庇護、愛、エトセトラ

くあ、と欠伸を零すと小さく笑ってくれる恋人が手招くままに近寄って腰に回った手に促されるように膝上へと座り込む。肩に顎を乗せてぎゅうぎゅうに抱きつくと穏やかに掌が背中で弾む。寝かしつけようとしてるなぁ、なんて思いながら赤い髪に指を通す。お風呂上がりだからワックスのない指通り、見慣れたような見慣れないような。ワタルくんは私の背を撫でながらもパソコンから目を離さないからお仕事中らしい。今日はなんの仕事だろう、ポケモンGメンの方な気がする。肩に額を押し付けて深く息を吸い込むとふんわりボディソープの匂いがして、今日は私の使ったんだなぁってそんなことをぼんやり思う。

「眠ってもいいよ。ベッドの方が良いだろうけど、一人は嫌なんだろう?」
「んー……ワタルくんあったかいね。」
「筋肉量の違いかな。」
「重くない?」
「羽のように軽いさ。」

羽だって集めに集めれば成人女性の重さになるだろうに。でも居ていいよって言われたからここに居たいな。いつもは硬い生地に隠された首筋が露わになっているからそこに鼻先を擦り寄せると擽ったいのか小さく笑っている。誰かと一緒に眠るのなんて苦手な筈なのに、彼が居ないと上手く寝付けない自分が酷く滑稽で仕方ないけれど彼がそうさせるのは悪くないなって、素直に思えるのだから不思議だ。

「ワタルくん、寝ないの?」
「まだもう少しかかるかな。」
「んんん。」
「ふふ、ここで寝ていいんだよ?あとでベッドに運んでやるから。」


一緒に寝たいのだが上手く伝わらない。両腕を彼の太い首に回して頬に唇を押し付ける。本当は頬だけじゃなくて額や鼻先、唇なんかにもキスしたいけど我慢。これくらいならワタルくんの邪魔にならないだろうし…なんて思っていたけど背中で弾む手がぴたりと止まる。不思議に思って彼の表情を覗き込むと意地悪く笑っていて、今度は私が硬直する番だった。なんでそんな顔をするのか、これくらいのスキンシップならベッドでいつもするのに。

「満足したかい?」
「…んん、邪魔しないようにベッド行く、」
「ケイ、ちゃんと教えるんだ。」

唇に指の腹が触れるとむずむずして落ち着かないからやめてほしいのだけれども。小さく唸って視線を泳がせるけれど彼の灰色の瞳は許してくれない。甘えているの、と呟いたけれどそれだけじゃ彼は何も言わなくて、最後まで言わないとダメみたいだ。

「キスしてもいい?」
「恋人なんだから許可なんて必要がない、好きな時にしていいよ。」
「ん、じゃあする。」

キスしたら今度こそ一人でベッドに行こうと決めて首に回した腕を解いて両手で彼の頬を包む。キスするんだから目を閉じてくれたっていいのに、なんて思いながら目を瞑って唇を合わせる。軽いリップ音を鳴らして離そうとしたら大きな手が私の後頭部を捉えてそのまま柔く下唇を食まれて擽ったいような心地良いような感覚に薄く開くと舌が滑り込んで来て肩を弾ませる。ぬるくて濡れた舌が歯列を擽りあっという間に引っ込ませていた舌が捕まって絡む。悪戯に上顎を擦られたり頬の内側を舐められると腰の辺りがじいん、として頭の中が真っ白になる。弾力を確かめるように甘く歯が立てられて間抜けな声も漏れたけれどそれよりも濡れた音が静かな部屋に響いて、それが鼓膜を揺らすから堪らなくなって彼の服を握り込む。やらしい音させないで、ばか、おやすみのキスには激しすぎる。


「ンぅ、っ、は……ワタルく、」
「ごめんごめん、つい。」

なにがついなのか。濡れた唇を舌で拭う姿は目に毒なのでそっと視線を外すと彼の親指の腹が私の唇を拭った。不貞寝してやると大きな体に凭れかかり瞼を伏せようとしたのだが、こともなげに体を浮遊感が襲う。反射的に両腕を回して縋り付くと彼は喉を震わせて愉快そうに笑った。

