Antithesis





 いくつかコロニーを通った。ずるずると滅亡に向かうコロニーや、内戦真っ最中のコロニー、失われた技術を取り戻せず何世紀も昔のような生活をしているコロニーなど様々だった。
 進むにつれて、クドリャフカの身体はみるみる駄目になった。
 足がぐずぐずに腐り、歩けなくなった。自立もできない。ゼンはクドリャフカを背負って歩いた。
「ごめんね、迷惑でしょ。置いてっていいよ」
 変に弱気になったクドリャフカはしきりに謝る。
「置いていかない。お前をこんな風にしてしまった責任は僕にあるし、別に急ぐ旅でもないんだ」
 二人は昼間に歩くのをやめた。太陽の出ているうちは日陰やテントの中に隠れ日差しと熱を避け、冷える夜中に歩く。クドリャフカは据わらない首で夜空を見上げ、幼児のように喜んだ。
 雪に覆われた地面は少なくなり、凍り付いていた地面溶けはじめ、足場が悪く、進む速度は格段に落ちた。
 クドリャフカからはひどい腐臭がしたがゼンは構わなかった。
「クドリャフカ、このまま歩けば、もうすぐ海だよ」
「どのくらい?」
「二か月か三か月くらいかな。山脈を越えなきゃいけないから」
「えー、長いなぁ」
「途中に大きなコロニーがあるはずだから、そこで防腐処理をしようか」
「腐り始めてからしても意味なくない?」
 クドリャフカはけらけら笑った。

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 そのコロニーはゼンとクドリャフカが見てきた中で一番大きいコロニーだった。
「十五番街が三つは入りそう」
 クドリャフカは首を上に向ける。
「超高い」
 ゼンはクドリャフカを負ぶって外周を歩く。しばらく行くと門があった。
「誰もいない」
「……というか、詰所すらない。嫌だな、入ったとたんに撃たれるなんてこと、ないといいんだけど」
 ゼンはコンクリート造りの門を開いて入る。
 十メートルほどの隙間をあけて、一回り小さい壁がそびえ立っていた。門はなかった。
 隙間の空間には、壁建設のために無理やり潰されたような家の跡と、やっと一人通れるくらいの瓦礫をかきわけた細い道。
 ゼンはまた歩き、門を見つけた。誰もいなかった。
 開けて入ると、また十メートルほどあけて一回り小さな壁、崩された家。
「マトリョシカみたい」
「面倒くさいな」
 また歩き、門を見つける。今度は門番らしき人間が立っていた。
「じゃあ、いつもみたいに」
 クドリャフカはそう囁いて全身の力を抜いて、ゼンの背中に身を委ねた。
 ゼンは仏頂面の門番に話しかけた。
「旅の者です。入れてください」
 門番はゼンを上から下まで睨んで、背の腐りかけのクドリャフカに目を向けた。
「それは」
「妹です。旅の途中で死にました。このコロニーで葬ることは可能ですか?」
 門番は少し黙り、「入れ」と言った。
「右手に少し歩けば検疫所がある。まずそこに行け。コロニーの北の端に火葬場、南の端に土葬場がある。好きな方に行け」
「ありがとうございます」
「それから……このコロニー、百七十七番街は、君が望むのなら、定住することも可能だろう。気があれば中央の役所に行くといい。わざわざ死ぬほどの寒さの中を歩く必要はない。君を受け入れる場所はここにはあるから、安心するといい」
 けれど、と門番は声を潜めた。さっきまでの事務的なものと随分違う、優しい兄のような声色だった。
「住む気がないのなら、用事を済ませてすぐに出なさい。ここのコロニーの物は間違っても口にしないように」
「わざわざありがとうございます。考えておきます」
 ゼンは一礼して、検疫所に向かった。
 死体のふりをしていたクドリャフカは目を開いた。
「良い人だったね」
「そうだな。きっと俺たちのことを故郷のコロニーから追い出された哀れな兄妹だとでも思ってくれたんだろう」

 検疫所でゼンは異常なしと診断され、自由にコロニー内を歩くことが許可された。
「妹に防腐処理をしてやりたいのですが、そういう施設はありますか」
と医者に尋ねると、
「もう遅い。悪いことは言わないから葬ってやりなさい」
と諭された。

