僕らスターゲイザー





 八十一番街の近くで、雨にほど近い雪が降った。もしかすると、雪のような雨だったかもしれない。
 クドリャフカは「随分と南にきたんだ!」と喜んでいたが、ゼンは違うと思う。西南西の方にずっと歩き、八十一番街から南に変えたから、それなりに南だがそこまでではないはずだ。そもそもこの世界が氷に包まれてから赤道で凍死者が多発した。生半可な寒さではないのだ。それなのに雨が、北の地で雨が降った。
 世界は春を迎えようとしている。

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いかにも「放棄しました」といった具合のコロニーだった。
門は開け放され、昔整備されていたであろうメインストリートがわずかに雰囲気を残すのみ。崩れた家が大半で、崩落したのか、天井はほとんどなかった。外同然の寒さだ。
 ゼンとクドリャフカは連れ添って夜道をゆっくり歩く。
 冷たく透き通った空には数多の星が見えた。異常だった。普段は分厚い雲が昼夜問わずたちこめているのに。きっと気温も零度くらいだろう。
 ゼンはこれほど晴れた空を寒冷化以降見るのは初めてだった。
「ゼン、あれは何」
 クドリャフカが指をさす。
「星」
「うんそれはさすがにわかるんだけど、具体的にはなにかなぁって」
「多分、アルタイルじゃないかな。もうあまり覚えてないけど」
「パッと言えるのはすごくない?好きだったの?」
「まあ、それなりにね」
 ゼンはもごもごと言葉を濁した。真っ黒の目に瞬く星が浮かんでいる。
「本当に昔、宇宙飛行士になりたいなあとかぼんやり思ってたんだ」
 クドリャフカは首を傾げる。
「うちゅーひこーしって、何それ、知らない」
「この世界から出ていく人のことだ」
「そんな人いたの?」
「いたんだよ」
「いつ?」
「三百年前」
「そんな昔の話なの」
「僕は、その頃から生きてるんだ」
「嘘みたいだけど、きっと本当なんでしょ」
 クドリャフカは微笑んだ。
「教えて、私の知らない昔の話と、センリの話」

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ずっと昔、僕らがまだ宙を目指していた時代を僕は知っている。愚かにも宙を見上げ続けたせいで足元をすくわれて、今じゃ宙を目指すどころか飛行機すら飛ばないけど、あの夢中な時代も悪くなかったと思う。少なくとも、ニカみたいに下は向いてなかった。上だけを見ていた。

