竜の覚悟と星の輪

両親に紹介したい、と恋人に言われて硬直すること約二分。視線を彷徨わせていると大きな掌が私の手を包み、真剣な眼差しに言葉を詰まらせ口をまごつかせた。当たり前だがこの一年絶え間ぬ愛情を注いでくれた彼やまだ見ぬ彼の大切な家族に不満があったりするわけではない。問題があるのは私の方だ。あまり、というか全く良い条件の娘ではない自覚はある。他地方出身であることは恐らく問題がない、然し私は未だ勉強中の身であり彼やその家族のように豊かな知識があるわけでもなくこの地で確かな地位を持っているわけでも彼の身に何かあった時に困らせないほどの財産を持っているわけでもない。彼の隣に並んで引け目を取らないほど美しくもないし、トドメに実の家族とは絶縁状態。地雷持ち事故物件な自覚がある。リーグ委員長を引き継ぎした後ならば、まだ懸念点は減るが事故物件には変わらない。

「えー…いや、あのぅ……せめて引き継ぎ終わってからのが、いいんじゃないかな?現状の私ってきーちゃんにおんぶに抱っこ生活でキミを愛していること以外はなんにもないよ?」
「オレさまが家に居て欲しいから別に働らかなくてもいいけどな?」
「いやいやいやいや、ご両親からしたらただの寄生虫!」
「んなことねーって、親父も母さんに家にいて欲しいタイプだったって聞いてるから。」
「か、家族だってユカリとポケモンしかいないよ。」
「うん、だから増やそう?」


ぎゅう、と繋いだ手を握り込む。これでそんなどこの馬の骨ともわからないお嬢さんやめてこっちのこと結婚なさいとか言われる…いやないけど。キバナを見てればどれだけ愛情深いご家族かは察するので温かく迎え入れてくれるだろうとは思っている。だからこそこんなのがその輪に入ることがとんでもなく大罪な気がしているだけで。彼のファンにどれだけ別れろと言われたって鼻で笑ってやるつもりではいるしこの幸福を手放すなんて無理だ、とは思っている。それでも彼の家族に否定されたらと思うと恐ろしいし、彼の為にならない不幸にするだけだと思ってしまったらこの大好きな手を離すことをきっと視野に入れてしまう。愛しているからこそ幸せになって欲しい、邪魔はしたくない。切って切り離せないトレーナーとしての彼に最も適した相手であると自負しているが、妻になるのであればその尊重をか殴り捨てなければならないタイミングはきっとある。

「ケイ。」

優しく呼ばれて大きな体に包まれる。この体温を失うことを考えたくはない。失いたくないのなら、ここで迷って尻込みして逃げてはいけない。これでもトレーナーの仲間入りをしたのだから、背を向けてはいけない。わかっているけど。

「大丈夫だって、うちの両親娘欲しがってたから。」
「き、着ていく服とお化粧手伝ってぇ…。」
「任せとけ。」



と、いうわけでとんでもねえデカさのお家の前である。ご両親に合わせたい子がいるんだけど〜とキバナが連絡したところ早く連れて来なさい的なことを言われたらしく、私の覚悟が決まりきる前にご実家訪問が確定した。具体的に言うと会ってみないかと問われた次の日である。彼の実家、両親ウケと検索して美容院とネイルサロンに行き武装と言う名の正装をしたかったのだがめちゃくちゃいつも通りの私である。ただのネイビーのワンピースだし髪の毛はキバナが巻いてくれた、化粧は…せめて吊り目を修正したかったのだがキバナに笑顔で却下された。繋いだ手を潰す気持ちで握り込んでいるがダメージゼロなようで朗らかに笑っている恋人。胃痛が激しい。

「……さ、先に胃薬だけ飲んでもいいかな…。」
「大丈夫だから。ほら。」
「あああ!無慈悲!!」

躊躇いもなくあっさりとインターホンが鳴らされた。少ししてキバナによく似た…いや、キバナが似ているのだけれどご両親が扉を開けた。二人とも褐色の肌で、お父さんが本当によく似ている。彼が歳を重ねたらこうなるんだろうなと思うくらい、本当に似ていた。お母さんが口元に手を当てて目を丸くしているその表情が私が頓珍漢なことを言った時のキバナと同じ表情。ああ、ご両親だと改めて感じて、慌てて頭を下げる。

「ほ、本日はお時間を取っていただき有難う御座います。」
「ああ、そんなに硬くならなくていいのよ。入ってちょうだい?
「ただいま。」
「おかえり、キバナ。いらっしゃい、お嬢さん。」

