はじめの人





 クドリャフカの歩みは亀のようにのろくて、しかもよく転ぶくせに、口の方はきゃあきゃあと猿のようによく回る。
 ゼンがクドリャフカを置いていこうとすると途端に喚きだし、責めたて、罵り、隣を歩けと強請り、ゼンの良心にうったえる。
 センリの死体とともに一人旅をしていた頃の何倍も鈍くしか進めず、洞窟から旅を始めて一年ほど経った今でも、新しいコロニーを見つけることはできない。
 クドリャフカがよろめいて膝から崩れ落ちた。
 手を差し出すと唸りながら縋りついて立ち上がる。日常茶飯事だった。
「まったく、嫌になる」
 クドリャフカは真っ黒の目を伏せた。
「毎日開けても暮れても、っていうか太陽が見えないからいつが昼かわからないけど、とりあえず一面雪景色なんて!」
「そういう世界なんだ、仕方ないだろう」
「にしたって単調すぎる。木なんてほとんどないし、起伏もない平野だし」
 クドリャフカは足を引き摺るように歩きながら文句をたれる。
 歩きやすいようにわざと山地を避けているのは、なんだか癪だから黙っていようと思った。
 黙って歩き続ける。ここしばらく、吹雪が続いていて視界が悪かったのだが、よりいっそう吹雪いてきた。クドリャフカのペースが一段と落ちる。
「……今日はここらへんで休むか」
「え、私まだまだ行けるよ。のろいけど」
「効率が悪いんだ。お前と違って僕は疲れるし」
 ボストンバッグから折り畳みテントを取り出し広げる。クドリャフカはその隣に犬のように丸まる。暗黙の了解だった。ただ流石に幾分罪悪感もあるので毛布はクドリャフカに贈呈する。
 クドリャフカは休息を必要としないから、ゼンが休んでいる間ずっと見張りをしている。外を出歩く物好きは滅多にいないので会う可能性は限りなく低いのだが。
 テントにもぐりマントに包まって目を閉じていると、クドリャフカが外からテントを揺らした。
「前々から思ってたけど、ゼンはそんな軽装で寒くないわけ?」
「多少寒いよ」
「毛布返そうか」
「雪でべちゃべちゃだろう。今日は結構」
「ご飯も全然食べないし。人間は食べなきゃ死んじゃうんじゃなかったっけ」
「食べられない化け物の前で食べるのは酷だろ。こっそり食べてたんだ」
「嘘。……ねえ、ゼンって本当に人間?」
 ゼンは何も答えない。
 寝たと思ったのかクドリャフカは黙った。
 ゼンは目を閉じる。
 もう何百年も少年のまま変わらない姿に、食べずとも死なず、凍えても動く身体。果たしてこれを人間と言っていいものか、わからなかった。ほとんど死体じゃないか。
 動き続ける心臓と、活動し続けるとどっと疲れる身体。それだけがゼンが生きている証拠だった。
 聞こえてないと思ったのか、クドリャフカが「私のこと化け物化け物って言うけど、ゼンも大概だよね」と言った。
 まったくその通りだ。

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「ゼン、吹雪止まったよ!起きて起きて!」
 クドリャフカの歓声を目覚まし代わりに目を開けると、テントをガタガタ揺らされた。
「すごいの見つけちゃった!やだ、クドリャフカちゃん超優秀!」
「うるさい」
 顔を出す。吹雪はやんでいて、珍しく太陽が雲の隙間から少し覗いていた。
「見える?あっちのほう」
 はしゃぐクドリャフカが南の方を指した。
 目を凝らす。
 銀の地平に、僅かな光を反射して煌めく、尖塔のようなものが見える。
「コロニー……」
「案外近くまで来てたんだね!何日かかるかな!一日で行けるかな」
 クドリャフカが目を輝かせる。
「きっと無理だ。あそこまで五キロくらいあるけど、クドリャフカはそんなに歩けないだろ」
「え?いやいや行けるよ?五キロとか全然余裕」
「十歩ごとに転ぶのに?昔の感覚で話すな」
「……」
「もともとお前は歩くのが遅いし、雪で足場も悪いから、一時間で五百メートルも進めないんだ。でもきっと、明日か明後日には着けるだろうな」
クドリャフカは少し考えて、高らかに宣言する。
「じゃあ今日は、いつもより頑張って歩きます!でもって、明日には着く!そうと決まったら早く行かなきゃね。テント畳むね」
 張り切ってテントに向かい、転んだ。

