(私を思い出して)

記憶喪失のサレナとともに過ごしてしばらく。
その間、世間のことを教えたり、部屋のある植物が何か教えたり。
植物に関してはサレナが育て始めたんだがな、とコルは思いながら、過去サレナに教えられた通りに教えた。

「ねえ、この草、何?花は咲かないの?」
「…ローズマリーっすね。これもサレナさんが育ててたやつです。
料理にも使えるって」
「へぇ、いい匂いだね」

そう言いながらサレナはローズマリーへと鼻を寄せ、すんと鳴らす。

「ジテルペンかな」
「そう言うことは覚えてるんすね」
「少しだけね」

少しだけ、と指で表すサレナを、コルは目をすがめながら見た。

「…それで、生活には慣れました?」
「おかげさまで。レギュラスくんが教えてくれたおかげで。
どうやら俺は物覚えはいいみたいだ」

ルンバの使い方はもう完璧だよ、と胸を張るサレナに、そうですね。と小さく頷いた。
サレナの記憶力の良さは、コルは知っている。

能力のことを言うべきか、言わざるべきか悩んだまま、言わないでいる。
能力で苦しんでいたなら、言わないほうがいいのか?
けれども記録は、サレナの意思に関係なく続けられる。
どうするべきか、考えあぐねていた。

けれども、記録が続くと言うのなら、コルには早急にしなければならないことがある。
サレナがある程度一人で暮らせるようになったなら、…腹を括ろう。と、サレナを見る。

「サレナさん」
「うん?」
「オレ、引っ越す予定だったんす」
「え?そうなの?」

驚いた様子のサレナに、はいとコルは返事をする。
一時的に間借りをしていただけなのだと。

「えっじゃあもしかして俺が記憶喪失になったから、その予定を遅らせてたり…?」
「…そりゃあ、置いていけませんよ。右も左も分からない人間、投げ出す奴います?」

いたら人間性疑いますわ、と言いながらコルは笑う。
どうか真意には気づかないでくれと。

コルは、一連の流れをサレナからの返事だと思うことにした。
『アナタが嫌と言わない限りは、勝手にそばにいます』
それが、コルがサレナが卒業する日に言った言葉だ。
サレナは当たり前に、そのことを忘れてはいなかっただろう。

コルを含めた記憶を捨てたのは、きっと拒絶だ。
だからコルは、なるべくこの真白になったサレナの“記録”に残らないよう、早々に立ち去る必要がある。
どうにか一人で生きていけそうならば、あとは自分以外の誰かをサポート役に添えておけばいい。

当たり障りがなさそうで、面倒見が良さそうな人物に目はつけている。
多分あの人なら、無碍にはしないだろうと思う。
そう考えながら、コルは脳裏にあの俺様寮長の背を思い浮かべた。

「手を煩わせてごめん」
「いえ、いーんすよ。オレが好きでしたことですし」
「……今日、もう行くの?」
「………っすね」

壁際に置いていたリュックをコルは見つめ、小さく頷く。
当ても何も決まっていない、この人の前から消えるためだけの旅へ、コルは出る。

「どこへ引っ越すの?また会える?」
「……遠くへ。詳細は言えねーんです。すみません。
そうだ、これ。何かあったら連絡してください」

そう言って、コルはあの男、レオン・ヴォルドの連絡先が書かれた紙を渡す。

「……わかったよ。何から何までありがとう」
「いえ。………そんじゃ、戸締りや火の元には気をつけて」
「子どもじゃないんだから」
「ハハ、そっすね」

リュックを背負い、玄関へと向かい自身の靴を履く。
その後ろをサレナもついてきて、どうやら見送りをしてくれるそうだ。
トントンとつま先で地面を叩くと、くるりとコルはサレナを振り返った。

いつもの真黒の瞳が、自分を見つめる。
ぐっと溢れる何かを噛み締めるように飲み込む。
そうだ、踵を返せ。動け足、と思いながらもそれはなかなか動かない。
やっとの思いで一歩、動かしたところで。

「またね」

サレナがそう言って笑った。

それを見たコルは、弾かれたようにサレナに飛び付き、自分より小さなその体を抱きしめる。

またねは多分、ない。

「………はい、また」

ぎゅうっと、サレナの体温がわかるように、自分にうつるように、その身を抱きしめる。
これが最後だ。
回されたサレナの腕に、堪えていた涙が溢れかける。
それを拭い、コルは唇をかみながらサレナから離れた。

「……さようなら」

多分きっと、最後の言葉はほとんど泣き顔に近かっただろう。
驚いたサレナの顔が、コルの見る最後の表情だった。



ローズマリーが、風に揺れている。

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