淡色水族館





 ニカはそれまでずっと貧民街のドブあさりなんかを任されていたから、セントラルの掃除を言い渡されたときは飛び上がるほど嬉しかった。
ドブあさりは、まったく、憂鬱な仕事だった。腿の半ばまでドブ川に浸かって、あるかも知れない掘り出し物を探すのだ。見つかるのは、基本的にプラスチックゴミ、ナット、腐食したビールの空き缶。めったに見つからないのはもげたロボットの生首とか。これは高く売れる。けれど、依頼主が本当に求めているのは宝石とか、金塊とか、とにかく、底辺の貧民街から抜け出せる秘密の地図みたいなものだ。そんなもの、誰がドブ川に捨てるもんかとニカは常々思っていた。
セントラルの掃除は、きっといいものだろう。そもそもごみなんて落ちていないのではないか。ドブあさりと比べると格段に賃金もいい。といっても、それでも低賃金なのだが、いいのだ。ニカは人間ではないのだから。ロボットで、貧民街に捨てられた、この世で一番最下層にいるのだから。金がもらえるだけで十分だ。きっとドブあさりのときよりずっとはやく、目の悪い妹を直す金が貯められるだろう。
料金明細を見て、ニカは、幸せが裸足で逃げ出しそうなほど陰気でくたびれた顔を少しほころばせた。
ニカは背が高く、垂れ目がちの爽やかで端正な顔の少年に作られた(きっと設計者はそういう顔が好みだったのだろう)が、とにかく持ち腐れだった。
猫背のせいでせっかくの長身が根暗さを助長させ、白金のブロンドも、整えられていないのでただ野暮ったいだけだった。丈の合っていないつぎだらけの着古された茶色のズボンをサスペンダーでつり、型崩れしたキャスケット帽で表情を隠す様は、いっそひょうきんだった。
「はしゃいでヘマするなよ。セントラルの人間だったら、お前なんかの軽い首、余興ではねちまうぞ」
 ニカに仕事を斡旋する情報屋の少年、ゼンは、痩せた首をとんとんと叩きながらからかった。 
 スラブ系の多いこのコロニーで、東洋系のゼンは少し浮いていた。いつも、痩せっぽちの体を隠すように大きなマントを羽織って、フードで顔をすっぽり隠している。ニカはゼンと知り合ってもう五・六年過ぎたが、不思議なことにゼンの見た目はちっとも変っていなかった。
 ニカは明細から顔をあげ卑屈に笑った。
「わかってるさ。セントラルの奴らは俺らにひどいから」
「そりゃあそうだ。奴ら、貧民街に住んでいりゃ人間だろうがロボットだろうが全部可燃ごみだと思ってる」
 いつかの一等寒い日、ここに火をつけて生き延びるつもりに違いない、とゼンは言った。
 貧民街の住人には、戸籍がない。ロボットだと、登録されていない。社会的にニカは作られていないこといなっている。
 ひどく理不尽な世界だ。ニカは望んで世の最底辺で生きているわけではないのに。作った人間がニカを貧民街に捨てた。ただそれだけなのに。たまに、顔も知らない製作者を呪い殺したくなる。

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 ニカの住む円形のコロニー、通称十五番街では、工業が飛躍的に発達した。氷漬けになって失われた技術を取り戻し、前時代とは異なる風に昇華した。
 終日、十五番街のあちこちから顔を出す煙突がご機嫌に煤けた煙を吐き出して、空は曇り、空気は濁って、人は肺を病んだ。
 コロニー建設時から増加一方だった人口は、やがて減少の一路をたどり、無計画に建てられて廃墟となった灰色の家々が立ち並ぶ細道はまるで迷路の様相。そこにいつしか戸籍のない人が集い、無法の貧民街となった。
 貧民街のすぐ横の歓楽街では昼夜問わず不健全なネオンが人を誘い、蠱惑的な提灯が妖しく揺れる。縦横無尽に張り巡らされたクリークはドブ川になり、たまに指のない死体が流れた。
 外の冬の世界とさして変わらないのではないかというほどひどい街並み。しかし、それは十五番街の一部の話だ。
 コロニーの中心から数キロ圏内は整然と家々が立ち並ぶ、いわゆる高級地、セントラルだった。セントラルを取り囲むように労働者層の住宅地域があり、その一部が貧民街だ。住宅地域の外側はぐるりと分厚い壁が覆い、外界の凍てつく風を完璧に遮る。

