「…あれ、市役所ってこっちだっけ?」



控えめに落とされた声に、はっとした。

今、自分たちの置かれた状況を、改めて知ったみたいだ。



「…おー」



ちょっとばかし、頬が赤くなってやしないか心配で、つい、相槌もおざなりになってしまった。

ぐっと、左にハンドルを切る。



「不備、ないと良いね」



ちらっと、鞄の中を見る姿に、心が躍る。

ようやくか、そんな思いで満ちてくる。



「…そうだな」



思い返せば、喧嘩って訳じゃねぇが、よく怒鳴り合ってたな。

こんなに遠慮なくどついてくる女もいねぇと思う。



「…ねぇ、富松、」



そうだ、ずっとそうだった。

出会った時から、今この瞬間まで。

それが、ずっと不満だったんだ。



「おめぇ、いい加減、それはねぇだろ」



むっとした顔をしていることは、自覚してる。

幾度となく、怖いからやめろと言われてきているが。

無意識なもんで、どうにも変えようがねぇ。



「あー…、作、兵衛、」



限られた時にしか聞かない響きが、これからずっと続くのかと思うと、小さな感動を覚える。

にやつく頬を叩きたいが、運転中に手を離すと、横から頭をはたかれる、もしくは、晩飯ん時の酒を取り上げられるから、自重しておく。



「…何だよ」



照れくさい気持ちでいっぱいだが、それはきっと、コイツも同じ筈だ。

目の端に映る耳が、ほんのり色付いてる。



「…やっぱり、道、違う気がするんだけど」



言いにくそうにこぼした台詞に、さーっと血の気が引くのを感じた。

そうだ、さっきのは左折じゃねぇ、右折だ。
ここは一通だから、ぐるっと回って引き返すしかねぇ。

ハンドルに手汗が移る。



「次で、戻れたっけ?」



耳に入ってくる声に、力なく頷くしか出来ない。
左を向くことも出来ず、ただただ真っ正面を睨み付ける。

間違えたあの道に戻ろうと、再び左折した辺りで、小さなため息が聞こえてきた。

思わず、ビクッと肩が揺れる。

まずい、こんな、こんな凡ミス、普段ならやらかさないのに。
いくら、俺のこと、よく分かって受け入れてくれるからって、こんな、こんな日に…
偉そうにする割りに、おめぇは俺が守るとかデカイこと言ったくせに、目的地にすら連れて行けてねぇなんて、本当に情けねぇ。
こんなじゃ、いつ愛想尽かされても仕方ねぇよな…
…本当は、愛想なんてとっくに尽きてるんじゃねぇのか?
挨拶も済んでるし、ここまで話が進んじまったから仕方なく…
だとしたら、はっきり言ってやらねぇと。
今からでも遅くねぇ。
そりゃあ、俺としては、断腸の思いだが…
本音を言えば、鎖か何かで縛りつけてでも離したくはねぇが…
コイツの為を思うなら、俺の、想いなんて…



「…なんて顔してんの」



目を細めて、視線だけをこっちに寄越すなまえに、恐怖がより現実味を帯びる。

俺なんかより、コイツの幸せの方が大事だと、頭じゃあ分かってんのに。
俺の全てが、それを拒否してるみてぇだ。
それこそ、情けねぇ。
やっぱり俺に、なまえを貰う資格はねぇ。



「まーた変な妄想してんでしょ。馬鹿なこと考えてないで、式のことでも考えなよ」



じっとりと俺を見る目は、呆れてはいるが、あたたかく感じる。

心なしか、微笑んでいるような気もする。



「道間違えたくらいで、愛想尽かす訳ないでしょ。しっかりしてよ」



私の旦那はアンタしかいないでしょーが。

そう言って笑う彼女を、抱き締めたい衝動をぐっと堪える。

頭をはたく手の加減は、やっぱり心地良かった。








(そばにいる)





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