二、藤ノ瞳に酔ひ痴れる

 心操人使には友人がいる。藤の瞳が綺麗な儚い見た目の割に、声は低く、心操の知る誰よりも男前。絶対に生涯誓って誰にも言わないけれど、漠然としていた憧れを確固たる形とした心操人使のヒーロー。
 きっと彼が、雄英高校普通科に所属することとなる心操人使のオリジンである。

 ◇

「八十万藤四郎」
「はい」
 入学式の途中、出席番号順に読み上げられた名前に空気が騒めいた。返事をした少年の声は既に声変わりが済んでいるのだろう―酷く大人びていて、それが少年の外見とはちぐはぐだと、他の生徒の緊張した上擦った返事を聞きながら心操人使は思った。
 八十万といったら、ここらでは名の通った名家だ。丘の上にある住宅街の大きなお屋敷に住んでいて、心操自身小学生の頃に友達と一緒に見に行ったこともある。そんな家の子息が、通っていたはずの私立の名門小学校から何の間違いか、市立の中学校にやってきたのだから保護者席が騒めいた。
 まして、その彼の外見がそれはそれは整っているのだ。入学式後も、ひそひそと其処彼処で彼の噂話は飛び交っている様子だった。さぞ居心地が悪かろうと彼をちらりと伺うが、彼は気にも留めずに真っ直ぐ前を向いて歩いていた。
 担任が書いたであろう黒板の出席番号順ではなく自由席で、という文字を確認して、心操は小さく息をついた。心操の個性は「洗脳」―人に好まれる個性ではないことは、自己紹介のたびに再三確認させられている。他人に抱かれる感想には辟易していた。そのせいで深く付き合っている友人はおらず、こういう時にどうしても孤立してしまう。
 出席番号順ならどれだけよかったか―と辺りを見渡して、遠巻きにされている八十万藤四郎に気が付いた。彼は人気のない最前列の端、窓際に一人着席していた。時より一年間同じ教室で過ごす同級生達がそちらを伺うように視線を向けるが、何の反応もせずぼんやりと窓の外を眺めている――そんな様子に、すでに同じ学校の出身者でグループになっている奴らの側よりまだ楽そうだと、そう思った。
「…俺は、名部小出身の心操人使。適当によろしく」
 カタと音を立てて、八十万の後ろの机の椅子を引いて席に着く―らしくなく、個性を使ったわけでもないのに緊張して喉が鳴った。こちらに顔を向ける彼の動作がゆっくりに見えた。
 ぱちり、ぱちりと二回瞬きをしたその薄い瞼で、彼の淡い紫色の瞳が見え隠れする。
「俺っち、八十万藤四郎。藤四郎って呼んでもらえると有難い。よろしく頼むぜ、心操」
 ニッと口角を上げて、やっぱり低い声で彼は自己紹介をした。

 隣の席に座って話をするたびに感じてはいたものの、学校生活を過ごせば過ごすほど、八十万藤四郎が運動神経抜群、頭脳明晰、眉目秀麗、そんな単語をまとめて具現化したかのような人間であることが見えてくる。誰にも言ったことはなくとも、雄英高校ヒーロー科を目指している心操も頭はいい方だと自負しているが、彼はそれ以上なのだろう。
 最初に上がっていた、成績が悪いせいで私立中学校に入学できなかったという噂も、疑問点を聞けば先生よりわかりやすく教えてくれ、体育のチーム戦では下手な生徒も邪険にせず、どんなスポーツでもカバーしてくれる様子に一週間で消えてなくなった。初めは彼に遠巻きにしていたクラスメイトも、一か月もすれば我先に友人になろうと休み時間ごとに彼のもとに集っていたのだから、現金なものだと心操は思っていた。

「八十万ってなんで心操と一緒にいるわけ?ひょっとしてあいつの個性知らない?」

 それは皆が八十万と友人になりたい中で、一歩先に友人として親しくしていた心操への嫉妬が入り混じっていたのだろう。日誌を担任に提出し、心操が教室に戻ってきた時、教室の中からそんな声が耳に飛び込んできた。
「あいつの個性、洗脳だぜ?」
「俺聞いた時ビビったもん。敵じゃん、敵」
 けらけらと笑いながら小学校が同じだっただけの、心操とは話したこともない彼らは八十万に告げてしまう。とても嫌な響きに息が詰まり、ずんと腹が重くなる。ぐう、と息を吐き出して息を止めて、入り口の前でしゃがみこんだ。「敵みたい」「怖い」「俺に使うなよ」小学生の頃から繰り返し繰り返し言われてきた言葉が、耳の中で反響する。もう何も聞きたくない――両耳で手をふさごうとしたとき、あの低い声が心操の耳に届く。
「そう言うお前らの方がよっぽど敵っぽいんじゃねえか」
 シン―と静まり返った教室内、部活動が始まっている上級生の走り込みの掛け声だけが聞こえている―八十万は気にした様子なく、からからと見た目に似合わない、存外男らしい笑い方で笑って見せる。けれど、その声はカラリ枯れていて、実際それほど笑っていないのではないかと心操は思った。
「まったくよお、どいつもこいつも個性個性・・・ほんと阿呆らしくてたまらねえな」
「な・・・ヒ、ヒーローになりたくねえのかよ!お前!」
「あ?別になろうとは思ってねえなあ。興味ねえし」
 全少年の憧れである職業をすっぱりと切り捨てて、八十万は椅子から立ち上がったらしい。「じゃあな。あんまり俺の友達のこと悪く言うなよ」とそれだけ言って出入口―心操がしゃがんでいる方に向かってやってくる。あ、と思ったときには教室の横開きの扉がガラガラと音を立てて開かれる。
「さて、んじゃ帰るかあ?心操」
 ご丁寧に心操のスクールバックを差し出して、八十万は口角を上げて笑って見せた。「・・・気付いてたのかよ」悪態付きながら、鞄を受け取る。差し出してくるに捕まって立ち上がれば、いつの間にか息はしやすくなっていた。
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