クドリャフカを背負って歩く。
周囲から好奇の目が寄せられた。余所者だ、という声がちらほら聞こえる。
「防腐処理ができないのならここにいる意味はない。さっさと出ようか。これだけ広いと別の出口があるはずだ。そこから出よう」
 小さな声でクドリャフカに言うと、クドリャフカは小さく身じろぎをした。
「ねえ、私ももう無理だよ。きっとこのままドロドロに腐っちゃうんだ。だからいっそ、ここで燃やしちゃうってのはどうかな。無宗教だから火葬オーケーだし、もうそろそろ死んでもいいころだと思わない?」
「思わない。ニカに会うんだろ、クドリャフカがそれを言い出したんだろ。途中で放棄するな」
 クドリャフカは黙って何も言わなかった。
 出門を探しながら黙りこくって歩いていると、いきなり少年が目の前に飛び出してきた。
「なあなあ!お前、旅人なんだって?俺をお供にしてくれないか?」
「は?」
 ゼンより一つか二つ年長に見える少年は、応と頷いた。
「そうじゃなきゃ、きっとこのコロニーからは出られないぜ」
 少年の目は真剣だった。
「このコロニーはちょっとばかりおかしいから」

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 外で話せることじゃないんだ、と少年はゼンを自宅に引っ張っていった。案内されたのは、十五番街の貧民街より気持ちマシ程度の掃き溜めみたいな地区だった。従兄と二人で住んでいるのだという、家具のほとんどない埃っぽい家に引きずり込まれた。椅子がないので床に直接座る。
「俺は佐々陽太郎っていうんだ。先祖は日本人。ヨータローって呼んでくれ。」
 ゼンと同じようなカラーリングのヨータローは快活に笑った。
「僕はゼン。……浅川禅。僕も日本人だ」
「だよなぁ、一目見て日本人だって思ったんだ。俺はこのコロニー出身だから自分の故郷の国とかあんまり気にしたことなかったんだけど、やっぱり同郷に会うと嬉しいもんだな!」
 ヨータローはゼンが抱えたままのクドリャフカに目を向けた。
「お前が入ってきた門の門番が俺の従兄で、だから知ってるんだけど、それ、お前の妹だって?残念だったな」
「ああ、そのことなんだけど、もうこのコロニーでの用事が終わったから白状すると、これ、妹じゃないんだ。死体でもない。怪物だよ」
「怪物?」
 ヨータローが目をしばたかせると、クドリャフカはずるりと動いた。
「クドリャフカでーす!」
「うわっ喋った!」
「喋れまーす!」
 クドリャフカが匍匐前進でヨータローに這いよる。
「え、これ……クドリャフカ?は、生きてるのか?」
 ヨータローが助けを求めるようにゼンを見ると、ゼンは肩をすくめた。
「どうだろ」
「わりとキツい腐臭するぞ?」
「僕は一応生きてるカウントしてるけど。……クドリャフカ、迷惑かけんのはやめろ」
 クドリャフカを回収して抱える。
 ヨータローは困惑してクドリャフカを見る。
「ゼンによく似てるけど、兄妹じゃないのか?」
「さあ?」
 今度はクドリャフカが言った。
「身体はゼンの妹のセンリなんだけど、中身はまったく他人よ。ゼンの友達の妹が私なの」
「すごい修羅場のにおい」
「そんなことないよ」
 ゼンが「ところで」と割り込んだ。
「ここから出られないって、どういうことだ?」
「ああ、それな。さっきも言ったけど、このコロニーはおかしいんだ。誰も外に出そうとしない」
「人口が減ってるのか?」
「いいや、そうじゃない。むしろ、あぶれてこんなところに住まざるを得ない人が何人もいるほどには多い。ただただ善行のつもりなんだ。『外に出たら死んでしまうから、死なせないために出してはならない』って」
「まあ、間違ってはいないよ。軽い気持ちで外に出るのは安全じゃない」
 ゼンが言うと、ヨータローは首を振った。
「過剰なんだ。このコロニーの初等教育でまず教えられることは『外は毒ガスが蔓延してる。出たら死ぬ』」
「毒ガス?」
 そんな話は聞いたことがない。どこだってただひたすら寒いだけだ。ゼンは思案する。
