黄昏のシロップ

 ちりん、と季節外れの風鈴が鳴る。これもまた仕舞わなければ、と考える私にパートナーの「りっちゃん」という呼び声が届いた。「なぁに?」と問い掛けると、彼女はずいぶん上機嫌な様子で「いいもの買っちゃった」と小さなバッグから、さらに小さなボトルを取り出した。
「なにそれ?」
「黄昏のシロップ」「シロップ?」
 そう、と彼女は頷いて「黄昏のシロップ」を入手した時のことを話してくれた。グランアベニューを歩いていたら、不意にいかにも怪しげな自称商人に話しかけられて「あなたはラッキーな人だから、これを差し上げましょう」とシロップの入ったボトルを差し出されたというのだ。さすがにタダで貰うのは恐ろしく、頑なに断る彼にお札を握らせたのだというが——。
「騙されてるんじゃないの?」
「違うよ!ちょっと舐めてみたけど本物だったもん」
 本物って、なんだ。偽物が存在するのだろうか。訝しむ私に、彼女はうきうきとかき氷機を持ち出してきてゴリゴリと氷を削り始める。「食べたらりっちゃんもそんなこと言えないからね」そう言う彼女の表情は自信に満ち溢れている。そんな胡乱なものを食べたりは、と思いながらなんとはなしにボトルを取って光に透かしてみると、ちょうど秋の夕暮れのようなオレンジと赤のグラデーションの液体がきらきらと煌めいているのがわかった。何か果実が入っているのだろう、果肉のようなものもちらほらと見受けられる。これが「本物の『黄昏のシロップ』」……やはり何だか変な話である。

 パートナーは氷を削り終わったようで、ガラス容器に入ったかき氷を私に差し出すと「シロップかけて食べてみて!」と促してくる。私は「えぇー」とか「うーん」とか言いながら、恐る恐るシロップを開けてとぽとぽと垂らし、ステンレス製のスプーンを持ってきてしばらく逡巡したのち、彼女の輝く瞳に押し負けて一口ぶん口に含んだ。
 その、刹那。
 ぶわり、と体内に強い風が吹き込んだ。リィン、と鳴く鈴虫の声がどこからともなく聞こえてくる。私は一面の芒野に立って夕日を見つめていた。大きく丸い太陽が地平線の彼方に沈んでいく。燃えるような夕焼けに世界が溶けていく。赤蜻蛉が視界をよぎり、口内にどこまでも涼やかで爽やかな甘さが広がった。
 私を現実に引き戻したのは、パートナーの「どう?」という声だった。
「なんか……うん、本物っぽい」
 私がそう返すと彼女はニッと笑って「でしょ!」と口にした。
「だからりっちゃんに食べてほしかったの、本物の黄昏」