寝床にしている、かろうじて風雨をしのげる路地裏に飛び込むと、いつものように妹がガラクタを抱えて待っていた。
ニカの妹、クドリャフカは目がおかしい。
かつてどこかの好事家が綺麗な目のロボットを求めて、目にガラス玉をはめこんだロボットを大量生産した。確かに神秘的な煌めく瞳のロボットが出来上がったが、あいにく認識機能が大幅にバグっていて、世に出る前に貧民街に大量に不法投棄された。
そのうちの一体がクドリャフカだ。
クドリャフカをはじめ、貧民街にいるロボットなんて大概そのようなものだ。何か問題があって処分に困って、適当に貧民街にぶち込まれた。ほとんどがしばらくしないうちにスクラップになる。運のいい数体だけが電力を確保でき、スクラップになった同じ型番のロボットを交換部品として使うことで、共喰いのようにして、生きながらえる。
ニカは自分が廃棄された理由を知らない。少なくとも、自分が認識する限りどこもおかしくない。まあ、棄てられたロボットは大半が「自分はおかしくない、まだ使える」と主張するから、ニカは自己認識ほど頼りにならないものはないと思っている。
「お兄ちゃん」
クドリャフカが今日の拾得物を広げながら
「今日は変な人に会ったよ。カラスみたいに真っ黒で、ひとりぼっちで寂しそうだったから拾った花をあげたんだ。きっと喜んでくれた」
と微笑んだ。
おおかた渡したのは花ではなく金属片やらなのだろうけど、ニカは何も言わずクドリャフカの燃えるようなブロンドの髪を撫でた。嬉しそうだからそれでいいのだ。
「俺も変な人に会った。きっと間違いなく人間なのに、しかもセントラルの人間なのに、俺と友達になりたいだなんて言ったんだ」
「バグってる。変なの」
そんなことより、とクドリャフカは目を伏せてガラクタを探る。
「今日はバッテリーを拾えたんだ。だからお兄ちゃんにあげる。お兄ちゃん最近疲れやすいんでしょ?交換時じゃない?」
差し出されたのは錆びて変色したドライバーだった。
「ありがとうクドリャフカ」
受け取って薄汚れたシャツの胸ポケットに入れた。
クドリャフカは言う。
「別に、私はお兄ちゃんが働かなくてもいいと思うのだけど。働いても何も変わりやしないのに、人間になれるわけでもないのに、それって時間の無駄じゃない?」
「無駄なんかじゃないさ。きっといつか、真面目に生きていれば幸せになれるから」
「私はお兄ちゃんと一緒にいるのが一番幸せなんだけど……きっとお兄ちゃんが幸せになるころには十五番街は滅んでるね」
そして一つ大きな欠伸をした。
「何だか難しい話をしたから馬鹿は疲れちゃった。私もう寝るね。」
瞼を閉じたクドリャフカがすっかりスリープモードに入ったのを確認すると、ニカは胸ポケットのドライバーをどこかに放り投げた。
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昨日の今日でまたセントラルに行くなんて憂鬱だったが、金のため、仕方ない。
相も変わらず暗雲が立ち込めているような陰気な顔を俯かせて汚くもない道路をやたら掃いていると、オリガの銀鈴の声がした。
「こんにちは、大変そうね」
ニカはちらりと顔をあげ、窓から顔をのぞかせるオリガに黙って一礼するとそそくさと掃除に戻った。昨日みたいに話しかけられてはたまらない。
「ひどい人」
ニカの気持ちも知らず、オリガは頬を膨らませた。
「私まだあなたの名前も知らないの」
同情を誘うような憐れっぽい声だ。
ニカがなおも黙っていると、オリガは少し切羽詰まったように叫んだ。
「ねえ、名前を教えて!私、こんなところで死んだみたいに生きて、そうして死ぬのなんてまっぴらごめんなの!私はここから出られないけど、あなたと友達になって世界を知りたいの!」
顔をあげると、オリガの不気味にぎらぎらと輝く瞳がニカを刺し貫いた。その目は、いつか鏡で見た自分の目にそっくりで、そんなつもりはなかったのにうっかり自分の名前をこぼしてしまった。
「……ニカ、ニカって周りには呼ばれている。本当は、出来損ないのS―91型の001066号」
きょとんとした顔で何度かニカと呟いたオリガは、花が咲くように蒼白の顔をほころばせた。
「ニカ、いい名前!Sなんちゃらってのより、ニカの方がずっと素敵ね」
ほめられ慣れていないニカは気まずくてもごもごと礼を言った。