「俺は知ってる。本当はひどく寒くて、でも注意すれば簡単には死なないって。でも、子どもに外に対する恐怖を植え付けるため、そう教える。……もしかしたら先生方も本気でそうだと信じて教えていたのかもしれない」
「なんか、宗教みたいね」
 クドリャフカが言った。
「そう、ほとんど宗教なんだ。けど、一番ヤバいのは、これどころじゃない。なあ、二人とも、ここで何も飲み食いしてないよな?」
 二人が頷く。
 ヨータローは安心したように笑う。
「このコロニーの食べ物、水、全部に依存性のある薬物が混ぜられてるんだ。一度摂取すれば、なしではやっていけない」
「薬?それ、倫理的に大丈夫?」
「別に、取って悪影響はないんだ。キマっちゃうこともない。ただ、禁断症状がひどくて死んでしまう程度だってだけで。だから、一回ここに来たらほとんど出れることはないし、ここで生まれた人間は出られない。そんな仕組みになっている。俺たちは透明な檻に閉じこめられているんだ」
「でもヨータローはここから出たいのか。……ヨータローは依存症なんだろう?なのにここから出るなんて自殺行為だ。僕は自殺に付き合うなんて御免なんだけど」
 ゼンの問いにヨータローは力強く頷いた。
「出たい。本当のことを知ったら、知らないふりしてのうのうと生きるなんて無理だろ、普通。それに、死ぬために行くわけじゃないから、いいだろ」
「僕の友達も似たようなこと言ってた」
 ゼンは少し笑った。
「連れてってもいいよ。一人増えたってどうってことない」
「本当か!」
 ヨータローは目を輝かせた。
「出るとしたらユーキ……従兄が門番してる、二人が入ってきたあの門の他にない。やたらめったら入る門はあるくせに出る門はないんだ。それに、どこの門番だって出すために開けるのは嫌がる。あそこの門くらいしかない。できるだけ早い方がいい。今日の夜中……いや、今すぐでもに行こう!」
 ヨータローはいそいそと準備をする。
「そういえば、何でヨータローはそんなに色々知っているの?普通の人はそんなこと知らずに生きてるでしょ」
 クドリャフカが尋ねると、ヨータローは「実は、」と言った。
「昔はこんなところに住んでいなかった。結構良い身分で、家庭教師がついてたんだ。だから、知ってる。将来は為政者側になるからって、このコロニーの黒いところまで教えられたんだ。……だけど、五年くらい前に、こっちに移ってきた」
「なんかあったの?聞いて平気?」
 ヨータローは少し口ごもり、言う。
「……俺とユーキは、このコロニーの、人を家畜みたいに扱うところがどうしても嫌いだった。両親をはじめ、周りの大人はそんなこと全然疑問に思っていなかったみたいだけれど。ずっと反発してたらとうとう勘当されてさ。ちょうどいいことにユーキは次男坊で、俺は長男だったけど、聞き分けのいい弟がいたから。それで、こんな辺境に住むことになったんだ」
 ヨータローは立ち上がる。荷物はほとんどなかった。
 ゼンはため息を吐く。
「もっと防寒着。それから食料」
「だって、ゼンはそんなに軽装じゃないか」
「僕とクドリャフカは食べなくていいし、寒さにも強いんだ」
 ヨータローは目を丸くした。
「すごいな!純日本人ってのは皆そうなのか?」
「そうだよ、ニンジャだからね」
 ゼンは適当に答えた。

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荷物を持ったヨータローを見て、ユーキは「ああ」と言った。
「行くんだね」
「ああ」
「達者で」
「ありがとう」
 今生の別れだろうにやけにあっさりしていた。
 ユーキは、来たときと同じようにクドリャフカを負ぶったゼンに目を向けた。
「その子は埋葬しなかったのだね」
「骨を埋めるはここじゃないと思いまして」
「そうか。ならば気をつけて行きなさい。君たちの旅が安泰でありますよう」
 門が鈍い音を立てて開かれる。コロニーの空気とは違う、冷えた風が流れ込む。
 ヨータローは振り返らずに意気揚々と出て行った。

