(彼女が焦がれるもの)

「あ、ウラニア」

ポールは廊下の向こうを歩く、クッキング仲間…であり味覚音痴矯正生徒…であり、PCIB同僚でもあるウラニア・ファウストを見かけた。

「今日も今日とてクールだ」

お〜とおでこに手をあて誰にいうわけでもなくポールは言った。
彼の声に知った名前を聞いたことで、顔を上げたアベルもそちらを見る。
確かにポールの目線の先には、真っ青な上着を着た彼女が颯爽と歩いていた。

颯爽と……

「?なんか元気なさげ?」

こてと首をかしげるポールのセリフは、付き合いの浅い人間には到底わかりきれないものだろう。
ウラニアは、表情筋が働かないことでも本部内で有名だ。
なにを考えているのか読めない。それが長所であり短所であると。

そこそこ交流を重ねた彼らは、なんとなく、彼女にも感情はあって、表情は変わらずとも出す雰囲気が変わることを知った。

よく知らぬ者が見ても、いつも通り颯爽とクールに歩くであろう彼女は、彼らの目にはどこか元気がないようにも見えた。

「仕事でも忙しいのかな。差し入れのお菓子…」
「さあ。…いつも研究はしているようだが」
「お菓子と聞いて少しそわそわしない」

そんな会話が、自分の知らぬところで行われていたことは、ウラニアが知る由ではない。



数時間が経過して、一息をつこうとコーヒーを買いに出たアベルは、向かう先でぼんやりと空を見上げるウラニアを見つけた。

『…お疲れ様です。ファウスト』

癖のように、彼女と話す際に使う祖母の母国の言葉で話しかけた。

途端、びくりと小さく彼女の肩が跳ねた気がした。

「…?」

跳ねて、ひと置き。

いつもなら、あらアベルさん。と振り返るはずだが、振り返る様子はない。
訝しげに眉を少し寄せたところで、彼女がゆっくりと振り返った。

「、」

振り返って見えた顔に、アベルは動揺したような、そうでもないような。
アベルが普段、その彼女の顔を見ることがほぼありえないことだったのは確かだ。

振り返った彼女はぼろりと涙をこぼしていた。
縋り付くような目に、悲しげに寄せられた眉が意味するのはなにか。

「なん、」

『…っあぁ…!タレイア…!
よかった…!無事だったのね…!!!』

なんだの“だ”を言い切る前に、ウラニアは飛びかかるようにアベルの方へとやってきた。

『ごめんなさい…ごめんなさい タレイア…!
ワタシ、ワタシの力が、未熟なばかりに、貴女に的外れな注意を…!
それで、それで、あなた、貴女が、しっ、しん、しん だ のかと…っっ』

これは本当にあのウラニア・ファウストか?というほど、彼女の表情は目まぐるしく変わる。
安堵と、悲しみと、恐怖と。

アベルのスーツをギュッと力一杯掴んでいる手は、細かく震えていた。

『ワタシ、ワタシを許してタレイア、貴女、貴女は生きるべきだったのに、貴女は…っ』

彼女の目にはなにが見えてるのか。
どうすることもできないアベルは、直立不動だった。

なにが、どうして…普段と違うのは元気がなさそうで、声をかけて振り返ったと思ったら泣いていて、顔も赤く……赤く?

はたとなにかに思い至ったアベルは、しがみつくウラニアを剥がしおでこに手を当てた。

熱い。

熱いのだ、この女。

『ファウスト?あなた、風邪をひいていませんか』
『なに、タレイア。あなた風邪でもひいたの?声がずいぶん低くなっているわ。それとも、水を被る天啓だったの…!?
タレイア、タレイア…?貴女、分裂する能力にでも目覚めたの……?』

引き剥がしたウラニアの目は、ぐるぐると宙を回っているがごとく、定まっていない。
加えてこの言動。確実に風邪をひいているのは彼女だ。

『…あぁ、分裂していて、きれいなあか、ふえた、わね。ワタシが青で、貴女が赤。いつも、そんな感じに、服とか…を…きていた…わね…タレイア…お願い………いか、ないで…』

