獅子は星を見て竜に問う

「おかえり。」

ひょこりと玄関先に顔を出した恋人の親友はそのままオレの親友であり彼女の恋人へと抱き着いた。沢山のものを愛する為に大きくなったのだと自然と思う程に愛情深いドラゴンは突けば折れそうな細い体を抱き締め返す。普段ならそのままキバナが彼女を抱き上げたりキスしたりするんだろうが、オレがいるからかそういうスキンシップはしないみたいであっさりと離れる。そうして彼女はへらりと笑ってオレにもおかえりなさい、と声を掛けた。母さんとユーカリ以外の女性にそんな風に言われるのは慣れない。くすぐったさを覚えたが、やはり恋人のおかえりを聞きたいと思う。無論、心配だからとこの家に転がり込むことを許してくれた二人にそんなことは言えないけれど。

「美味そうな匂いがするな。」
「バナが食べたいって言ってたからミートボールパスタ!」
「マジ?オレさまケイの作るミートボール大好きだから嬉しい。」
「ふふ、いっぱい作ったからンデデもいっぱい食べてね。」
「ああ、ユーカリも美味しいと言っていたから楽しみだ。」

キバナに促されてそのまま手洗いとうがいを済ませ、楽な格好へと着替える。ダイニングへと辿り着けばゴロゴロと大きなミートボールが沢山乗ったパスタと野菜たっぷりのコンソメスープ、それにサラダ。ミートボールに時間を取られたからスープとサラダは手抜きだと言うが…うん、確かにオレ一人ならこんな夕食にはならなかっただろう。適当な店に寄るか、サンドイッチを買ってプロテインで流し込んでいたと思う。それを知っているから、ユーカリもキバナもオレが一人で家に戻ることを避けたんだろう。ケイもその方が良いと二つ返事で返していたと聞いた。そんなに手の掛かる男だろうか、オレは。キバナの正面の席に腰を下ろすと二人は笑って食べようと声をかけてくれた。夕飯は、食べ慣れないようなそんな味だったが、とても美味しかった。


「どうしたの?」
「…うん?」
「なんか元気ないなぁと。ご飯口に合わなかった?」
「凄く美味しかったぜ!ただ…何と言えばいいかな。」

オレと入れ違いに風呂に入ったキバナを見送りソファでぼんやりしていたらケイが寄って来た。最初は酷く逃げられたが、今ではいい友人だ。勿論、ユーカリの理解者と言えばケイなのでモヤモヤすることはあるが、最近だとその目怖いわ!と背を叩くようになったので友人だと思う。風呂上がりだから、とモーモーミルクの注がれたコップを差し出されたのでそれを受け取り飲む。よく冷えていて美味い。

「ユーカリとオレは…キミたちみたいな関係になれるかなと。」
「はん?」
「いいなと、思ったんだ。」


世話になって3日目だが当たり前のように彼女は毎日玄関まで迎えに来て、ハグをした。キバナの好物を作って待っていてくれていて、食事中も何かあれば彼女が立って忙しなく動いていた。尽くすタイプなのかと思えば、些細なことでキバナに甘えていることに気がつく。ジャムの蓋を開けて欲しいと頼むし、食後は毎回キバナが紅茶を用意していた。元々紅茶は好きだけれど、キバナが淹れるのが一番好きなのだと笑っていう彼女は確かに可愛らしいと素直に思う。本当はキバナの方が料理上手だけれど作らせてくれてるんだと言っていたのは少し驚いた。二人とも料理上手らしい。ともあれ、お互いが素直に甘えてそれを当然だと支える二人がいいなと思った、それだけなのだが。

「ユーカリにも子供みたいに甘えて欲しいんだ。」
「待って?それ私がバナに子供みたいに甘えてるってこと?」
「違うのか?」
「……まあ、否定はしきれないけれども。」

一人分きっちりとスペースを開けて隣に座ったケイは眉根に皺を寄せたまま。愛情深い我がライバルが彼女を一等甘やかす姿はよく知っている。凪いだ瞳がこれ以上ないほどに愛を伝えているのだから、二人の関係性を知らない人間が見てもすぐに分かるだろう。

「バナはこう、甘やかすのが好きなタイプだから…自然と。ンデデは長男だし、ユカリは末っ子だしで上手くいきそうなのに。」
「オレはあまり家には戻れてないから、良いアニキとは違う気もするけれどな。」
「でも染み付いてると思うよ。例えばー…ほい、どっちがいい?」


ひょい、と差し出された二種類のお菓子。ストロベリー入りとナッツ入りのチョコレートが二つずつケイの掌の上に乗っている。どっち、と言われても…特にこだわりはない。

「どちらでも。ケイが好きな方を食べると良い。」
「ほら、そういうところ。」
「うん?」
「お兄ちゃんだから譲り慣れてるんだよ、余った方で良いよって言っちゃうところ。私のアニキもそうだった。自分はなんでも食べられるけれど、オマエは好き嫌いが激しいんだから先に選べって。」
「そういうものじゃないか?」
「じゃあ、私はどっちも好きだから好きな方選んで?って言われたら?」