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 ゼンとヨータローは並んで歩く。
 ゼンより体格のいいヨータローは、クドリャフカを背負おうかと何度か提案したが、ゼンは「これは僕の仕事だ」と言って譲らなかった。
「思っていたよりずっと寒くないんだな」
 もこもこに着膨れたヨータローは言った。
「昔と比べてかなり暖かいから。きっと、今から越える山脈の向こうは、もっと暖かいと思う。春みたいに」
「春!」
 ヨータローは叫んで、ほぅとため息を吐いた。
「それはぜひ見たいな!なぁ、ゼンは春を知っているのか?」
「僕は、まあ、いろいろと事情があって知っているけど、クドリャフカは知らない。僕とクドリャフカが旅を始めたころはこれよりずっと寒かったからね。そうだよね、クドリャフカ」
 返事はなかった。
「クドリャフカ?」
 ヨータローがクドリャフカの顔を覗き込む。
「寝てる」
「……寝てるだって!?」
 ゼンはクドリャフカが濡れるのも構わず地面に降ろし、頬をはった。
「起きろ、クドリャフカ」
 ヨータローが引くのも構わず頬を叩き続けると、クドリャフカは薄っすら目を開いた。
「えっなんで私びしょびしょのぐちゃぐちゃなの?最悪」
「お前、寝てたんだよ」
 ゼンはクドリャフカを背負いなおす。
 クドリャフカはゼンにしがみつきながら「まじか」と呟いた。
「ゼン、寝てるならそのままでよかっただろ」
 ヨータローが言うとゼンは首を振った。
「クドリャフカに睡眠は必要ないんだ。だから……」
「きっと中身、脳みそ、私自身まで駄目になってきたんでしょ」
 こんなのいよいよ怪物だ、とクドリャフカは嘆いた。

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 出立して三日経った夜中、ヨータローがぽつりと言った。
「きっとそろそろユーキは処刑されただろうな」
 ゼンは複雑そうに顔を歪めるヨータローを見上げた。
「ああ、わかってたんだ」
「そりゃあ、わかっていたさ。『危険な外の世界に罪のない住民をわざと出した』んだ。
百七十七番街じゃ裁判無しで銃殺刑だ」
「わかった上で出てきたんだな」
「ユーキと約束をしていた」
 ヨータローは透き通った夜空を見上げる。
「ユーキは俺みたいに外のことを知ろうとはしなかった。百七十七番街の異常さを承知して、家に逆らったくせに、外に出る勇気はなかった。
 で、俺が外に行って自由になるために、門番になって、俺が外に出るときは協力するって」
「優しい人なんだな。ヨータローとは別ベクトルな勇気がある。人のために犠牲になるなんて、相当な覚悟がなきゃ無理だろ」
「そうだなあ」
 上を向いたヨータローの頬を伝って涙がぽろぽろとこぼれるのを見た。
「優しい人だったなあ」

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 山脈越えを始めてしばらくして、ヨータローはしきりに「頭が痛い」と言うようになった。眩暈も酷いらしく、立ち止まってしゃがみ込むこともしばしばだった。
「まただ。痛い」
「私も痛いよー」
「クドリャフカは痛くないだろ」
「痛いもん」
 クドリャフカは意識が無い時間が増え、あったとしても幼児のようにぐずる様になった。
 ヨータローが歩けるようになったころには、クドリャフカは目を閉じていた。
 立ち上がったヨータローはクドリャフカの頬を撫ぜる。とうとう顔まで腐り始めていた。
 ヨータローは震える脚を叱咤して歩く。
「もう少しペースを落とさないか。ヨータローが辛いだろう」
「いいや、このまま行こう。行けるところまで行きたいんだ」