「名前を知ったらもう友達だって偉い誰かが言ってたわ。ニカ、私達もうお友達ね」
「そうですかね……」
「そうに決まってるわ!」
ニカとしてはただオリガの瞳にさからえなかっただけなのだが、ニカだって出来てこの方友達なんていたことがないので適当に頷いた。
にこにこと笑うオリガが何か言おうと口を開いた瞬間、オリガが顔を出す窓の向こうでベルが小さく鳴った。オリガは顔を引っ込め、すぐにぴょこりと出す。
「検査の時間なの。私、行かなきゃ」
「検査……?」
なるほど、言われてみれば、無機質な白い箱みたいな家は、病院のようにも見えた。
「明日も生きるための検査だって大人は言うわ。私はよく知らないのだけど」
「知らないのですか」
「知らない。私、どこも悪くはないのだけど、そう思ってるのだけど、小さいころからずっとここにいて誰にも会えないの。きっと本当はどこか悪いのね。興味ないけど」
ニカはふうんと呟いた。
オリガは自分のことを知りたいと思わないのだろうか。外の世界のことは知りたがるくせに、一番身近な自分のことはどうでもいいのか。
ニカは知りたい。外の世界、雪に包まれた、十五番街の誰も見たことがなくて、けれど何百年昔の人は見ていた世界を知りたい。だけど、それより、なんで貧民街に棄てられたのかが一番知りたいのだ。どうして自分だけ生きのびたのか。自分は人間でもないのに人間の形をして、惰眠のような益のない生を貪り喰らい続けるのはどうしてなのか。
たまに、外の世界を一人歩く自分を夢想する。けれども、人の横で小綺麗な恰好をして笑顔で働く自分を想像することのほうがずっと多い。
オリガは自分に似ている。
たまに燃えるようにぎらぎらする目だってそうだし、どこか悪いのに詳しくは知らないところ、外の世界を知りたいと思っているところだって。
でも本当は全然違うのだ。
「ニカ?どうしたの」
鈴を転がすようなオリガの声が、ニカを思考の海から引きずり上げた。
「今日はこれ以上お話する時間がないけど、どうか約束して。また明日もここに来て、私とお話してほしいの」
人間と無駄に関わるなんて面倒事以外の何でもない。ニカが断ろうと口を開くと、オリガは被せるように言った。
「だって私とあなた、どこかとても似ているんだもの」
ニカはキャスケットの下で目を見開いた。
「私のことはオリガと呼んで。ニカ、私の初めての友達」
三日月のように細められたオリガのぎらぎら光る目が怖かった。
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ニカは毎日オリガのところへ行った。病院の窓から顔を出すオリガと、窓の下から声を張って話すニカ。ずっとずっと昔の小説のワンシーンみたいだとオリガは笑った。ニカはその話を知らなかった。
オリガはニカの敬語を嫌ったから、ニカはいつものように話した。オリガは「敬語でもそうじゃなくても、変わらずそっけないのね」ところころ笑った。
オリガは博識で、ニカの小さな人工知能には搭載されていないような古い話などをよく知っていた。
「昔は、十五番街の外は、こんなに氷まみれじゃなかったの」。オリガの口癖みたいなものだった。「花が咲いていて、川が流れて、息を吸っても肺は凍らない。私達人間は防護服なしで生きることができた。空には本物の太陽が光っていて、夜には降ってきそうな信じられないほど多くの星が、手を伸ばせば届きそうなくらい近くにみえたんだって。ずっと歩いたら海があって、自由に魚が泳いだんだって。私、海も魚も知らないわ」
そういった話を聞くたびに、ニカはますます外に焦がれた。
ニカは代わりに十五番街の話をした。オリガは壁の外の世界にはやたら詳しいくせに、街の中についてはてんで知らなかった。かろうじて、貧民街とセントラルの違い、人間とロボットがいることをわかっている程度だ。ニカのだらだらと長い話をいつも興味深そうに聞いていた。
「妹がいるんだ」
とニカは言った。
「クドリャフカといって、八年くらい前から一緒に暮らしている。目が良くなくて、何だか俺とは全く違う世界を見ているようなんだ。俺みたいな青い目なんだけど、あの人工の空とは違う。もっと深くて、静かな宝石みたいな、どこか懐かしい色をしている。
クドリャフカは宝物だと言ってドブ川からひしゃげたアルミ片を拾ってくるんだ。……知らないと思うけど、ドブ川はゾッとするほど汚くて、足を突っ込むと古くなったオイルが絡みつく。今の前はそこの掃除やら何やらをしていたけど、ひどいものだった。二度とやりたくない。