物凄く慌ててる私に優しく微笑んでくれるご両親に既に泣きそうである。でもあの、気のせいじゃなければなんだけど……私、年下だと思われている気がする。もうお嬢さんの歳ではないのでまた一つ業が増えた気がした。


リビングに通されガチガチになっている私を見て隣に座ったキバナが背中を摩ってくれる。嬉しいんだけど多分ご両親の前ですることではない。

「コーヒーと紅茶はどちらがお好きかしら?」
「どっちも好きで…あ、えと……紅茶が、とても。」
「じゃあ紅茶にしましょうね。」
「オレが淹れよっか?」
「あんたは傍に居てあげなさい。」

申し訳ない、申し訳ないぃ……若干泣きそうだがせめて背筋を伸ばす。本当はお手伝いしたいがそれはそれで気を遣わせてしまうし、なんだかやらかす自分が想像に容易いので大人しくソファへ腰掛けたままだ。お父さんからの視線に死にそうになっているがなんとか笑みで返した。めちゃくちゃ情けない顔をしている自覚はある。少しして人数分の紅茶を淹れてくれたお母さんが戻って来て、四人揃ったところで気合いを入れ直す。

「改めて紹介するな、恋人のケイ。」
「ケイです。キバナ…さん、とお付き合いさせて貰っています。」
「母のセージよ、よろしくねケイさん。」
「父のアーロだ。随分綺麗なお嬢さんを連れて来たな、キバナ。」
「だろぉ?」
「キ…ッ、バナさんの方が、綺麗だと思います……。」

クスクス笑うセージさん、アーロさんが目を丸くしていた。キバナのが、綺麗です、認められないです、ごめんなさい。

「ケイはユカリ…えっと、今のチャンピオンの親友でさ。その繋がりで出会ったんだ。」
「あら、じゃあここの人間ではないのね?」
「はい、出身はホウエンの方です。此方に来たばかりの時にキバナさんにガラルの言葉を教えて貰っていました。聞き苦しくはないでしょうか…?彼の教えは素晴らしい物でしたが、私が出来が良いとは言えないので…。」
「とっても綺麗よ。聞き取りやすいし、私たちのことを考えてくれていると伝わるわ。」
「…良かったです、本当に。」
「あとオレも勘違いしたから先言っとく、ケイ年上な。」

ご両親の驚愕顔である、申し訳ない…。

「カブさんもだけどホウエン出身って幼いよなぁ。」
「向こうだと年上に見られやすい顔してるんだけどね…?」
「ティーンかと思ってたぜ。」
「嘘でしょ!?」
「フフ、ティーンは嘘だけど三つは下だと思ってた。」
「カルチャーショック……あ、ごめんなさい!」
「いえいえ、息子がごめんなさいね。でも仲が良さそうで安心したわ。」

セージさんがキバナに女の子を揶揄わないの、なんて言ってるのを聞いて、でもあのやり取りで少しだけ硬直した体が緩んだのを自覚する。多分敢えてそうしてくれたのだろう。細く息を吐き出して、出された紅茶に手を付ける。美味しい。

「お口に合ったみたいで良かった。」
「とても美味しいです。キバナさんが淹れてくれる紅茶と、同じ味がします。」
「おや、そうなのかい?」
「はい。彼の淹れてくれる紅茶がとても好きで…優しい味です。」
「私も妻に紅茶を淹れるのが好きなんだ、うちの男の愛情表現だな。そんなに喜んで貰えるとなんだか私も嬉しいよ。」
「……オレ無意識だったんだけど?」
「あらあら、刷り込みだったかしら。」

ああ、そうだ!とセージさんが立ち上がる。つまらない物だけどとキッチンから戻って来た手には切り分けられたパウンドケーキ。ふとそれが、キバナが初めて家に行った時に作ってくれていたパウンドケーキと同じだと気が付いて自然と笑みが漏れた。


「手作り大丈夫かしら?」
「はい。その…少し懐かしいというか……とても、嬉しくて。」
「懐かしい?お家で作ったりとかかしら?」
「いえ、その…キバナさんも、作ってくれたなぁって。」
「あー…確かにケイが初めてうちに来るって時作ったわ。コッチは母さんの影響受けてる……。」
「初めましての方にはよく出すからそのせいね。」
「キバナが作るより妻が作った方が美味しいだろうが、息子にガッカリしないであげてくれるかい?」
「どういうことだ、親父コノヤロー。」

パウンドケーキはやっぱり、同じ味だ。この家の深い深い愛情に触れている。じんわりと胸が暖かくなって、目頭がツンとした。他愛もない話を続けていたら、キバナがフォークを置いた。

