承太郎と帰宅した後、私は素早く自室へと逃げ込んだ。しっかり鍵を掛けるのも忘れず。取り繕いながら階段を駆け上がる私を皆不思議そうに見ていたが、ジョニィだけは真顔で私を見据えていた。其れが恐ろしくて、私はドアに凭れずるずるとへたりこんだ。
何故急に帰ってきたのだろうか。ジョニィは家族の時間も大事にするけれど、其れ以上に自分の趣味、即ち乗馬に情熱を注いでいる。だからこそ決まった一日しか帰ってくることはなかったのに。大きく高鳴る心臓を服の上から押さえ込みながら、二度三度、深呼吸をした。兎に角、最低限部屋から出ないようにしよう。ご飯はいらない、お風呂も素早く済ませてしまえば何とかなる。気持ちを無理矢理落ち着かせ、ゆっくりと立ち上がった。その時、控え目なノック音。それに続いて幼い小さな声。はいっていいですか、と問い掛けてくる其れはジョルノのものだった。紳士であるジョナサンの教えをたっぷり受けたらしいジョルノは、姉の私ですら女性として扱ってくる。何やら私の部屋に侵入していたジョセフがレディのへやにかってにはいっちゃだめなんです、と怒られていたのは何時のことだったろう。
一体何の用だろうか。首を傾げつつもどうぞ、と返事をした。ドアが開く。私の喉がヒュッと音を立てた。
「ジョ、ニィ」
「おかえり、名前」
「ジョニィ、おろしてください」
「はいはい、悪かったよ」
其処にいたのはジョルノだけではなかった。ジョニィに抱き抱えられたジョルノは身を捩って自分を降ろすよう言った。床に足がつくと少し乱れた衣服を引っ張って整え「ジョナサンと本をよんでいるさいちゅうなんです」と私の手の甲に唇を落とした。そうしてさっさといなくなってしまう。ジョルノの後ろ姿が階段へ消えて直ぐ、ジョニィは後ろ手でドアを閉めた。
私はと言うと、ダイニングよりも狭いこの自室でジョニィと二人きりであることが恐ろしくて堪らなかった。一歩後ずさると、ジョニィは私を数秒見詰め、ニンマリと笑んだ。
「何で、って思ってるんだろ?」
「…別に」
「僕がひとりで来たって君がドアを開けないことくらい、分かる」
鼻を鳴らして笑うジョニィの目は何時だって私を見下している。私は其れに憤りを覚えることはない。幼い頃から植え付けられた恐怖と、そうされて当然だという卑下が頭を回るだけだ。
ジョニィは私の脇を通り過ぎ、ベッドに腰を降ろした。そうして横を叩く。「座りなよ」詰ってやるから。言われなくともそう続くのだろうと予測できた。嫌だ。通学鞄を握り締める。動こうとしない私を見てジョニィの眉間に皺が寄った。早くしろ、そう言おうとしたのかジョニィが口を開いた。然しその声は鳴り響く聞こえる着信音で掻き消された。
私の手元からだった。ジョニィに何か言われる前にと急いで鞄を漁り、スマートフォンを取り出した。表示されているのは名前ではなく番号。登録されていないということだ。何処かで見覚えがある番号だが、誰でもいい、この空気を打破できるなら。そう思い通話ボタンをタップした。
「っも、もしもし」
『名前か?私だ、吉良だが…覚えているかな』
「あっ、分かります、覚えてます!」
『ディエゴから君の番号を聞いてね。今、話せるかな?』
そうだ。つい先程聞いた吉良さんの番号だった。ディエゴというのは、あのディオによく似た声の主だろうか。勿論大丈夫です、と答えると、腰掛けたままのジョニィの眉間の皺がますます深くなった。ジョニィと対峙したまま喋るのは良くない、そう思いジョニィに背を向けた。なるべく距離を取ろうと部屋の隅に寄り、俯いて壁に額をつくような体勢を取った。
『返さなくていいと言っておいて恥ずかしいんだが、あのコートがどうしても入り用でね。返してもらいたいんだが、都合の良い日を教えて欲しい』
「あ、コート、私も返したいんですけど、あの…」
『…ああ、見張りがいるんだったか』
「知ってるんですか?」
『DIOが言っていた』
ディオが。つまりディオはあれから私へ接触を試みたということだろうか。吉良さんが困ったな、と呟く。やはり、荒木荘の人々と私の兄達は何か確執があるのかも知れない。聞いても良いだろうか。然しあったとしても妹の私には言いにくいだろう。黙っておくのがマルか、思案を巡らせていると吉良さんが何か言いかけた。かけた、というのはその内容が殆ど聞き取れなかったからだ。私の耳元にあった筈のスマートフォンは、叩き落とされ鈍い音を立てて床に落ちた。
吉良さんとの会話に神経を尖らせていた私は、背後に近付いていたジョニィに全く気付かなかったらしい。私が振り向くより早くジョニィは大きな音を立て私のすぐ横の壁を叩いた。否、殴った。びくりと体を震わせる私へ覆い被さる様に、ジョニィは私の両脇へ手をついた。
「男?」
「…っ、や、だ」
「答えてよ」
私の肩へ顎を置き、ジョニィは囁き声で問い掛けた。落とされたスマートフォンの通話は切れてなかったらしい。『名前?』と吉良さんの声がする。その声を聞いてジョニィは男か、とぼやいた。声色で分かる、相当苛立っている。ジョニィの言葉を無視し電話を始めた私の行動は、想像以上にジョニィの癪に触ったらしい。
どんな罵詈雑言で詰られるだろうか。はたまた、今までされたことは一度もないが、様子からして物理的な暴力がくるか。
身を縮こませ身構えたが、暴言も、拳も降りかかかってはこなかった。ジョニィの手はあろうことかスカートへ入り込み、私の太股を撫ぜ、スルリと内腿へ入り込んだのだ。
「DIO?それともまた別の男?」
「ひっ、何、いや」
「腹立つなあ…ねえ、名前」
これ程までの混乱と恐怖を味わったことがない。私の下半身をまさぐるように蠢くジョニィの手はどんなに身動ぎしても離れない。追撃と言わんばかりに首筋をぬめったものが這っている。ジョニィは今どんな顔をしているのだろう。どんな顔で、嫌いな筈の妹を凌辱しているのだろう。大声を上げればいいのに、私の喉からは掠れた呼吸音しか出てこない。こわい。おそろしい。涙が溢れた。誰でもいいから助けて欲しい。
ジョニィの指先が下着に掛かったとき、沈黙を貫いていたスマートフォンが言葉を発した。
『何がどうなっているか分からんが…よく考えるんだ、君は逃げる手段を持っている』
ジョニィの手が止まった。『後程また電話をくれ』そう言って通話はブツリと音を立て切れた。
盲点だった。その通りだ。吉良さんは回りくどく、然し確実に逃げ道を示してくれた。
上手くいくか分からない、けれど、ジョニィの意表を突くくらいはできるかも知れない。拳を握り締めて強く願った。助けて。
涙で滲んだ視界に、鮮やかな虹色が浮かんだ。
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