「落としやしないさ。」
「ビックリするの。」
「もう何度もこうしているのにね。」


子供扱いみたいだから嫌だと言っても恋人扱いだよって言うくせに。このままベッドに運ばれて額にキスをされて、そうして彼はまたパソコンに向き合うんだろうなぁと思うとなんだか悔しい。邪魔はしたくないけれど、寂しくないと言われたらそれは別だ。ワタルくんは私を置いていかないし守ってくれるから不満だとかそういうものがあるわけじゃないけれど、偶には私のことだけ考えてくれたっていいのになんて自分勝手なことを思う。大切にしてくれているのは十分すぎる程に伝わっているが、私に必死になってくれたらいいのにとも考えてしまう。こんな自分勝手なことを言っても我儘だねって笑ってくれるかな、わかんないや。

「ワタルくん、」
「どうしたの?」
「……あ、」

呆れないで、愛している、貴方の傍に居たい。
どれを口にするべきかわからなくて言葉が詰まる。どのみちこのタイミングで言うのはズルいか。ワタルくんは途切れた言葉に首を傾げているが、そのままゆっくりとベッドに降ろされて座った私の足元にしゃがみ込んで両手を包んでくれる。隣に来ればいいのに、来てくれたらその大きな体に抱き着いてあわよくばベッドに押し倒して一緒に寝ようよなんて軽口が叩けるのに。違う、さっき零した言葉の続きを考えなきゃ。あ、から始まる言葉。

「明日、行くの?」
「ううん、まだ調べてる最中だから明日どうこうはないかな。」
「そっか、じゃあ目処が立ったら教えてね。」
「わかった。」


灰色が私を射抜いて、隠し事してるのか暴こうとしている。こんなの暴いたって困るのはワタルくんなのに。

「おれに言いたいことがあるんじゃないか?」
「……ぎゅって、して欲しい。」
「勿論、いくらでも。」
「…壊れるくらい、壊したっていいから、」

それより先の言葉は続かなくて、暖かくて大きな体に包まれた。痛くてもどこか折れてもいいから、強く抱き締めて欲しかった。それを受け入れてくれたのが嬉しくて堪らなくて涙が出そう。苦しいくらいに抱き締められて、でもそれ以上に胸がいっぱいになる。すき、だいすき、あいしているの。言葉には出来ないけれど伝わって欲しい。


「おれは、不安にさせてしまったかな。」
「ワタルくんは悪くないの、私が怖がりなだけ。」
「きみの恐怖を取り除きたいんだけれど、おれに出来る?」
「……酷くして、ワタルくん以外、なにも考えられなくなるくらい。」

卑怯な女。そう言えば優しい彼がこの場に留まってくれるとわかっている。自己嫌悪は胸の中で膨らむばかりで、それでもやっぱり手離すことは出来ない。ごめんなさい、明日からは良い子にするからなんて、酷く無責任な言葉は小さな音になることもなく唇は塞がれた。



「っ、ふ……ゔ、ぁ……ッ、」
「そんなに噛まない。」
「ワタルく、やぁ、ってば、酷くしてって、言ったぁ、」

頭の奥から蕩けるような長く優しい愛撫にぐずぐずと泣き始める私の目尻に唇を落として涙を拭う。何度も達するとこうなるから嫌だ、彼のことで頭がいっぱいになってしまくのに。ナカに潜った指が既に働いていない頭を乱し、媚びるような声だけが止まらない。どこをどう触られたってそれが彼の指であると思うともう何も考えられなくなってしまって、ひたすらに気持ちいい。持て余した熱から身を捩って逃れようとするとそれが悪いこととばかりに善いところに触れるから逃れられない。それでもぐずぐずに蕩けたソコに求める熱が与えられることはなくて、彼の服を押し上げる熱の塊はまだ触れさせても貰えない。

「そんなに泣くと明日目が腫れてしまうよ。」
「わた、る、く……もぉ、」
「うん?」
「ごめ、ごめんなさ、あやまるから、もぉ、ゆるして、」
「怒ってなんかないさ。」

ちゅ、と軽いリップ音。怒ってないとそう言うからやっと解放されるのかと思ったが彼の指は引き抜かれるどころか更に奥まで潜る。こつり、と指先が触れたのは。息を詰めて首を左右に振りやだやだと枯れた声で言ったけれど、止まってなんてくれない。強すぎる刺激に勝手に涙が出て彼の大きな背中に縋り付き嬌声を上げる私にワタルくんは何も言わない。そんな時間がどれほど続いたのかもうわからないけれど、彼に与えられた口付けで漸く意識がぼんやりとではあるものの取り戻せた。腰から下の感覚が鈍い、溶けてしまったみたい。肩で息をして力の入らない腕で縋り付くと彼は笑って鼻先へと口付けを落とす。