 山を五つ越えたあたりで、節約していたヨータローの食料が尽きた。クドリャフカは寝てる時間の方が長くなった。
 ヨータローは異様な倦怠感を無視してひたすら歩を進めた。止まったらもう二度と歩けないような不安感に襲われた。
 昼も夜も関係なく歩いたが、ゼンは何も言わなかった。
 クドリャフカの身体はぐじゅぐじゅに腐り続け、とうとう下半身は骨の自重で落ちた。ゼンは骨を拾い、こびりついた腐肉をサバイバルナイフでこそげ落としてからカバンに入れた。背負いにくくなったので抱きかかえて運ぶことにした。
 ヨータローが疲労に負け、崩れ落ちるように座り込んだのは三日後の夜だった。たまらない頭痛に頭を抱え、肩で息をしながら蹲っていると、少しして隣にゼンが座った。珍しくクドリャフカは目を開けていた。
「見えるかいクドリャフカ、あれがアルタイルだよ」
 少し唸ったクドリャフカは緩慢に首を傾げた。
「アルタイル?」
「そうだよ。昔見たね」
「私、見えないわ」
「そうか、残念だ。ヨ―タローは?」
 ヨータローは視線を上げた。視界が狭まっている上に霞んでいて、全く見えなかった。
「三人いるのに見えるのは僕だけか。寂しいな」
 ゼンはため息を吐く。
「寂しいね」
 クドリャフカは今にも腐肉が落ちそうな手を伸ばしてゼンの頭を抱いた。
「何もわかってないくせに」
 ゼンは苦笑してクドリャフカを抱きしめた。

「もう駄目だ、動けない」
 ヨータローの目は血走り、関節は燃えるように痛かった。
 ヨータローは這うように進んでいたが、もう限界だった。
「ヨータロー、立てよ。あと少し頑張るだけでいいんだ」
 ゼンは一度クドリャフカを降ろし、ヨータローの手を引っ張った。
「じきに山頂だ。きっと向こうが見える。行こう」
「無理だって」
「無理じゃない」
 ゼンは荷物を全て降ろし、ヨータローを背負った。押し潰されそうになりながら、ヨータローの爪先を地面に引き摺って一歩ずつ進む。ヨータローは唸って抵抗したがお構いなしだった。
「クドリャフカ、ここで待っていられるね」
 赤子に言い聞かせるようにクドリャフカに言うと、クドリャフカは少し目を開いてすぐに閉じた。
「いい子だ」
 ゼンはただ上を目指して歩いた。
「ヨータロー」
 話しかけてももう何も反応がない。背中の心音がだんだんゆっくりになるのが怖かった。
「もうすぐ春さ、お前が見たかった春だ。コロニーの外に出て、ただそれで終わりなんてつまらないだろう。見なきゃ、死んでも死にきれないだろう」
 ゼンの首に力なく回されていたヨータローの腕が少し絞められた。
「そうだよな、見たいよな。頑張ろうな」
 息を切らし、額に汗を滲ませて進む。あと少しだ。
「昔の僕の友達のニカもヨータローみたいな奴だった。ニカはきっともうずっと前に南の海に着いて僕を待ってるんだ。ニカは陰鬱だけどこうと決めたらやり通す奴だった。ヨータローも、あと少しだけ、」
 息をのんだ。
「ヨータロー!着いたよ!見えるか!?」
 背中のヨ―タローを降ろして寝転がせて、肩を揺する。
 ヨータローは焦点の定まらない目を開けた。
「着いたって?」
 掠れた声で問うた。
「そうだ!あっちが向こうだよ」
 ゼンはヨータローの上半身を起こした。
 ヨータローは首を振った。
「悪いけど、もう何もみえない」
「っ、じゃあ教えてやる!裾野に雪はちっともなくて、ところどころ草が生えている。もしかしたら花も咲いているかもしれない。それから、ここからじゃ見えないけど、きっとこの先の海は凍っていないだろう。なあ、ヨータロー、ここから先が春だよ」
 ヨータローは、ほう、とため息を吐いた。
「見たかったなあ」

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 ゼンはヨータローの遺体を山頂に置いてクドリャフカの所に戻った。上るときは永遠にも思えた道中がやけに短かった。
 先ほどから微動だにせずクドリャフカは待っていた。
 肩を揺すると、無意識だろうが、少し笑んだ。
「クドリャフカ、一緒に行こうね」
 ゼンはクドリャフカを抱え上げる。
「さっきヨータローと春を見たよ。もうすぐきっと凍っていない海に着くから、そうしたらニカに会えるから、クドリャフカも頑張ろうな」
 クドリャフカは据わらない首をがくがくと揺らした。