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 そのコロニーは一面ガラス張りだった。すりガラスのようになっていて、中の様子はよくわからない。
「冷えちゃわないのかな」
 クドリャフカがそびえ立つコロニーを眺めながら呟いた。
「ガラスに加工がされている。寒さを弾き、中の温度を逃がさない。きっと内側は温室みたいなんじゃないか」
 軽く叩くと硬質な音がした。
 十五番街は高さはそこまでではなく、わりと平べったかったが、このコロニーは随分と違っていた。直径はおそらく十五番街の四分の一もないだろうが、高さが桁違いだった。
 ゼンとクドリャフカはぐるりと外周をまわり、門を探す。なかなか見つからず、コロニーの横で一夜を明かした。
 半周と少し行った辺りで、ガラスで豪奢に装飾された門があった。門はぴったりと閉じられている。
「誰もいないね」
 衛兵の詰所を覗いたクドリャフカが言った。
「こんなことってある?」
「いや、めったに」
 嫌な予感がした。
「普通は兵士が控えてるはずなんだ。余所者に勝手に入られちゃ困るだろ。でも、いないってことは……」
 ゼンは少し迷って、言った。
「昔訪れたコロニーでもこんなことがあった。僕は困ったから無理やり押し入ったんだけど、そのコロニーの住民は全員死んでた。おそらく原因は空調が壊れたことだと思う。外と変わらないほど寒いコロニーだった。凍え死んでるのが大半だったけど、食料を奪い合って殺されたらしい奴もたくさんいた」
 クドリャフカは息をのんだ。
「ここもそうなのかな」
「どうだろう。原因は色々あるだろうけど、中に生きてる人はいないと考えるのが妥当だ」
 閉じられた門は、押して開く気配はない。
 詰所を調べる。すこし埃っぽかった。門を開く仕掛けらしいものがあったが、さっぱりだった。
「よし、割ろう」
「割れるの?」
「為せば成る。そりゃあ門とかは防弾ガラスだろうけれど、詰所の方に、衛兵用の扉があった。そっちを割る。おあつらえ向きにアサルトライフルがある」
 詰所に入り、壁に掛けてあったアサルトライフルを取る。
「撃つの?」
「いいや。どのくらい前から放置されてるかわからない物を撃つほど勇敢じゃない」
 弾倉を確認、入っていない。セイフティーはかかっている。
 クドリャフカを部屋から追い出し、マントをすっぽり頭まで被る。
 アサルトライフルを持ち替えて、バレルを握る。振り上げ、銃床を思いっきり扉に叩きつける。
 大げさな音を立てて扉が砕けて、破片があちこちに飛び散った。
「ば、蛮族だ……」
 部屋におずおずと入ってきたクドリャフカが、惨状に呆れた。
「こんな音にも誰も駆けつけないってことは、やっぱり駄目か」
 ガラスを踏みつけて門内を覗く。外より暖かいが、そこまでではない。石畳の地面に、レンガ造りの家や商店が立ち並ぶ。天井はあまり高くない。十メートルほど。中心に大黒柱のようにガラス造りの塔がある。きっと上層へ上がる階段か昇降装置でもあるのだろう。しかし街にはまったく人気がなかった。
「ゼン」
 まだ詰所にいるクドリャフカが申し訳なさそうに言った。
「私、ここ歩いて平気かなぁ」
 そういえばクドリャフカは裸足だったことを思い出す。雪原では靴を履いていようがいなかろうが関係ないからすっかり忘れていた。
 センリのものだった靴はぼろぼろで、旅に出て数日で底が抜けた。そのつもりで見たら、クドリャフカの衣類はボロ同然だった。
 クドリャフカ自身は痛覚が鈍いのでガラスの上を歩くのは全く平気なのだが、再生能力がない。傷ついた足は傷ついたままなので、怪我をすればするほどぼろぼろになる。クドリャフカはセンリの身体を大事にしていた。
 ゼンは抱えてた荷物を一旦置いて、冷たいクドリャフカを背負い、中に入れてやった。
「ごめんね、ありがとね」
 降りたクドリャフカは意気揚々と辺りを見回す。
「人っ子一人いない!広い!」
 叫び、走り出そうとしたので、ゼンは慌てて腕を引いた。
「転ぶぞ」
「慣れっこですが」
「雪とは違う。転んだら怪我するんだ、わかるか?いつもの十倍慎重に歩け」
「はーい」
 クドリャフカはゆっくり歩く。
 アサルトライフルはとりあえず持っていくことにした。
 放射状の道に従い、とりあえず中心を目指す。
「人もロボットもいないし、煙突もない。電線もない。変なの。あんまり技術が発展しなかったのかな」
「いいや、わからない。人ってのは、あるところまで発展すると懐かしがって昔に戻ろうとする。電線を埋めて、空気を浄化して、木を植え始める。十五番街はそんなことしなくて、やけに変なとこ止まりだったけど。……もしかしたら、このコロニーだって地下に電線が埋まってたりするかもな。
 それに、この中はやけに明るい。発電施設がまだ稼働してるか、それかよくできた採光装置があるんだ。それなりの技術はあるらしい」
「ふーん」
 二人はゆっくりと歩く。
「クドリャフカ、あそこに衣料品店がある。あそこで服と靴をなんとかしろ」
「りょーかい」
 衣料品店は閉まっていたのでショーウィンドウをアサルトライフルで叩き割った。銃床に少し傷がついた。
「蛮族やば……」
 クドリャフカは店内に入り、鏡を見てひえっと声をあげた。
「私こんな見た目なのか……。マジでゼンとそっくり。ええ……」
「文句あるか」
「うんそりゃまあ元々の自分の身体が一番に決まってるよね」
「この期に及んでそれを言うなよ。さっさと選べ」
 クドリャフカはふらふらと店内を物色した。
「センリには何が似合うのかな……髪も目の色もすっかり違うからあんまり見当つかないや」
「何だっていいだろ。動きやすくて丈夫なのが一番だ」
「センリが可愛い格好してるの見たくないの」
「中身がお前だと思うとどうでもいい」
 結局クドリャフカは可愛くないとぶつくさ言いながら紺の長ズボンに同色のジャケット、耳あてのついた帽子を選んだ。
「一昔前の空軍パイロットみたいで絶妙にダサくて良いと思う」
 ゼンが褒めると「素材を活かしきれなかったんだ……」とごねた。

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