ぐ、と言葉に詰まる。どっちでも変わらない、強いて言うならナッツの方が…いや、どちらの方が好きだと言えるほどではない。これで彼女が本当はストロベリーが苦手だったら、と思うと態々どちらと言うのも…うんうん唸るオレにケイは笑ってナッツ入りの方をオレの掌に乗せた。

「バナならこう言うよ。半分こしよう、って。」
「…そうか?」
「少なくとも私にはね。ユカリも似たようなもんかなぁ…アイツは食べてみないと好きかどうか判断出来ないからってのもあるけど。少なくとも次回以降はこっちの方が好きって言うよ。」

チョコレートの包みを外して口に放ったケイが嫌いじゃなければどうぞと進めてきたのでオレもチョコレートを口に含んだ。想像より甘いがナッツの香ばしさが心地よく、美味しく食べられた。ストロベリーだともっと甘かったかもしれないとミルクを飲むとケイが隣で紅茶を飲んでいた。お互い、一つずつはテーブルに乗せたまま。


「ま、こんな感じで結構影響あると思うんだよね。バナは一人っ子で共有することに憧れがあるから最初に半分こって出てくるし、ユカリは歳離れてる末っ子だけど兄弟間の距離が曖昧だからこっちがイイ!ってすぐ決まらない。ンデデは歳の離れた弟が一人で自分に好き嫌いがないのも相待って譲り慣れてる。」
「……確かに、そう言われてみればそうかもしれない。」
「そういう面で言えばユカリが甘えるのは難しいことじゃないと思うよ。」

そうは言っても、甘えるという行為をユーカリがしてくれた記憶は薄い。オレの我儘は結構ひょいひょい頷くが、ユーカリがケイのように甘えてくれたことなどあっただろうか。オレがキバナのように出来ないからか?甘えて欲しいと全身で示せないオレ側の問題なのだろうか。

「というか、キミらが私たちみたいになる必要はないと思うけど…。」
「必要はないな。オレが憧れ…のようなものを抱いているだけだ。もっと言うならユーカリに甘えて欲しいだけだと思うぜ。」
「甘えるなぁ…。」
「さっきも言ったが、良いなと思ったんだ。キミたちの関係性。」
「……違ったら申し訳ないんだけど、ンデデさぁ…ユカリとイチャイチャしたいだけなんじゃない?」
「は?」


思わず漏れた声にまた彼女が怖がるかもしれないと慌てて口を塞いだが、ケイはケラケラと笑って平気だよと言った。カップをローテーブルに置いてソファの背凭れと寄りかかったケイがオレの方を見る。目を見ないのは彼女の癖なのだろうからそこは触れずにいようと思う。

「私とバナが距離感ゼロでベタベタしてるのがいいなーってこと。ほら、ユカリって自分からベタベタしに行くタイプじゃないから…ンデデはユカリからくっついてきて欲しいのかなーと。」
「………それは、あるかもしれない。」
「私に言わずに本人に言えば良い気もするけど…まあ、ユカリが恥ずかしい!ってなる可能性も捨てきれないか。」


ひっついていたいというのも自覚したばかりの本心だが甘えて欲しいというのも嘘ではない、ケイもそれは分かってるようだった。先ずはオレから甘えてみたらどうかと提案されたがギクリとしてしまう。兄なのに甘えるのか、そもそも、ダンデ・・・が甘えるのか?と硬直しているとケイが背凭れから離れてテーブルに置いたストロベリー味のチョコレートを取って、もう一度差し出してくる。

「ナッツも食べたい、交換して?」
「……うん?」
「だめ?」


最初から一つずつ渡せば良かっただろうに、と手を伸ばしたところでふと、彼女の視線に気が付いた。探るような目とは程遠い、けれども何かを待っていることだけは分かる。だがこの数往復にも満たないやり取りの中で何を求められているのかがすぐには思い付かず視線を数度、彷徨わせていると小さく笑う声が聞こえた。そうして、その笑う声でケイがオレになにをさせようとしているのかを理解して無意識にぎゅうと眉を寄せる。正気か?と漏れた言葉に彼女は何も言わない。指先で摘んだチョコレートを掌に乗せて、そうしてウンウン唸るオレにケイは耐えられないとばかりに肩を揺らす。合っているよと言わんばかりに。

