(アスチルベ)

そこに、鉢植えがあった。
土だけが入れられた、何も生えていない鉢植えが。
彼はそれに、興味がなかった。
だから彼は、その鉢植えがなんなのか。何か植えられているのか、植えられていないのか。などといった情報は何も持ち得ていなかった。
ただそこに鉢植えがある。
彼がわかるのはただそれだけで、彼はこれ以上気にしたことはなかった。

その空間は、いつも曇っていた。今にも雨が降りそうな、といった雲ではない。
しかし、雲は太陽の光を鉢植えに届けることはなかった。


ある日、彼は不思議な体験をした。
いつもと同じ毎日。いつもと同じ変わり映えのしない光景。
そこに飛び込んできた、一人の少女を見た彼は、その目を瞬いたのだ。

その空間は、彼に呼応するように雲が晴れた。
サァッと雲たちは散り、その後すぐ太陽の光がさす。
さんさんと鉢植えに光が注がれ、おや。なにか芽が生えてきたようだ。
けれども、彼はまだ鉢植えに興味がない。
だから、芽が生えたことすら気づかない。


出会った少女は、彼の心に染み渡る雨のように、彼の心に根付いて行った。
初めて抱くこの気持ちはなんなのか。
彼はさっぱり理解ができていなかった。
もっと近くにいたい。
もっと話したい。
けど、近づきすぎるとどうしたらいいかわからなくなる。
だからといって、彼女が自分の目の届く範囲にいる限りは、目を離すことができなかった。

彼女は静かだった。
紹介を受けた当初も、よろしく。と変わらない表情で短く告げられた。
けれども彼は知っている。
彼女の強かさも、彼女の優しさも。
だから、周りの彼女をよく知らない人物たちの、安易な彼女の評価が嫌いだ。
なにを話しているのか、なにを卑しい視線を寄越しているのか。
彼女が関わると、どうも不機嫌になることが多くなった。どうしていいのか、分からずただ揺さぶられることも少なくない。
今までこの心は、人々によって揺らされることはなく、波の立たない海原のようだったのに。

彼はまだ気づかない。
鉢植えから生えた芽が、すくすくと育っていることを。
そうして、今か今かと、その芽が花開こうとしていることを。


「ロロ」

静かで、柔らかな彼女が彼の名を呼ぶ。
花が綻んだように、自身に向かって微笑む彼女を見てあぁ。と彼は息を吐く。
心が喜びで波打つ。自然と広角が笑む。
そうだ、そうだ。これが愛おしいという気持ちだ。
初めて抱いた、この気持ち。
それがなんなのか、ようやっと彼は気づいたのであった。

鉢植えは、大輪の花を咲かせ、穏やかに太陽に照らされていた。


アスチルベ
(なににも囚われず自由に漂う彼は)
(恋の訪れを認識した)

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