次の瞬間彼女は仰け反り、卒倒した。

もはや何なんだ。

立て続けに目の前で起こった出来事は、流石のアベルも処理がいささか追いつかない。

「アベル〜お菓子焼けたからウラニアのところ、うわなに!?」

助けが来た、と背後からかかった声に振り返り、同居人を見る。

甘い匂いに一瞬フワ…としかけたが、それどころではないだろう。

「え、まさかアベル……」
「違う」

ウラニアを倒した…?と続けそうな雰囲気に、スパリりと否定の言葉を吐く。

「ファウストが熱で倒れた。手を貸せ」
「えっ熱?忙しいとかじゃなく、風邪だったのkうわあっつ!え!?バカみたいに熱いよアベル!?!?」
「手袋をしていてもそこそこ熱が伝わったからな…」

これで仕事していたのか…?という雰囲気が2人の間に流れる。

「と、とりあえず介抱しなきゃ。
ウラニアの家って……?」
「知らん」
「だよね〜…ルームメイトいるとかっていう話もしてたっけウウン…どうしよう…」

ひょいとウラニアを担ぎ上げ、ウウンと悩み声を上げるポールを横に、アベルはぼそりと呟く。

「…タレイア…」
「え?タレ嫌?」
「Thaleia。ギリシャ神話の女神…ムーサの1人だ。…それから、ウラニア……Urania…か」
「???」

以前祖母から聞いたことのある話だ。
女神由縁の名を与えられた2人が、友人だったことはどこか必然にも思えた。

ーワタシが青で、貴女が赤。

制服があんな真っ青だから、合わせるために寒色をわざわざ選んでいるのかと周りが思うほど、彼女は暖色、とくに赤系統の服は着なかった。
大して興味もなかった、他者がしていた議論の答えを、アベルは1人手に入れてしまったのだ。


倒れる前に聞こえた行かないで、は追いすがるような、ひどく懇願したような声音だった。





「本当に、ごめんなさい」

深々と頭を下げる様は、これがジャパニーズDOGEZAか…?と思うくらいには腰がおられていたが、座してはいないので土下座ではないのだろう。

あれほどあの時動いていた表情筋はピクリともせず、されども醸す雰囲気は大変申し訳ないというものであった。

「風邪治った?よかった〜あんま無茶したらダメだよ」
「面目ないわ……少し、立て込んでて…こう、3徹くらいいけるだろうと思ったのだけれど…」
「いけないからね?何となくキリッとしないで反省して?」
「えぇ……」

ション、と犬の耳が下がるような。そんな雰囲気を出したところで、ウラニアはアベルへと向き直る。

『ごめんなさい。貴方が見つけてくれたのよね?ありがとう』

淀みなくドイツ語を話す彼女は、あの時の取り乱しの面影は全くない。

『…いえ、大事ないようなら何よりですが。自己管理は大事ですよ』
『仰る通りだわ……全く記憶がなくなるほど、無理をするものじゃないわね…』

ふっと目を遠くにやった気がした。

「、覚えていないのか。なにも?」
「?ごめんなさい…?ワタシ、何かしてしまったのかしら…?」
「いや、…いい」

本当に覚えがないのか、思い出そうとしているのかウラニアはいささか眉を寄せた。
しかし、アベルはすぐかぶりを振る。

「そう…?
ポールさん、アベルさん。お礼をさせてちょうだいな。
美味しいスイーツ屋の情報を持ってきたの。
お詫びにご馳走をさせて」

ウラニアは少し首を傾げたものの、当初の目的を果たそうと、話を変える。

覚えていないのなら、とくに深掘りする話でもなく。

アベルはそのまま、スイーツの方へと意識を傾けたのであった。


………

(ウラニア。貴女が青で)
(貴女が赤ね。タレイア)

(私たち、ずっと友達だわ。だって運命だもの。この名前も、色も!)
(ふふ。そうね。貴女が楽しければワタシは笑い、)
(貴女が悲しければ、私も共に悲しむわ)


これからもきっと良き親友。
大好きな貴女。





彼女が焦がれるもの
(失われた片割れが如く)
(燃える炎のような赤は、深き青のそばにはいない)

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