穿つは永青

 今日はクリスマスだから、と暁がご馳走を用意してくれているはずだ、とアンリエッタは考えた。この家に来てから食べるようになった暁手製の食事は、なかなかどうして悪くない。実家のコックが作っていたものに勝るとも劣らない、と思う。姉であるニコルもそれを気に入っているようで、ニコルは特にババロアを好いていた。きっと今日はババロアはもちろん、自分が気に入っているミルクレープもあるのだろうと考えてにわかに胸が躍る。それに気付いたのだろうか、姉はちらとこちらに視線を向けて「楽しそう」と掠れた声で呟いた。姉は数日前から、寒さと乾燥のせいで喉を痛めていた。
「クリスマスだから」
 アンリエッタはそう答えて、姉の肩に顔を寄せた。柔らかなまろい肩が頬に触れ、ニコルの甘いミルクのような匂いが鼻腔をくすぐる。とくん、と跳ねた心臓にそっと目を伏せて、姉の鼓動に耳を澄ませるアンリエッタに、姉は吐息だけで笑って「そう」と頷いた。
「……暁が、」
 掠れた呟きが耳に触れて、「暁さんが?」と問い掛ける。すると姉は珍しく饒舌になって、今日はクリスマスイヴだから暁がご馳走を用意している、おそらく煌も手伝っているだろう、二人はきっと喧嘩をしながら用意するだろうから見に行こうかとそんなことを妹に話した。アンリエッタはしばらく考えて、こくりと頷いた。喧嘩をしながら仲良く用意をしている二人を見るのは、なかなか面白いのだ。やいのやいのと悪口の応酬をしながら——その大半の言葉の意味は、二人には理解できなかったが——、それでも息ぴったりにクリスマスの準備を整えていく。姉妹はそれを眺めながら、クリスマスのオーナメントを小さなツリーに飾り付けるのが、自分たちでも意外なほど気に入っていた。
リビングに行くと、案の定、暁と煌がやんややんやと言い合いをしながらクリスマスのご馳走を用意していた。昔世界中を旅していたと言う暁は、クリスマスに大きなフライドチキンではなく焼いたハムやターキーを用意することの方が多かった。卓上にはすでに本日のメインディッシュである大振りの七面鳥と、様々な冬のフルーツやサラダが並べられていた。

「煌、そっちじゃない」
「さっきこれ持ってけっつったろ」
「違う。私はそれじゃなくてババロアを持っていけと言ったんだ。お前はババロアを知らないのか」

 世間知らずめ、と暁が毒づくと煌が「耳年増!」と返す。耳年増というのが何であるのか、姉妹は知らなかった。おそらく煌も正しい意味は知らないのだろう。暁だけは正しく理解しているようで、彼の言葉にやれやれと息を吐き、「意味もわからないのにそんな言葉を使うな」と呆れたように吐き捨てる。
「意味くらい知ってんだけど」
「知らないだろ。知ってたらお前はそんなこと言えないね。ほら、ババロア。あとパイも」
「知ってっし!ババロアとパイな!」
「慎重に運べよ」
「わかってるっての」
 と、ここで暁が姉妹が来ていることに気づいたようで、煌に「口を慎め」とだけ言ってドアの方を顎で指した。彼女にしては珍しく高圧的な所作だと思いながら、ニコルに手を引かれてアンリエッタはリビングの大きな暖炉の前に陣取った。煌は暁に指し示されるまま双子の姿を目に入れて、あぁと納得したような顔になり「はいはい」と頷いた。この二人の間では、この姉妹の前であまり粗野なことを言うのは禁止事項になっているようだった。「教育に悪い」というただそれだけの理由で。
 二人が口喧嘩を辞めたことで、姉妹は少しばかり退屈になった。素早いテンポで展開される会話は、この双子にはないものだった。テレビやラジオで芸能人のやりとりを聞くよりも遥かに早い速度で応酬される言葉の数々を、姉妹は一種の娯楽として楽しんでいたのだ。
 静かになると、彼らの作業は早かった。この二人は本心ではお互いのことを嫌ってはいないのではないか、少なくとも煌は暁に懐いているのではないかと何度も思ったが、アンリエッタもニコルもそれを口に出したことはなかった。食卓は完璧に整えられ、「二人もおいで」と一際優しい声で暁が姉妹を呼ぶ。隣り合った椅子に二人が座ったのを見ると、暁は机の隅に置かれていたシャンパンを開けてグラスに注ぎ、それぞれの前へ滑らせた。そして自分も椅子に座り、グラスを掲げる。煌も、そして姉妹もそれに倣うと「メリークリスマス」と静かな声で暁が言った。
「メリクリー」
「メリークリスマス」
「……メリークリスマス」
 ちん、とグラスを鳴らして、隣に座る姉を見ると、姉はひどく穏やかな表情で家族の顔を見渡していたのだった。




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