ドブ川にそってしばらく行くと貧民街を抜ける。まあまあ見られたところに出るんだ。昔は本当に人が多くて、常時祭りみたいな市があったんだけど、今は全然だ。ここらずっと人口が減り続けてる。きっとそう経たないうちにこの街は終わってしまうのではないかな。このコロニーができてからしばらくは近隣のコロニーと連絡が取れていたけど、絶えて久しいらしい。きっとそのコロニーは滅びたんだ、疫病か内乱か人口減少で。十五番街もそうなる。
人がまだ溢れてたころはこのコロニーはもう一回り大きかった。もう放棄してしまった辺り……あの壁の向こうには水族館とか動物園とか図書館があった。人間はそれらを切り捨ててしまった。生きるのに必死すぎて楽しむことをやめてしまったんだ」
あーあとオリガは呟いた。
「もったいないの。私水族館で魚がみたかったのになあ。ニカは相当古いのでしょう?水族館に行ったことはある?」
「ないよ」
ニカは首を振った。
「確かにもうオンボロだけど、できてすぐに廃棄されたから人間のそういう生活にそこまで詳しくないんだ。聞きかじっただけ」
「そうなの。もしニカが行っていたらもっと話をきけたのに。残念ね。いつか行ってみたいなあ、ニカと一緒に」
絶対無理だと思ったが、ニカは何も言わなかった。
オリガは初めて会った時から随分と痩せてしまったように見えた。
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クドリャフカが出かけていてニカが家にいるその時を見計らったかのようにゼンはニカの寝床を訪れた。
「そろそろこの街を離れようと思う。もう六年もここにいたからな。こんなに長く一所に留まったのはすごく久しぶりだ」
あちこちを旅する根無しのゼンは、ニカの知る限り、誰よりも世界に詳しかった。オリガよりも、ずっと。多くの人間がコロニーの中に引きこもってしまうほどの極寒の中を旅できるのかは甚だ疑問だったが、実際できているのだからできるのだろう。
ニカに、ロボットを利用するコロニーは星の数ほどあれ、こんなに人にそっくりなロボットが大量生産され闊歩するコロニーは十五番街くらいだと教えたのはゼンだった。
不思議なことに、ゼンの見目は六年前からちっとも変わらなかった。おそらく人間なのだろうけれど。
ゼンは痩せぎすの体を隠す大きなマントの前をかき合わせながら言った。
「ニカ、お前さえよければ一緒に行かないか。知ってるんだ、この街を出たいんだろう。ロボットならうっかり外の寒さで死んじまうこともないはずだ。お前だけなら連れて行ってやれる」
ゼンの真っ黒の目はいつもみたいに静かだったが必死だった。ニカが頷くと確信しているくせに頼みこむような、そんな目だった。
ニカはすぐには頷けなかった。
ゼンは目を丸くした。ずいとニカに詰め寄る。
「なんだ、外の世界を知りたいとか言うくせに、来ないのか。口だけなのか」
「……だって、妹が、クドリャフカがいるから。あの子を置いていけない」
「でも、お前とクドリャフカには、何の関係もないじゃないか。ただ数年一緒に暮らしたってだけで、当然血縁関係でもないし、なんならメーカーだって違う。そんなのただの他人だ。……そりゃあ僕だって、もしクドリャフカが人間の赤ん坊ならニカにこんな話もちかけたりしないさ。けれどあいつはロボットだ。少し目がおかしいだけで、きっと一人でも生きていける。ニカは他人のためにせっかくのチャンスをふいにするっていうのか」
「他人、だけど、それでも数年一緒に暮らしたんだ」
「……わからないな」
ゼンは深くため息を吐いた。恨みがましい目でニカを睨む。ニカは目をそらした。
「僕よりずっと人間みたいな考え方をするんだな。びっくりした。……まあ、いいよ。どっちでも。お前が来るならそれでいいし、来ないなら少し寂しいだけなんだ。情に訴えてるわけじゃなけどな、一面の銀世界を独りで歩くと、たまに気が狂いそうになるんだ。
……一週間程後に行くから、気が変わったら言ってよ」
ゼンは薄く笑って、小さな体をさらに縮こまらせてとぼとぼと出て行った。
その日、クドリャフカは帰ってこなかった。
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