この世の憂いを寄せ集めて、ぐつぐつと煮詰めたような、
…そう言えば、大袈裟だと笑うだろうか。
今しがた吐いた溜め息は、そんな色を含んでいたように思う。
彼は、何とも頑な人だ。
己を強く信じ、地に足をつけ、前を向いている。
自らにも他者にも、妥協を許さない。
そんなだから、恐れられてしまうし、敵も作りやすい。
本人は、気にしているんだか、いないんだか。
何分、言葉の足りない人なので、私には、推し量るのが困難になることがしばしば。
慣れてしまったと言えばそうだが、胸に広がる違和感は、どうも好きになれない。
「…ねぇ、」
一度溢した水が、盆に返ることはない。
それはそうだろう。
だけど、私たちは、水ではない。
溢した言葉は返らないけれど、
同じ場所、関係には戻らなくても、
形を変えて、先に進むことなら、出来るんじゃないの?
「…、それで、良いの?」
沈黙は、肯定なのだろうか。
彼は、決して素直ではないし、一概には言えない。
…それは、離別を望まない、私の希望でしかないのだろうか。
そうでないことを願うしか、私に出来ることは、ないのだろうか。
…本当に、
「…決めたことだ」
そう言って、私を突き放すのは、心からそれを望んでいるから?
それとも、一度決めたことは違えないと、嘘にならない為に、強行しようとしているだけ?
私だって、そうだった。
嘘は嫌いだし、二人で決めたんだから、これで良いんだって。
でも、この体は、私の心に対して、意識よりも従順であったらしい。
どうしても、諾を、口に出来ない。
…どうしても、終わりにしたくない。
「…文、次郎」
零れ落ちるように紡いだ声は、震えていた。
…そうか、私、泣いてるのか。
そういえば、彼の前で泣いたことなんて、あっただろうか。
ふと、記憶を遡ってみたけれど、すぐには思い当たらなかった。
「…ヤ、ダ」
こんな弱々しい声が、自分から出ていることに、不思議と、違和感はなかった。
止むことのない涙をそのままに、少し朧気になった彼を見つめる。
こんな姿を晒したって何だって、離したくないのだと、気づいてしまったから。
どんな返答が来ようとも、受け止めてやろうじゃないか。
「…、俺が傍にいることが、お前にとって、悪影響だと思った。お前は、そうそう人に甘えねぇし、頼らねぇ。だが、世の中には、お前が弱さを見せれる相手もいる筈だ。ソイツと結ばれる方が、お前にとって良いに決まってる。俺といれば、お前は気が利くから、俺の意向を汲んで、自分を抑えてしまう。だからといって、俺はお前の気持ちを分かってやれない。それじゃ、お前の負担が大きすぎる。俺は、お前が幸せになるのが一番だと思ってる。これでも、惚れた女の幸せを願うくらいの器量はあるつもりだ。…ただ、お前の顔を見ると、決心が鈍る。離したくなくなっちまう。だから、」
どんな返答でも受け止めよう、
そう、思ったのだけど、
まさか、こんな形で返って来るとは思わなくて。
あぁ、やっぱり、体はこんなにも正直。
こんなにも、彼を求めてるって、分かりやすく示してくれるんだから。
「…ッ、馬鹿、なまえ、はなれっ…」
「ヤダ」
意地でも離さない。
私の頑固さは、よく知っているでしょう。
あなたと比べても、何ら遜色ない程だって。
これはもう、性格だから、そう簡単には変わらない。
それはそれで良い。
だけど、少しずつ、ほんの少しずつでも、角を丸くしていくことは、出来る筈でしょう?
私たちに必要なのは、きっと、そんなこと。
この手を離すことじゃないよ。
「私、結構愛されてたのね。初めて知った」
「初めてかよ…」
「文次郎、言わないから」
「…俺だって、お前が月並みにか弱い女だって、初めて知った」
何それ。
アンタの目に、私、どんだけ強靭に映ってたの?
お互い様だってこと、今、漸く知った。
案外、似ていたことも。
なんだ、こんなことか。
こんなことで良いんだ。
難しく考えるのは、私たちの悪い癖。
それが分かったから。
もう、良いんじゃない?
「文次郎、」
「………」
「まだ、別れる、なんて言う?」
「…あー…、でも、だな、」
「私のこと好きなの、嫌いなの、どっち」
「……好きに決まってんだろーが」
「別れたいの、別れたくないの」
「………」
「残り、さーん、にーい、いー…」
「あぁもう別れたい訳あるかバカタレッ!!」
「だったら決まりね。はい、おしまい!」
顔を赤くして不満げに睨みつける姿が、可愛いと感じるのだから。
そんな私を、好きだと言うのだから。
私たちは、お似合いってことで、良いんじゃない?
ネモフィラは知っている
***
H25.10.4
ネモフィラ(花言葉:私はあなたを許す)
ALICE+