 十五番街での主な労働力はロボットだ。
人々は十五番街に引きこもってから、ロボットの開発に心血をそそいだ。人にそっくりなものがいい。いつか人類が滅ぶ時がきたとしても、最後の一人を、まるで親友のように、恋人のように、家族のように看取ってくれるほど人間そっくりな、そんなロボットを求めた。
 十五番街以外のコロニーもロボット開発に日々を費やしたが、十五番街は頭一つ抜けていた。十五番街が世のコロニーの中でも相当北域に位置するコロニーだったことも影響した。あっという間に氷漬けになってしまった故郷のように十五番街も氷漬けになるかもしれない、いつその日がくるかわからない。そのとき、真っ先に犠牲になるのは十五番街だ。そんな不安が開発者たちを突き動かした。
妄執の末、不気味なほど人にそっくりな、意思を獲得したロボットが作り上げられた。人は、とうとう、人とロボットを見た目だけでは見分けられなくなってしまった。
人は厚顔にも、あまりに人らしいロボットを恐怖し、虐げた。
 十五番街には整えられた法がある。盗みをはたらいてはならず、人を殺してはならず、納税を怠ってはならず、十五番街から無許可で出てはならず、人を豚扱いしてはならないがロボットは人ではないから豚扱いしても構わなくて、憐れむべき人がいたら助けなければならないが貧民街に住んでいるのは可燃ごみなので蹴飛ばして見捨ててよろしい。
 成文化された法の中で特に重要なものの一つに、ロボットと人間の区別を目的としたものがあった。「ロボットにコロニー規定のプログラムを一律組み込ませること」。そのプログラムを組み込まれたロボットは、人かロボットかを問われたら必ず正しく答えなければならない。あまりにも人間に近いロボットを作った弊害だった。
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 セントラルまで来たはいいものの、ほとんどすることがなかった。貧民街とは違うのだ。足元に汚物はないし、どこかにパーツが転がっているなんてこともない。まして、道の端で蹲って低い呻き声をあげる、人ともロボットともわからないものも、いるはずがなかった。
 ひたすら無機質な、ほとんどデザインの変わらない真っ白な家が立ち並んでいて、ごみごみした貧民街に慣れきったニカにはどこか恐ろしく思えた。衛生的で、『良い世界』なのだろうけれど、どうにも息が詰まるような気がしてならない。
 ニカは陰気に俯いて掃除をする。たまに落ちている紙屑を拾ってゴミ袋に入れたが、指定区画の半分以上を巡っても袋は軽いままだった。
 道行く人はニカを見て変な顔をした。セントラルにふさわしくない、汚らしい服装の少年がせっせこ掃除に勤しんでいるのが気になったのだろう。
 パリッとしたスーツを着た人間に何度か声をかけられた。お決まりの質問、「ロボットか人間か」。ニカが「ロボットです」と俯いたままぼそぼそと答えると、安心したような顔をする。セントラルの人間は偽善者だから、セントラルの人間が前時代的な肉体労働をしているのを眺めるのが耐えられないのに違いない。
 お生憎様。キャスケット帽の下、ニカは薄く笑う。ニカが貧民街のロボットだとも知らず、気をつかって話しかけてくる人が愉快だった。たとえニカが答えた後は汚物を見る目で見られようと、その一瞬だけは優越感に浸れた。
 じきにコロニーの天井に投影された偽物の太陽が傾き、終業の時間になった。ようやく息苦しいここから帰れるとため息をついたとき、鈴を転がすような声がした。
「ねえ、そこの人」
 ニカが顔をあげると、随分大きな箱のような白い家の窓がぽっかりと開いていた。ニカの見た目と同じくらいの少女がひょこりと顔を出した。
 生まれてこのかた日差しに当たったことがないのではないかというほど白い少女だ。血色が悪くいっそ蒼白な顔の真ん中で、らんらんと菫色の双眸だけが輝いているのが不気味だった。
 まさか自分が呼ばれたわけがあるまい。ニカが再び下を向くと、さらに大きな声がした。
「あなたよ!そこの、まるで自分が世界で一番不幸ですって顔をしてる、ナメクジみたいに陰気なあなたよ!」
 あんまりな悪口だったが、明らかにニカを呼んでいた。ニカは渋々、曰くナメクジみたいに陰気な面を少女に向けた。
「なんでしょうか」
 淡々と無機質な声で答える。
 またロボットか人かだなんてくだらない質問をされるのかと思うと億劫だった。
「貧民街の人?」
 少女はじっとニカのぼろの服を見つめた。
「はい」
「どうしてここにいるの」
「仕事です」
「へえ」
 話しながらもずっと少女がニカを眺め続けるものだから、ニカはなんだかむず痒いような気がしてそっと目をそらした。
 少女はお構いなしに、窓から身を乗り出して叫んだ。
「ねぇ、もしよかったら、私のお友達になってくれない?」
 ニカは面食らった。お決まりの質問をされなかったことにも、少女の言葉にも。何も言えずに固まっていると、少女は逡巡し、ああ、と笑った。
「名前を言っていなかった!私はオリガっていうの。あなたは?」
 もし少女、オリガがセントラルの住民でなかったら、「そういう問題じゃない!」とツッコんでいただろう。ニカは顔を顰めた。
「……訊かないんですか。俺が、どっちかって」
「訊かないわ」
 オリガは微笑んだ。
「あなた貧民街の子で、人間でもロボットでも、構いやしないわ。ねぇ、私、実はね、今まで友達がいたことがないの。こっから先もきっとできない。だから、誰でもいいからお友達が欲しかったの。ねえ、あなた、お名前を教えてちょうだい」
 ぎらぎら目が輝く。
耐えきれなくて、ニカは何も言わずに走って逃げた。オリガの「待ってよ」という叫びが聞こえたが、知らないふりをしてひたすら走って貧民街まで帰った。

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