 僕と千里は東の島国に住んでいて、三つ違いの兄妹だった。
 僕は宇宙飛行士になりたくて、地球の外を知りたくて、片田舎の中学校だったけど必死に勉強していたし、高校からは首都に行けることになっていた。
 そんなとき、僕が十五のときの冬、世界はすっかり変わってしまった。
 今から考えたら真夏みたいな、でも当時はニュースになるほど寒い日。
 大人たちが騒ぎ出して、だけど僕らには何も伝えられなかった。
 学校は早帰りになって、家に着くと父も母もいて、山登りするんじゃないかってほどのもこもこの服を着ていた。僕と千里にもそうするように言って、二人はありったけの服とかインスタント食品とかをキャリーバッグに詰めたんだ。
 僕らは南米に飛んだ。
 飛行機の中で父さんが話してくれた。
「これからどんどん気温が下がり始めて、終わらない冬が来るらしい。世界は全部凍ってしまうんだ」
 当然僕はそんなこと信じられなかった。だって、今日まで平穏無事に暮らしていたのにいきなりそんな風なこと起こるわけないだろ。実際、飛行機は混んでいなかった。日本人は誰もそんな話信じていなかった。絶対デマで騙されてるんだって言った。
「デマならデマでいいじゃない。家族旅行ができてラッキーだって思いなさい」って母さんが言って、千里も楽しそうだから僕はもう何も言わなかった。
 南米に着いて一週間くらいはどうってことなかった。夏にしては肌寒いなって程度。
でも二週間経ったころ、上着を着なきゃ到底やってけないくらいになった。そのころから移住者が増え始めた。噂で、日本の首都機能が麻痺したと聞いたのもそのころ。
三か月して、移住者はほとんどいなくなった。寒すぎて上空でガソリンが凍るってことで、飛行機が飛べなくなったから。海もすっかり凍ったらしい。皆焦って、壁で都市を囲み始めた。これがコロニーの始まり。たまに雲の切れ間から見えた星は、まったく見えなくなった。天井に空を投影なんて技術、当時はなかったから。無機質な灰色のドームだった。
僕ら家族は早めに来たからコロニー内に住めて、住む場所も食べるものも確保していたけれど、遅く来た人たちはそうじゃなかった。コロニーの外に追い出されて、それでも生きようと必死だった。
僕はそこでも勉強していた。英語で開かれる特別学校に通って、噛り付くように勉強した。いつかこの冬が終わって、遠くない未来日常、日常に戻れるって信じていたから。千里も僕の真似をして、英語が苦手なくせに学校についてきた。
そのころ辺りから僕はおかしかった。まずは爪が伸びにくくなったと思った。一か月に一回も切らない。髪も全然伸びない。食欲も湧かないし、無理して食べたら吐いた。食糧不足だったから食べずに済むのは万々歳、僕の分の食事はほとんど全部千里にあげていたけど。
気付かないうちに死んでしまったのかもしれないと思ったけど、夜は眠いし傷ついたら痛かった。
両親は僕を病院に連れて行きたがったけど、医療費は目玉が飛び出しそうなほど高いし、別に不便もないから放っておいた。

移住してから二年経った頃、コロニーを暴徒が襲った。入れず、どうにか外で生きてた奴らだ。
壁を砕いて、天井を爆破した。空調機器も壊したんだ。
 学校から帰ると家がなかった。父さんも母さんもいなかった。僕は千里に僕の分の防寒着も着せて、父さんがよく着ていたマントを着た。僕より少し低いくらいの背になった千里の手を引いて、父さんと母さんを探しに行った。
 コロニー内なのに外みたいに寒かった。……南米だったし、早期だったから、今の外ほど寒くはないんだ。ちゃんと防寒すれば生きられる程度。でも、千里はがたがた震えていたし、僕は更に薄着だったから死にそうな気分だった。死なないんだけど。
 狭いコロニー内を探し回っても父さんと母さんを見つけられなかった。道端には暴徒に殺されたらしい人が転がってたから一人一人ひっくり返して顔を確認したんだけど駄目だった。
 なんで僕らが殺されなかったかっていうと、千里が自分の顔にべたべた泥をぬって汚したからなんだ。僕はこの通り貧相な見た目だ。千里だって東洋人だから小柄だし、薄汚れている。防寒着は死体から剥いだんだと言えば、絡まれはしても殺されはしなかった。
 決心して、爆破された穴から外に出た。コロニーから引きずり出されて凍死したらしい、薄着の死体がごろごろ顔を雪に突っ込んでいた。
 僕は片っ端から引っこ抜いて確認した。一日じゃ終わらなかった。空調が壊れていてもコロニー内のほうがまだマシだから、夜は廃墟みたいになってしまった家に帰って、朝になると外に出た。
 三日したころ、ガチガチに凍った父さんと母さんを見つけた。寄り添って死んでいた。千里は大泣きしたけど、僕は疲れていてちっとも泣けなかった。僕は父さんを、千里は母さんを引きずって家に帰って、裏庭に埋めた。地面が凍り始めていて、掘るのが大変だった。
 崩壊したコロニーにいても仕方がないし、僕らは別のコロニーに移ることを決めた。家の中の保存食を全部持って、毛布と盗んだテントを盗んだソリにのせた。どこに別のコロニーがあるのか、そもそもコロニーはあるのか、人類はどの程度生き残っているのか。情報は全くなかったから、僕らはとりあえず赤道をめざして北に進路をとった。

