と思いながら、うめき声に満ちた部屋を突っ切り、彼が寝かされているベッドのところへ向かった。
「やあ」
 近くを通りかかったナースに声をかける。ひら、と手を振った私に、彼女はパッと顔色を明るくして「暁さん!」と声を上げた。

「お見舞いですか?」
「そんなところだ。××はどうしてる?目はもう覚めたか?」
「彼なら今ちょうど眠ったところです、眠らせたと言った方がふさわしいかもしれませんけど……」
「眠らせた?」

 怪訝に思って眉を顰めた私に、ナースは少し言いにくそうな顔をしながら「錯乱状態にあったので」と告げた。錯乱状態、と頭の中で反芻してその意味を噛み砕く。錯乱。意味も状態も簡単に脳裏に浮かぶ言葉だ。戦場でそういう風になった男を、私は何人も知っている。彼もそうなってしまったのか、と妙に物悲しくなって目を伏せた私を見て、彼女は「腕を無くされたのがやっぱりショックだったみたいで……」と声をひそめた。
「いや、うん、そうか、それは分かるよ」
 いや、私には分からないのだけれど。私は腕を失ったことがないから、腕を失った人間の気持ちは、わからない。長く戦場にいながら、戦士としての致命傷を負ったことがないのは不思議なことだった。
「数時間もすれば目を覚まされると思います」
「そうか。ありがとう、顔だけ見て帰るよ」
 私の言葉ににこりと笑った彼女の笑顔にもうっすらと疲労が透けて見えた。戦況は日に日に悪化している、運び込まれる兵士の数も、死んでいく兵士の数に比例して増えていた。昼も夜もなく看護にあたる彼女にも、当然疲労が蓄積しているのであろう。慈養強壮に効く食べ物でも持って来たらよかったかなと思って、今や食べ物を入手するのも困難なのだと思い出した。仕方なく私もにこりと笑って、じゃあ、と手を振って彼女と別れる。
 ××の眠るベッドは、彼女と話したところからそう離れていなかった。鎮静剤を打たれて眠るその目元には、うっすらと隈が浮かんでいる。よく見れば頬も僅かにこけたようだった。この環境下でまともな食事など期待するだけ無駄というものだが、きちんと食べているのだろうかと心配になってしまう。
「みんなお前を心配していたよ」
 いくつか言伝も預かっていたのだが、この状態では話せないなと一人ごちてしっとりと濡れた髪をそっと撫でてやる。ぴたりと額に張り付いた前髪を避けて、うっすらと汗の滲む額にひとつ柔らかな口づけを落として。
 早く良くなるといいな、とそっとつぶやいた。




title:ユリ柩