(一番あんたに)

おくるの前で泣いてしまったあの日。
大丈夫、と言うと気を遣ってか、おくるはじゃあ俺帰るす、と言って帰っていった。

…甘えるだけ甘えて、また返事を返していない。
本当、自分勝手だな。私は。

落ち込んでる場合じゃない。おくるの話は、なるべく早く返さないと。
明日、うん、明日……明後日…いや、来週でも、いいかな……

恋愛ごとは慣れていない。初恋はもう終わってはいるが、それはやつと決別する前だ。…映里に対する気持ちは、憧れや羨望に近かったのかもしれない。でも確かに、好きだった。
あの時の気持ちを私は再び持てる勇気がない。
だからこそこう…返事を、困っているのだが…

なんて怖気付きながらゆかりべの開店を意味する暖簾をかける。
さて、と中に入ろうとした時

「guten Morgen!!」

聞きなれない、いや、聞いたことのある声に私はその声がした方を見る。

「やあ、暫く見ない間に綺麗になりましたネー市子!」

かぶっていたシルクハットを片手で持ち上げ、にこりと笑う男。
青みのある、薄灰色の髪に、黄水晶の瞳。

「会いたかったよ」

私はこの男を、知っている。

「っ帰れ!!!」

勢いのまま言葉を吐き捨てる。
どうして、どうしてどうしてどうして、今更…!!

「市子、どうし…あっお、お父さんだよ〜覚えて…る…?」

へらへらと笑い伺うような表情。
その笑みに私の頭にカッと血がのぼる。

「お前なんか父親じゃない!!帰れ!!お前に跨がせる敷居は、ないっ!!
嫌いだ、お前なんて…!どうして今更、何年…っ何年経ったと…!!」

「お、落ち着いてくれよ市子…!確かに僕はとても、君たちを待たせマシた。けど」

「けどもクソもない!!
今更帰ってきても、母さんはもういない!!
もう、死んだ!!!」

母さんの死を告げた時、目の前の男が息を飲んだことがわかった。
瞳が動揺で揺れている。

「ち、づるこが…?」
「母さんが死んだのも、全部全部お前のせいだ!!
お前が、自分のことしか考えてなかったから…!!嫌いだ、嫌いだ…!!
もう顔も、見たくないっ!!!」

店の中に入り、思いっきり戸口を閉め、ズルズルとその場にへたり込む。

「…ごめん、市子」

扉の向こうで、弱々しいあいつの声が聞こえた。
そしてゆっくりと気配が遠ざかる。

(どうして)

「どうして、本当に今更…っ」

ぐちゃぐちゃだ、心の中。
苦しい、辛い。

ぎゅうっと、泣きそうなのをこらえながら、胸元を握りしめた。





一番あんたに
(会いたかったのは、母さんなのに)
(母さんは、もういない)

topへ