閉店30分前にして、ようやく一息を吐く。
今日は、忙しくて良かった。
仕事のことだけを考えていられる。
この後のことは、その時まで忘れていたい。
…なまえのことを考えたくないなんて、思う日が来るとは思わなかったよ。
乏しい表情と、遠慮のない物言いが、彼女から人を遠ざけてる。
自分に厳しい、とはちょっと違うけど、決めたことは貫くから、調和は得意じゃない。
頑固と言えばそうだけど、認めて納得してしまえば、後は引かない。
裏表がなくて、白黒はっきりしてる。
さっぱりとした性格のウケは悪くないし、多くはないみたいだけど、友達付き合いだってそれなりにある。
…知ってるのに。
たぶん、彼女の周りにいる人間の中でも、よく知ってる部類に入るのに。
最近のなまえが、何を考えてるのか、よく分からなくなった。
それが、不思議なくらいに、こわい。
変わらないものなんて、きっとないのに。
「…おつかれ」
中を伺うように、控えめに入ってくるなまえに、はっとなる。
いつの間に、店を閉めたんだろう。
他のスタッフは、いつ帰ったんだろう。
手元に視線を落とせば、やるべきことはやり終えているようで、習慣ってすごいな、なんて、ぼんやりと思った。
「おつかれ。座って」
いつもの流れ。
考えなくたって、体に染みついてる。
どれだけ頭が忙しくて、ぼんやりしていても。
「ショートだよね。好きにして良い?」
小さく頷く頭を見つめて、そっと息を吐く。
いつも通りだ。
端的な希望だけ口にして、あとはおまかせ。
落ち着かないのは自分だけか。
そう思うと、妙な寂しさが胸を染める。
…変だな。
なまえには、バレてないと良いけど。
「…後ろ、結構切るけど、良い?」
ただ、頷く。
彼女がよくやる仕草だ。
無口でも、口下手な訳でもない。
単に、物ぐさなだけ。
黙っていることに、他意なんてない。
知ってるのになぁ。
目の前にいて、
触れてさえいるのに、
どこか、
遠く感じる。
頭が、心が、
随分と騒がしい。
「…どう?横はある程度残してるけど、後ろは短くしたから、軽いでしょ」
持った鏡に目をやりながら言い放つ自分には、違和感、この言葉がよく似合う。
予感は、予感のままで終わってほしい。
取り越し苦労であってほしい。
頼むから、まだ、
「うん、楽。ありがと」
なまえの長い髪は、好きだった。
マメじゃないし、そういうことへの頓着のない子だから、特別綺麗、って訳じゃなかったけど。
よく似合ってたし、本来持っている筈の女らしさが垣間見える気がして、何だか嬉しかった。
ダメ元で言ったことだったから、まさか本当に伸ばしてくれるとは思わなかったけど。
その髪型を気に入ってる、なんて、伝えたことはなかった。
一言、口にしていたら、切りたい、なんて、言わなかっただろうか。
…いや、同じかな。
なまえはいつも、自分で決めるから。
「短いんだから、ちゃんと乾かしなよ。どうせ朝からブローは出来ないでしょ」
少し深めに頷く。
なまえはギリギリに起きて、最低限で家を出るから、髪を整える習慣なんてない。
釘をさしておかないと、無造作ヘアとも言いがたい、ボサボサ髪のままで外出してしまいそうだ。
しっかり乾かさずに寝れば、寝癖がつくのは避けられない。
くくれば良いや、はもう使えないから。
「タカ丸」
ふわふわと、ゆるみきった酔っ払いの時とは、全く響きが違う。
名前を呼ばれるのが、こんなに嫌だなんて。
…違う。
嫌なのは、
「もう、切ってくれなくて良いよ。今までありがと」
希望が、必ずしも通るとは限らない。
どんなに願っても、叶わないことだってザラにある。
そんなこと、分かってるよ。
「…どうしたの?髪、気に入らなかった?」
そんな意味じゃないって、知ってる。
なまえは、本当に気に入らなければ、はっきり言うから。
変に隠したりしない。
あぁ、嫌だな。
体が、心が、重くなっていく。
「それとも、彼氏に何か言われた?」
彼氏、だって。
よく言えたね。
どんな奴なんだろうか。
背は高いの?
歳はいくつ?
なまえのこと、どれだけ知ってるの?
…俺よりも?
「…、ごめん、嘘」
"嘘"
彼女には、似合わない言葉だ。
正直すぎるのが、なまえだから。
ねぇ、どうしたの?
俺は知らない。
そんななまえは、知らない。
「…彼氏、出来てない」
自分に流れる血という血が、一気に沸き立つのを感じた。
***
H28.7.12
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