「親父たちに先に話しておきたいことがある。」
「ええ、なんでも話して頂戴。」
「ケイの家族のことなんだけど…オレが話しても大丈夫?」
「……うん。」


そうしてキバナが、私のことを話す。その間どうしていいか分からず、膝上で拳を握っていた。本当は私の口から話さなくてはならないとわかっていたけれど、昨晩オレから話させてと言われてしまった。不誠実な女だと思われないか心配で仕方なかったけれど、ご両親は顔を顰めることもなかった。ただ、実母のアレソレの時は二人とも顔を歪めていて、やっぱり申し訳なさが勝った。

「……ってことなんだ。」
「そうなの…。」
「ご、ごめんなさい…私、その、」
「大丈夫よ、ケイさん。」
「キバナ。」

アーロさんの声が低く響く。びくりと大きく肩が揺れて、俯いてしまう。やっぱり、こんなにも愛情深く育てた息子に親から愛されてもいない女は合わない。別れなさいだろうか、考え直せとか?否定の言葉は際限なく思い付く。アーロさんが深く深く溜息を吐いて、ぎゅうときつく目を瞑った。

「そういうことならもっと早くうちに連れて来なさい。」
「……へ?」
「心細い思いをしていただろうに。オマエしか頼ることが出来ないだなんて、彼女はオマエに不満も伝えられないだろう。」
「そうよ、アンタこんなに可愛い子を独り占めしようとしてたんでしょう。自分のことじゃなくて恋人のことを考えなさいな。」
「確かにそうだけど、普通に時間取れなかったし付き合ってすぐに両親に紹介したいなんておっかねーだろ!ただでさえ異国で慣れないのに!」
「あ、あの!」
「うん?」
「私、別れなくて、いいんでしょうか…?キバナさんは凄く愛情深くて、立派で、素敵な人です。でも私は…彼に守られてばかりで、なにも持ってません。それどころか親にも見放された人間です、そんな人間が…、」
「寧ろうちの息子でいいのかしら、っていうのが母の意見よ。勿論とても誇りに思っているし自慢の息子ではあるけれど、ポケモンとバトルばかりでしょう?恋人の為に時間を取ってるか不安よ。」
「昔からなにをやらせても平均以上の結果を持って来る自慢の息子ではある。が、頑固でね。困らせてはいないかい?」
「全く!いつも愛情を注いでくれて、私の為に時間も手間も惜しまない人です!意思が固くて努力を重ねられる人です!私はそんな彼を尊敬していて…とても、自慢の恋人です!」

私がそういえばアーロさんもセージさんも笑ってくれた。

「私も夫も娘が欲しかったの。だから息子の良い所も悪い所も愛してくれて隣を歩んでくれるような、そんなお嫁さんなら大歓迎。」
「チャンピオンが居るとはいえ心細かったろう。息子がなにか馬鹿なことをしたらすぐこの家に来なさい、私たちがしっかり叱るからね。」
「自分の家だと思って、なにかあっても何もなくても来てちょうだい?」
「いいんでしょう、か。」
「勿論。」
「娘とオシャレなカフェに行ったりするの夢だったの、よければ今度一緒に行ってくれない?」
「是非、是非…!」

堪えきれなくて涙が溢れて、それをキバナが拭ってくれる。困らせてしまうと思ったけれど、アーロさんもセージさんも優しく笑ってくれた。



「今日泊まっていくの?」
「ンー、今日は流石に。オレの着替えはあるけどケイのなんもねぇし帰るよ。」
「残念ねぇ…ケイさんだけでもと思ったんだけど。」
「なら昼飯は食べて行くといい。セージの料理は美味いぞ。」
「ケイどする?」
「へ、偏食王が悔やまれるゥ……。」
「あ、まだ頭混乱してんな?よーしよし。」
「ふふ、じゃあトマトパスタなんてどうかしら?」
「お手伝いさせてくださいぃ…。」
「それじゃあ今度一緒に料理しましょう?今日は夫の相手をしてあげてちょうだい。キバナはコッチね。」
「はいよ。」

恐らく私の食べられない物云々を伝える為だろう。なんとか涙を引っ込めてアーロさんと向き合う。ご馳走になっていいものかと思いながらもとりあえず聞きたいことは沢山あるであろう、それに今度は自分で伝えていきたい。