 ひどく寒かった。
 いくら歩いても終わりが見えない。ただ変わらない銀世界をただひたすら進む。
 最初は悲しみを振り払うみたいに千里はよく話した。馬鹿みたいだけど、将来の話とか。
「教師になりたいんだ」
と千里が言った。「僕は宇宙飛行士になりたかったんだ」と言ったら「なりたかったじゃなくて、なりたい、じゃない?」って言われた。僕はいつの間にか将来を諦めていたんだって気づいてしまった。
 好きな人の話もした。千里はこっちで会った、ロシア出身の子が好きだったって言った。どんな子だったのか聞いたら「一緒に英語の勉強をしたんだ。この前外に捨てられてたから、お兄ちゃんも見たことあると思うよ」って言われて思い出した。いい子だったよ。

 歩き始めて一か月しない内に食料がほぼ尽きた。
 センリはすっかり痩せて、何も話さなくなった。かわりに僕が沢山話した。
 夜は千里が凍えないように抱きしめて寝た。
 吹雪がひどかった日、千里はとうとう動けなくなって、「死にたくない」って言いながら目を閉じた。
 僕は負ぶって歩いた。だんだん心音がゆっくりになるのが怖かった。
 半日でコロニーに着いて、特別に審査なしで入らせてもらって医者に見せたけれど、そのときには千里は死んでいた。
 僕は孤児だからそこに定住することは可能だったけど、僕はそうしなかった。千里の着ていた防寒着を全部売って、必要そうな物を買いこんで、そのコロニーを出た。
 そこから僕は色んなコロニーをまわって情報屋になった。最初の旅で情報がどれほど価値あるものか知ったから。
 百年ちょっとくらいアメリカ南北大陸あたりをうろついて、それから凍った大西洋を歩いて渡ってイギリス、それからフランス、イタリア、地中海を渡ってアフリカ、中東、アジア、そうしてロシア―十五番街まで来たんだ。

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「センリは好きな人がいたんだね」
 いいなあ、とクドリャフカは言った。
「私も恋したかったなあ。センリとかエリザとかみたいにさ」
「怪物のくせに無茶言うなよ」
「ゼンだって三百年モノの怪物のくせにー」
 クドリャフカは空を見上げた。
「いいなあ、昔の人はあの星のことを知っていたんでしょ。私、人工知能なのに、そんなことちっとも知らなかったの、何でだろ」
「飛行機が空を飛べなくなったから、当然宇宙に行くためのロケットが動かなくなった。その時点で宇宙開発は停止した。そっから後は、他のテクノロジーが死んだのと同じさ。技術者が死んで、技術都市が消えて、技術が失われる。もう宇宙関連はロストテクノロジーなんだ。きっとどこのコロニーだって宇宙に気を配るわけないさ。手元でいっぱいいっぱいだから」
 二人はゆっくり歩く。
 東の空が白み始めていた。
「ゼンは今の世界は嫌い?」
「……さあ。そりゃあ家族全員死んで、世界なんて終わりだ、いっそ滅んでしまえなんて思ったこともあるよ。いつまでも終わらない冬に絶望したこともある。
 けれど……今は、少し、この世界が好きだ。少しずつ春に向かっている。クドリャフカ、わかるだろう、少しずつ暖かくなっている。もう二度と訪れないと思った春に向かっている。だから、今も昔も、好きだよ」
「うんうん、好きなのはいいことだ!」
 クドリャフカは嬉しそうに左方向を指さす。
「ねえ、見て!日の出!私初めて見た!すごい綺麗ね!捨てたモンじゃないわ、この世界」
 ゼンは目を細めて東を見る。
 雪に反射する日光が網膜を焼いた。
「もし本当に世界が春になって、昔みたいに暮らせるようになったら、僕は宇宙に行けるかな」
 ゼンが呟くとクドリャフカは頷いた。
「私はうちゅーひこーしがどれだけすごいかは分からないけれど、きっと行けるよ」
「クドリャフカ、そうしたらいっしょに行こう。二人で行こう」
「私はもう無理よ」
 クドリャフカは笑顔で転んだ。
「身体が持たないわ」