荒木荘に近付くにつれ、私の体はゆっくりと"私"に戻っていった。目を丸くする私に吉良さんが「射程範囲を過ぎたんだろう」と教えてくれた。スタンドにはその能力が届く範囲やスタンドが本体と離れられる距離に限界があるらしい。どうやら私はその範囲がすごく広いようだ。その話を聞きながら、では今頃あの鍵とジョニィも…と気付いて心臓がヒュッと冷える。右手に掴んだままのスマートフォンが鳴り出すのが恐ろしくて、電源を切った。
吉良さんと他愛の無い話をしつつ到着した荒木荘は相変わらずボロボロで、此処にあの男達が住んでいるとは到底思えない。

「吉良さん、おかえりなさ…」

吉良さんがドアを開き、中へ入る。後へ続くと、台所から顔を出したドッピオくんと目が合った。真ん丸な瞳は数秒私を凝視し、花が飛んでいるのではと錯覚する程綻んだ笑顔を浮かべた。「もう来てくれないかなあと思ってました」そう言ってドッピオくんは顔を引っ込めた。ガタガタと物音がするのでお茶の準備をしているのかも知れない。
小さな声でお邪魔します、と挨拶をし靴を脱ぐ。趣味の悪い靴が並んでいる隅っこに自分の其れを寄せた。襖の向こうから吉良さんが呼ぶ声がしたので、足早に居間へと向かう。後ろからお盆を持ったドッピオくんがついてきた。
襖を開けると、ちゃぶ台を囲んでカーズとディアボロ、それから見知らぬ金髪の男が此方を見上げていた。何処かディオに似た顔付きをしている。兄弟か何かだろうか。

「名前、座りなさい」
「へえ、お前がジョースターのとこの」

吉良さんが隣を叩くので有り難く隣に座らせてもらった。自然と向かい合わせになった金髪の男はしげしげと私を眺める。居心地が悪く視線を泳がせると男は気が付いたように悪かった、と軽い謝罪を述べた。
ドッピオくんが私の目の前に湯呑みを置く。そのコトン、という音を合図のように男は自己紹介を始めた。名前はディエゴ・ブランドー。そうじゃないかとは思ったが、やはり吉良さんの番号を教えてくれた男は彼だった。ディオと同じ姓なのでやはり兄弟なのだろうか。特にそういった説明はなかったが、聞き返す程興味がある訳でもないので黙っておく。驚いたことに彼は騎手をしており、ジョニィと多少の面識もあると言う。

「たまに世間話もする。妹の話も多少聞いたことはあったが…ジョリーンの」
「名前さんの話はしなかったんですか」
「確かな」
「…ジョニィとは、あまり仲が良くないので」

そう言うとディエゴはへえ、と興味無さげに返事を寄越した。吉良さんが「ジョースターは気味が悪いほどお互いを溺愛してるように見えるが」と言った。言葉に棘があり、眉間に皺が寄っている。やはりあまり兄達に良い印象がないのだろうか。そもそもディエゴ以外の彼等は兄達とどんな関係なのだろうか?聞きたい気持ちはあるが、空気が悪くならないかが心配である。
聞こうか聞くまいか、何度か私が口を開閉したところでカーズが「腹が減ったぞ」と顔をしかめた。そういえば夕飯時はとっくに過ぎている…家に帰ってから忙しなかった為気付かなかったが私も空腹を感じている。食事にお邪魔させてもらうことは出来るだろうか…ちらと吉良さんを見ると、困った様な表情を浮かべドッピオくんを見やった。そのドッピオくんも眉尻を下げている。

「すいません、名前さんが来るとは思ってなくて人数分しかなくって…」
「あ、いや、私のことは気にしなくていいから!」
「そうもいかないだろう」

悪いときにお邪魔してしまった。手のひらを横に振ると吉良さんは溜め息を吐いた。「そもそも君を放って私達だけ、というのも食べにくいとは思わないか?」…ごもっともかも知れない。困った。私が小さく唸ると、カーズが「吉良、携帯を貸せ」と大きな手を差し出した。吉良さんは何だと言わんばかりにカーズを見る。まさか兄達に連絡を取って私を追い出すのでは、彼等にとっては其れが一番良い方法ではあるし…思わず手渡されるスマートフォンを凝視してしまう。そんな私の不安を見抜いたのか、吉良さんがカーズにどうするつもりだと問い掛ける。カーズは人差し指で一回一回画面を触って操作している。慣れていないのだろうか。数十秒程経った頃、漸く目当ての画面に辿り着いたのかフン、と満足げな笑みを浮かべた。そして私を、それから吉良さんを見て言った。

「こういうときのファニーだろう」



*


ファニー・ヴァレンタイン。アメリカ合衆国大統領。テレビでもよく見かけるし、教科書に載っていることもあった。特に興味を持ったことは無かったし、精々巻き毛が綺麗だなあくらいにしか思ったことはなかった。なかったのに。
カーズの電話の数分後、ドアがノックされたと思ったらあれよあれよとドラマで見るような白くて長い車に乗せられ、向かった先は少し離れた場所にあるお高そうなホテルのレストランだった。そこにいたのは大統領その人。唖然とする私を置いてきぼりにカーズはテーブルの前に座り、横の椅子を引いて私を呼んだ。「ここに座るのだ、名前」ディエゴは慣れた様子でウェイターに挨拶をするし、吉良さんとドッピオくんは一日分の食費が浮いたとどこか嬉しそうな笑みを浮かべている。戸惑う私をカーズがもう一度呼んだが、大統領に直接腕を引かれ隣へ向かうことは叶わなかった。

「君は私の隣へ」
「あ、は、はい…」

荒木荘のものとは比べ物にならない大きな大きな白いテーブル。全員が着席すると、次々ときらびやかな料理の乗せられた皿が運ばれてきた。其れを口を開けて眺めていると、横からワイングラスが差し出された。柄を大統領の綺麗な指が支えている。

「ワインは飲めるか?」
「あ…えっと…」

ワインなど生まれてこの方飲んだことがない。美味しいのか不味いのか私の口に合うのかすら分からない、そもそも年齢が…然し相手は大統領、断るのは失礼に値するのでは。返答に頭を悩ませていると、丁度対角線にいた吉良さんが「彼女は未成年だ」と助け船を出してくれた。紳士だ。其れを聞いた大統領は近くにいたウェイターにノンアルコールのものを、と声を掛けた。それから私の目の前にあった真白い皿を取り、料理に手を伸ばした。

「嫌いなものがあったら言ってくれ」
「あっ、いや、大統領とんでもないです自分でやります!」
「ファニーと、そう呼んでくれ、あそこの住人は皆そう呼ぶ」

皿を取り返そうと私も手を伸ばしたが、貧相な長さの腕では到底届かなかった。几帳面なのだろう、数種類の料理が綺麗に盛られた状態で皿は戻ってきた。その間にワイングラスには飲み物が注がれていた。気泡が見える。炭酸だろうか?生憎香りで分かる程私は博識ではない。
大統領がグラスを持って此方を見たので、私も慌ててグラスを取った。軽く触れ合わせ、音が鳴る。「君の話を聞きたい」大統領の目が細められる。他の皆はたまに言葉を交わしながら食事をしている。
私の方が聞きたい、何故カーズの電話一本で大統領がやって来るのだ。


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