ぱちりと目が覚めた。数秒間、ぼんやりと木造の天井を眺める。木目を数えながら、うちの天井は白かった筈だと思い返す。三十ほど数えたところで、微睡んでいた意識が一気に浮上した。勢い良く起き上がると、頭に掛けられていたらしい濡れタオルが音を立てて布団へ落下した。
それを拾い上げ、辺りを見渡す。看病をされている辺りどうやら死後の世界ではなさそうである。恐る恐る胸元に手をやる。包帯が巻かれている様子はなく、軽く押してみたりもしたが痛みはなかった。あれは夢だったかと一瞬期待したが、矢が刺さった位置には既に乾ききった赤い液体がべっとりと付着している。目眩を覚え額を押さえた。
私は死んでいない。大きく息を吸い、吐いた。恐ろしい記憶を思い返すと何故助かっているのか不思議ではあるが、兎に角私は生きている。今まで当たり前だったそれが震える程嬉しかった。涙が溢れてくるのも、仕方無い。
暫く泣いた。声を殺して静かに泣いた。嫌で堪らなかったあの家に帰りたくてしょうがない。
「名前さん!」
突然名前を呼ばれ、体が大袈裟にびくついた。顔を上げると、何処か安堵した様な表情のドッピオくんがいた。彼が持っているお盆にはタオルと洗面器が乗っていた。
良かっただの嬉しいだの言いながら彼は歩み寄ってくるが、私は無意識の内に来るなと叫んでいた。ドッピオくんが固まる。その隙に私は部屋の隅に逃げた。当たり前だ。直接手を下してないにしろ、彼も私を殺した一人に変わりない。また殺されるかも知れない。泣いてないで早く逃げれば良かった。恐怖に耐えきれず、私はまた涙を流した。
「名前さん、怯えないで、僕はもう何もしないから…」
「いや…こないで、お願い、お願いだから、どこかへ行って…!」
ドッピオくんは眉を下げたが、私はもう彼が信用ならないのだ。私は可笑しくない。一度自分を殺そうとした相手に誰が好き好んで近寄るだろうか。しかし私が泣いてせがんでも、彼は出ていこうとしない。寧ろ悲哀に満ちた表情で、尚歩み寄ろうとするのだ。
彼がお盆を足元に置く。私が壁に張り付く。彼が私を見る。腕を伸ばす。
「名前さん」
「嫌ァ!」
もう彼を視界に入れることすらしたくない。目を閉じ金切り声で叫ぶ。全身に鳥肌が立った。早く逃げ出したくて仕方が無かった。
暫くそのまま震えていると、私の耳に聞き慣れた声がした。「…名前、さん」はと目を開き、彼を見やる。あまりの驚きに私の涙はぴたりと止まった。
其処にいたのは、私の長兄であるジョナサンだった。ドッピオくんが何処へ行ったのかは知らないが、彼が立っていた場所でジョナサンは戸惑った様に自分の手と私を交互に見る。私はしばし固まっていたが、そのエメラルドの瞳と視線がかち合った時、駆け寄って逞しい体に抱き付かずにはいられなかった。
ー助けに来てくれたのだ!どうやって此処を突き止めたかは知らないが、ジョナサンがいればもう何も恐くない!
私は酷く安心し、その胸に顔を埋めて泣いた。兄弟の前で泣くのは何年ぶりだろうか。しかしジョナサンは何時までもあの、だのえと、だのと狼狽えるばかりだった。ジョナサンらしくない。頭を上げて顔を見ると、眉を下げて私を見下ろすジョナサンと目が合う。その表情が先程のドッピオくんと被り、思わずジョナサン?と問い掛けた。
「それはジョジョではないぞ」
返事は別の方向から帰ってきた。ジョナサンの向こう、部屋の入り口に、襖に手を駆けたディオが立っていた。昨晩の出来事がフラッシュバックする。思わず顔を背けると、ディオは喉を鳴らして低い笑い声を上げた。
「やはり素質はあったようだな。それが貴様のスタンド能力という訳か」
人を小馬鹿にした様な笑みを浮かべ近付いてくる彼に体を強張らせると、ジョナサンが私を背中に庇う形でディオと向かい合った。「名前さんをもう恐がらせないでください」ジョナサンは何故私に敬称を付けるのだろうか。ディオは片眉を上げて私とジョナサンを見比べた後、フンと鼻を鳴らした。血液とよく似た色をした瞳が私をじっと見詰める。駄目だと分かっていても逸らせなくなるのは、昨晩と同じだ。私が視線を逸らせないのをディオはよく理解しているのだろう。瞳が愉快そうに歪んだ。
「これで貴様はようやくあの忌々しい兄弟達と同じになった訳だなァ、おめでとう、名前よ」
*
私はまだ荒木荘にいた。涙はすっかり枯れ果て、体の震えも治まっていた。気持ちも落ち着いている。私と現在在宅している此処の住人、合わせて計七人はあのちゃぶ台を囲んで腰を下ろしていた。私の右隣には吉良吉影さんという日本人がいる。つい先程顔を合わせたばかりの初対面であるが、日本人であることと常識を持ち合わせていそうだという点で隣に座って貰ったのである。左隣はカーズという半裸の外国人にお願いした。半裸という点で抵抗感はあるが、残った他四人の誰かが隣に座るのはとても耐え切れなかったのだ。
私の強張った表情とは真逆に朗らかな笑顔を浮かべたプッチが、事の全てを簡潔に説明した。あの"スタンド"はプッチの妄想では決してなく、実在するものだったらしい。あの矢に貫かれた人間は素質さえあれば死ぬこと無くスタンド能力に目覚めるのだと言う。その為私は絶命せずこうして生きているのだ。ディオは私には間違いなく素質があると見抜いていたのだと言う。万一素質が無かった場合は吸血鬼として甦らせるつもりだった、とも。吸血鬼というファンタジーな存在を信じるのかと言われるかも知れないが、スタンドも十二分にファンタジーである。それが存在するのであれば、吸血鬼がこの現代にいても可笑しくないだろう。今朝陽の光を気にしていたのも、此れで納得がいく。セオリー通り十字架やにんにくも苦手なのであれば嫌がらせに使いたい所存である。その程度許されるだろう。それだけの仕打ちは受けている。
「さて、」プッチが話を一区切りさせた。「改めて、君のスタンドを見せてくれないか」六人の視線が私に集まる。カーズ、ディアボロ、ドッピオくん、プッチ、ディオ、吉良さん。其処にジョナサンの姿はない。当然である、あれが私の"スタンド能力"だったのだ。
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