オレもナッツ入りが食べたいから譲ってくれないかと、そう言葉にしなくてはならないらしい。別に拘りがあるわけでもない、ケイもオレがそこまで味に頓着がないことも知っている。それでも、甘える練習としてオレに言えと。オレが甘えて欲しいのはユーカリであって、目の前の彼女ではないが、ぶっつけ本番で慣れないことをしようとして空振りすることを危惧しているらしい。いや、存外こうしてオレの反応を見て遊んでいるだけかもしれないが。


「一つではあるけど私の方が年上なんだから、別に我儘言ったって良いのにね。」
「……分かった、求められる側のことを考えずにユーカリに甘えて欲しいと言ったオレが悪かった。…勘弁してくれ。」
「ふふふ、意外と甘えるって勇気がいるでしょ?」
「これは学びの一つとしよう。」

リーグ委員長の引き継ぎを頼んだ時はするする言葉が出てきたし、惚気を聞いてくれと言った時もこんな感情にはならなかった。彼女なら都合が良いと判断しただけで甘えているわけでも頼ったわけでもないのだと自覚する。面白がっている友人は包みの端を持っていたストロベリーのチョコレートをオレの手に乗せて立ち上がり、カップを片手に持つ。中身はとっくに空だ。

「甘え下手を自覚したンデデにご褒美としてあげよう。」
「キミ、意外と意地が悪いぜ。」
「生憎友人相手に変な気を使って見守るタイプじゃなくてね。どちらかというと騒いで弄りたいの。」
「それは…意地悪だな?」
「じゃあ両者揃って私に惚気るのやめてくださーい。」


シガレットケースを手に取ったケイがベランダへと向かう。キバナは換気扇の下でも良いんだけどと困ったように笑っていたが彼女はいつもベランダに行った。それは、甘えるだの甘やかすだのに関係あるのだろうか?きっとない、ないけれど。ケイからキバナへの、愛情表現なんだろうとぼんやり思う。思わず追いかけてベランダに出ればケイは目を丸くして、オレの手元を見る。煙草を吸うわけでもないのになんで?と言わんばかりの顔をしていて、本当に表情に出るなと感心した。が、ケイも笑って細い煙草を口元にと寄せる。紫煙からはベリーのような甘い香りと、煙草独特の匂いがした。

「バナにもポケモンにも、あんまり副流煙吸わせたくないの。」
「そうなのか。」
「とは言ってもみんなベランダまで来ちゃうんだけどね。」

そうか、とそれだけ返した。ケイはオレに戻れとも此処に居るかとも、来たのなら吸うかとも言わない。この距離感が不思議だった。近くも遠くもない、見える感情は分かっても本心までは読めない。そしてそれを暴こうとも離れようとも何も思わないし、きっと気まぐれに声を掛けて好き勝手に切り上げたとしてもお互い何も気にしないだろう。

「キミってばオレの周りに居ないタイプだから全然わからないぜ。」
「私もンデデのことはよくわからん。ポケモンとユカリとバトルのことが大好きなことしか知らない。」
「それだけ知ってれば十分だ。」
「でも、ユカリのことが大好きで大事にするならなにも文句はないよ。」
「いい友人だな!」
「気の抜ける、都合の良い友人くらいでいいよ。お互いそれくらいが楽でしょ?」
「そのうち立場と共に上下関係は出来るが。」
「あー…あの時丸め込まれなきゃ良かった…。」


灰皿に煙草を押し付けて火を消したケイがシガレットケースを左手に持ち替えて、右手を差し出す。どこからどう見ても握手を求められているので半分反射的に握ると、弱い力で握り返される。いや、きっと弱くはない。けれど強くも握られてはいないんだろう。数秒で手は離れてケイが通り過ぎ様に肩を叩いた。

「甘えて欲しい時にどうするかはバナに聞いてみな。少し揶揄ったりびっくりするかもしれないけど一緒に考えてくれると思う。じゃ、あとは男同士で酒でも飲みながら楽しんで。」

風呂上がりのルーティンも終えてリビングに戻ってきたキバナと数度のやりとりをして入れ違いに廊下に出た彼女はきっと風呂に行くのだろう。キバナが不思議そうな顔をしながらオレの元へと来た。


「めずらし、何の話してたの?」
「あー…なるべく笑わないで聞いてくれると嬉しいんだが……。」

結局オレの相談に吹き出すように笑ったキバナは、ケイのいう通り一緒に考えてくれた。オレとユーカリに無理がないように、どちらかが無理をすることがないようにと案を挙げる目の前のライバルはユーカリの言うようにいい男なのだと納得しつつ、異性よりポケモンに興味を振り切ったような恋人にそんな風に思われているのがなんとなく悔しくて笑った彼を責めるフリをして一度その体を叩いた。話せば話すだけユーカリに会いたくなったが、まだ折り返しの日にもなっていない。折角なら友人カップルに色々聞き出し対策をと決めて、友人たちの提案に従って琥珀色の揺れるグラスを煽った。