「ケイさんもトレーナーなのかな?確か今年のジムチャレンジに出ていたと思うのだけれど。」
「はい、まだ全然駆け出しというか…キバナさんには遠く及ばないですけれど。」
「よく育ったいいポケモンたちだったと思うよ。」
「ハル…ガオガエンは、昔旅した土地で出会った子で付き合いが長いんです。」
「キバナにバトルしようとしつこく誘われてはいないか?」
「まだバトルに苦手意識が強かった頃は意識して避けてくれていたと思います。今は…二人で楽しく、という感じですね。」
「そうかそうか。私も妻もバトルはあまりしなくてね。無理のない範囲で付き合ってくれると助かるよ。」
「勿論。キバナさんにも楽しんで貰えたらなって、思うので。」


穏やかな声音と話し方に、落ち着きを取り戻す。緊張が解けて来てやっぱりよく似ているなって、そんな風に思う。キバナも私が泣き噦った時とか、こんな風に優しく包むように話してくれる。

「……お会い出来て光栄です、心から。」
「それは此方の台詞だ。あの子が引退もせずに恋人を連れてくるなんて思わなかったからね。ただあの子がこれからもトレーナーを選ぶならばケイさんには心配も苦労も数え切れない程にかけると思う。」
「キバナさんの、トレーナーとしての生き方が凄く好きです。だからいつでも笑顔で送り出して、笑顔で出迎えたいと…そう、思っています。」

そうか、と静かに響いた声にまた涙腺が緩みそうになった。こんな私を受け入れてくれるこの人たちにも誠実でありたい。

「…まだ先にはなりますが、リーグの方に勤める予定です。」
「そうなのかい?」
「笑顔で送り出すことや迎えることをそのままに、共に歩んでいければと…出来るかわからないけれど、諦められないので。」
「うん、私も妻も応援しているよ。大事な息子の選んだ女性だ、あの子の見る目は確かだからね。」


いつか、キバナにもこの人たちにも自慢だと思ってもらえるように頑張ろう。どこぞのスパルタ教育に若干心が折れそうにはなっていたけれど、負けない。いや若干不安は残るしプレッシャーに負ける自分も想像に容易いのだけれど…その時は、暖かく出迎えてくれるこの人たちの顔が見たいなと思う。アーロさんと私を呼ぶセージさんの声に慌ててソファから転がるように降りるとアーロさんは口元に手をやり笑っていて、その仕草がやっぱり恋人ソックリだ。

「さて、それじゃあダイニングにエスコートしよう。」
「大丈夫です、あの、心臓がバチュルの心臓より小さいだけで…!」
「結婚式をやるなら、私があの子の元へキミをエスコートするだろうからね。」
「……な、泣きそうです…!」
「私が怒られてしまうから飲み込んでくれると嬉しいな。」

差し出された手に掌を乗せる。相手がキバナの時より緊張して手が震えているがこればっかりはもうどうしようもないので許してほしい。アーロさんはやっぱり優しく笑ってくれていた。それからセージさんとキバナ作のトマトとバジルのパスタをはじめとする沢山の美味しいご飯を四人で食べたのだった。



「おうちだァ……。」
「お疲れ。大丈夫か?」
「平気、すごく良くしてもらって…申し訳ないくらい。」
「二人とも喜びようが凄かったからなァ……オレさまがジムリに就任決まった時より喜んでたわ。」

腕を引かれソファに腰掛けたキバナの膝上に乗せられる。実家のような安心感だ、色々間違っているのはわかっているけれども。緊張は確かにした、ジムチャレよりセミファイナルよりなんならチャンピオンカップより緊張したけれど凄く良い時間を過ごさせてもらったと思う。背中を撫でる大きな手に安堵を覚え、それからまたじわじわと目頭が熱くなって視界が滲む。怖かったよな、と柔らかな声音に否定したいけどしきれない。怖かった、この人の家族に拒絶されることが。どこの人間にキバナと別れろなんて言われたって絶対に別れてやらないけどあの二人に言われたら選択肢なんてない。そういう意味ではとても怖かったのは間違いない。

「お母さん、お父さんって呼んでって言ってもらえたよぉ……。」
「息子より可愛がる気満々だよな、気持ちはわかるけど。」
「うぇえ…。」


べそべそ泣く私の髪や顔中に口付けを落としてくれる恋人にしがみつく。幸福だ、これ以上ないくらい。私のことも娘のように扱いたいからと、そう言ってくれたことがどれだけ嬉しかったかはきっと、キバナにもアーロさんにもセージさんにも伝えきれないけれど。少しずつでも返していきたい、それだけは確かなこと。

「きーちゃん、」
「うん?」
「早く孫産むね……。」
「もうちょっとしたらな、親父と母さんにまでケイ連れて行かれそうだし…まだもう少し独り占めさせて。」



この日のことを忘れることは一生ない。ありがとうと、涙にまみれて零す私に愛しい男は幸福そうに笑うのだった。