ニカがとぼとぼと部屋から出ていく。
言ってしまおうと思った。
言ってしまいたかった。
今なら許されるんじゃないかと馬鹿みたいな幻想が僕を責めたてて、僕はとうとう口を開いた。
(でもきっと、言ってしまえば僕は友人も妹もいっぺんに失ってしまう)
カラカラの口からようやっと絞り出せたのは、見苦しい贖罪。
「貧民街の東側、北から三番目おゴミ捨て場。の、向かって左から二番目の山」
ニカは悲壮な顔で礼を言って、小さく謝罪した。
謝るべきは僕の方なのに。
肩を落としたニカの背を見送る。僕は部屋に一人残された。心はすっかりがらんどうだ。
部屋の隅にぽつりと後ろめたそうに鎮座しているボストンバッグを見遣る。
あの中に、クドリャフカの脳が入っている。
あの事故は本当に運が良かった。
クドリャフカははねられコンクリートの壁にひどく身体を打ちつけたらしく、僕が現場を見に行ったとき、右手右足は変な風に曲がっていて、腹から腸のように内部組織やコードがはみ出していた。ハイエナのようにパーツを求めて群がる貧民街の奴らに蹴られたのか、取れた頭が、少し離れたところに転がっていた。拾い上げた頭は幸運なことに擦り傷程度しかついていなくて、一縷の望みをかけて頭をかち割ると、脳はどうも壊れていないようだった。
僕は脳だけを持ち帰ってボストンバッグにぶち込んで、急いで出立の準備を始めた。
もうずいぶん前、十五番街に来る五十年くらい前に、どこかのコロニーが『人間をロボットにするため』にロボットに人間の脳をぶち込んだという話聞いた。結果がどうなったかはまでは知れず、俄かに信じられる話ではなかったが、もしかしたら、と、もしかしたらその逆もできるのではないか、と思っていた。
千里の身体にロボットの脳を入れたら生き返るんじゃないか。
十五番街に来て、他のコロニーとは一線を画する、不気味なほど人間味を帯びたロボットを見て、僕の夢想はより現実的な期待になった。
一番に知り合ったニカが、ロボットのくせに世界に絶望したような陰鬱な顔をして、たまに思い出したように笑って、縁も所縁もない他社のロボットを妹と呼び深く愛する、トチ狂った奴だったのも理由だ。しばらく付き合えば流石に、ニカは感情装置がどうにかしてしまっているんだと思い至ったが、それにしたって十五番街のロボットは精巧だった。
最初はニカを使おうと思っていた。僕が知る限り、一番人間くさくて上出来な奴だったから。
けれど惰性で関わるうちに、必要ない情が湧いた。
いくら年月を経ても呪いのように姿の変わらない僕を好奇の目で見ることもせず、ただ俯いて生きるニカが好きになって、友情のような同情のような、そんな愛を抱いてしまった。ニカが僕のことをどう思っているかは知らないけれど、けしてニカをスクラップにすることはできないと気づいてしまったし、できることなら孤独な旅をやめて、ニカと行きたいだなんて思ってしまった。
千里のことは大事な愛しい妹だと思っている。けれど、そのためにニカを壊すことは、もう、考えられなかった。
そんな折、クドリャフカに会えたのは良かった。僕はクドリャフカについて知ってはいたけれど、彼女はよくぶらぶらと外を歩き回っているから実際会ったことはそれまでなかった。だから彼女に対してはいくらかの情すらなかったし、無条件でニカに愛される彼女が多少恨めしくもあった。
ドブあさりをするクドリャフカの海色の目は凍っているかのように冷淡だったけれど、めまぐるしく変わる表情やよく回る舌は、ほんの少し千里に似ている気がして、ああ、こいつでもいいかもしれない、と思った。
ニカに同行を断られて、やっぱりクドリャフカを壊すしかないと決めた矢先だったから、だから、あの事故は運が良かった。自分で手を下すのは僕も抵抗がある。
十五番街を発つその日、コロニーの外で凍らせてる千里の身体にクドリャフカの脳を入れよう。
何百年来に千里に会えるかもしれないというのに、じわりじわりと心臓を焼く罪悪感のせいで僕の心はちっとも踊らない。
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いつもの馬鹿みたいに大きなマントに、クドリャフカの脳と小型の折り畳みテントを詰めた大型のボストンバッグ、丸めた毛布の入った鞄を背負って、腰に巻いたベルトに引っ掛けたサバイバルナイフと拳銃、ウエストポーチにわずかの日用品とか医療品とか。食べなくても死なないから、必然、食料は皆無。荷は軽い。
十五番街唯一の外への門は、いつもは寒さや異邦者を防ぐため固く閉ざされている。
もう五年以上も前になるが、入るときは三日も止められて疫病の検査やら精神鑑定やらで大変だった。他のコロニーも大概そうだ。閉鎖空間に未知の伝染病とか治療法やワクチンが失われてしまった病とかを持ち込まれたら、コロニー全滅だってあり得るし、そんなコロニーはいくつか見たことがある。
けれど外に出る分には、人口の減っているところだと多少引き止められはするが、案外楽なものだ。
適当に手続きをして、さあ出ようとしたとき、門の陰で幽鬼のようにゆらりと人影が揺れた。ニカだった。
「ニカ!やっぱり一緒に行くって?」
「違う」
ニカはゆうるりと首を振る。憑き物が落ちたような顔をしていた。
「クドの目を見つけた」
握りしめた手を僕の眼前に突き出したニカは、それを開いた。小さな海が一つころりと転がった。
「俺はもう十五番街にいる理由がなくなったから旅に出ようと思うけど……けれど、ゼンとは一緒に行けない」
ニカはきゅっと引き結んだ。
「凍っていない海を見つける。西に行くと海があるだろう。そうしたら、そこからずっとずっと南に行く。そうして、クドや友達が見れなかった海を見つけるんだ。これは俺一人でやらなくちゃ。……俺は死なないから、いつかまた、きっと会えるかもな」
「……そうかな」
「きっとそうだ」
「ニカが死ななくたって、僕は人間なんだから死んでしまうかもしれないよ。今から極寒の外を行くんだ」
「それでも、いつか会いたい」
「僕が南に行くとは限らないじゃないか」
「俺が南に行くと言ったから、ゼンはいつか来てくれる」
「驕りすぎだ」
「でも、ゼンは来てくれるんだろ」
少し笑ってニカは言う。
「知らなかったんだけど、名前を知り合ったらもう友達なんだって。だから、俺とゼンは友達らしいよ」
「友達?僕とニカが?」
癪だけれど、少し嬉しかった。僕はニカに親近感を覚えていたけれどニカはまったくもってそんな素振りは見せなかったから。
ニカは空色の瞳を煌めかせた。
「友達なら会いに来るのが道理だろ。俺だってゼンが友人なんだから見送りに来たんだ。
いつか、どこかの海で待ってるよ」
ブロンドの髪を揺らしてニカは背を向けた。
この前までと随分態度が違うし、ずっと生き生きとしている。
ニカにこの変化をもたらしたのはクドリャフカの喪失か、そうでなけりゃさっき言っていた海を見れなかった友人だろう。僕じゃないのがどこまでも悔しかった。
クドリャフカについて嘘をいったことが、友達の妹を利用することがギリギリと僕の良心を締め付ける。鼻の奥がツンと痛んだ。
やけくそで僕もマントを翻して門の外に出る。
涙も凍らす酷寒の風が身を切り裂いた。
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