静かだった。
控えめ、と言うより、消え入ってしまいそうな、むしろ、自ら望んでいるかのような、そんな声。
最後に聞いた声とは、似ているようで、少し違う。
電話口では分からない表情が、どんなものなのか、心配になった。
早く、早く。
このゴタゴタが起こる前に抱いていた感情と、同じ言葉の筈なのに。
期待と焦燥では、意味がまるで違う。
「…、なまえ」
いつもなら、待ち合わせ場所に着くのは、俺の方が早い。
彼女の方が、仕事の終わる時間にバラつきがあるし、長引く可能性がより高いからだ。
そんな彼女が、今日は、先に立っていた。
細身だが、決して背は低くはない筈の彼女が、やけに小さく見えた。
「…、能勢、さん、」
「悪い、待たせたか」
「…いえ、」
元々多くない口数が、更に減るのではないか。
そう思わせるような空気を、彼女は持っていた。
心臓の音が、煩い。
思ったより緊張している自分が、情けなかった。
「…ウチ、来るか」
ピクッと、小さいが、確かに反応した細い肩に、不安と期待がない交ぜになる。
込み入った話だし、俺も彼女も、人目を気にしやすい質だから、家が一番話やすいんじゃないかと思った。
それだけだった筈だ。
それでも、恋人の家に行く、と言うことに、恥じらいだとか何だとかを、頭や胸に巡らせたのかもしれないと思うと、強張っていた脳が緩む心地がする。
と同時に、
肩が小さく跳ねたのは、拒絶を意味するのではないか、
もう、俺には、嫌気がさしてしまったのではないか、
そんな、ほの暗い不安が、確かに存在する。
小さく頷いた彼女の心中は、今の俺には、全くわからない。
「紅茶で良いか?」
小さなちゃぶ台の前に座った彼女が、小さく、首を縦に振る。
仕事終わりなのだから、腹が減っている筈だし、昨日作ったカレーが残っているから、あたため直して出すべきなのかもしれない。
こんな話でなければ。
自分の勝手な見解かもしれないが、食事しながらなんて、とてもじゃないが話せない。
様々な決意や覚悟を、不安や憤りを、言葉にしようとしているのだから。
なまえが、店で食後に頼むのは、いつも紅茶だった。
俺は、いつもはコーヒーだが、彼女が毎回飲むものだから、最近では、同じものを頼むことが増えた。
紅茶も悪くないな、と思ったのがひとつ、
家に招いた時に出せるな、そう思ったこともあって、紅茶葉を買っておいた。
開封するのが、こんな形になるなんて、な。
これが、ちょっとした、まじないにでもなれば良い。
ガラにもなく、そんなことを考えてしまった。
「熱いから、気を付けろよ」
「…はい、ありがとう、ございます」
マグカップは手渡さず、ちゃぶ台に置いた。
彼女の皮の薄い手では、カップに触れるのも熱いだろう。
同じように、自分のカップを置くと、コトン、という音が、やけに大きく響いた気がした。
「…なまえ、」
どう切り出そうか、ここ最近、そればかりを考えていた。
何て言えば良い?
結論は決まっていても、順序や言い回し、特に、入り方は重要なのだと、頭では、分かってはいる。
『アイツのことは、大丈夫だから』
『巻き込んで悪かった』
『何もされてないか?』
頭の中を、いくつもの台詞が駆け抜けるが、どれもしっくり来ない。
その内、見つからない台詞探しに疲れたのか、頭がぼうっとして来て、何を考えているのか、よくわからなくなる。
それを、素早く、ひたすら繰り返しているようだ。
「…元気、か?」
ぽつり、口をついて出た台詞に驚いたのは、誰よりも俺だろう。
今、それを言うのか。
そうじゃないだろ。
胸中での掛け合いを放って、この口は、言葉を続けるようだ。
「…、会い、たかった」
弾かれたように顔を上げたのは、二人同時だったかもしれない。
自分の口から零れた台詞に、カッと顔が熱くなる。
嘘じゃない、確かにそうだが、
こんなこと、しかも、こんな時に、
「…能、勢さ…」
か細い声の先には、ぼろぼろと泣き出す彼女が映って、何がなんだかわからなくなる。
あぁ、俺が泣かせたのか。
華奢な体を抱き寄せると、何となく、あの二人の言いたいことが、わかったような気がした。
ダージリンに溶かそうか
***
H25.10.6
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