「おれにして欲しいことは?」
「ぅ……?」
「なにかあるかい?」
「……ぃ、れて…いっしょが、いい、」
「わかった。」

ベッドサイドに手を伸ばす彼に気が付いて首を振って服を引っ張ると驚いたような困ったような顔をしているから掠れた声で譫言みたいに嫌だと繰り返す。だってもうその僅かな、0.02mmすら嫌だった。何も隔てたくない、体温をそのまま感じたい。常用している薬で私が簡単に孕むことはないと彼は知っているのだから、じゃあいいじゃないか。

「ケイ。」
「やだ、ワタルくん、やだぁ、」
「……全く、今日だけだからね。」


触れようとした手がやんわりと握り込まれてベッドに縫い止められる。大きな熱の塊が体を貫く感覚は慣れたような、慣れないような。絶対大きさがおかしいって思いながらもこの熱が埋まるのがどうしようもないくらいに仄暗い感情を満たすのだから困った物だと思う。スキンを用いないセックスなんて彼は絶対にしない、私以外には。だからこの行為は私にだけ許されたもの。それがどうしようもなく嬉しくて、優越感に似た感情が胸を締める。短く息をして胎の中を意識する、私の弛んだ口元を見たワタルくんが何かを言おうと口を開いたが後頭部に手を回して引き寄せ唇で塞ぐ。

「動いて、」
「ああ、そうだね。」

ちゃんと酷くしてね、小さく呟いた私に彼は綺麗な柳眉を顰めて私の体を持ち上げ膝上へと乗せる。挿入したままだったから予想外の刺激に声が漏れたが、彼は気にしてないのかそれとも。動いたほうがいいのかなんて考える間もなく下から力強く突き上げられて奥まで刺激されるとやっぱり悲鳴のような、泣き声みたいな嬌声が漏れた。背中に回った手が強く引き寄せて固い胸板に私の胸がひしゃげると同時に乱暴に唇が重なって咥内も乱される。掻き抱くような仕草に漸く胸が満たされていくのを感じながら、彼の体温へと意識を集中させた。


「それで?」
「……うん?」
「なにがそんなに不安なのかな?」

事後特有のふわふわとした思考を一気に引き戻すような視線と笑みに肩を弾ませる。つい、と視線を逸らしたけれど彼の手が私の顎を捕らえてそれを許さない。怒っているわけではない、と思う。折角隠し通せそうだったのに暴こうとしないで欲しいのだが、元々行為が終われば聞き出すつもりだったのだろう。寧ろ、聞き出すまで何もしないことを選べたはずなのに肌を重ねることにしたのは私の為か。いつも以上にねちっこい前戯はおそらく理性を溶かすためで、真意を知る為の…いや、愛情表現なんだろうけど。私が勝手に不安になっていたからその不安を解く為に彼なりに愛を示してくれていた、がきっと正しい。

「……さ、みしかった、だけ…」
「寂しいだけ、か。」
「…んん、ゔ〜…。」
「ほら、ちゃんと言ってご覧。それともおれは恋人が寂しいと言うことに怒りを覚えるような狭量な男に見えているのかな?」
「…寂しくて、ワタルくんのこと、独り占めしたかったの。私だけ、見て欲しかった…の。」
「うん。」
「ぁ、愛してる、から……傍に、ずっと、置いて欲しくて…私、その……ごめん、なさい。」
「謝るようなことじゃないよ。おれの方こそ寂しい思いをさせてごめんね。」

行為の間から何度も顔中に落とされる口付けはきっと、安堵させたかったんだろうって今になって気が付いた。彼はこれから先もずっと忙しく過ごすのだろう、例えば私が寂しいから傍に居てと言ってもそれを全て叶えることは出来ないくらいに。そんな彼を愛したのだからそこに文句を言うのは御門違いなのだけど、こうして怯える私に気が付いてくれるのならばそれは彼が私に与えてくれる愛情に間違いない。バカな私が気が付いていないだけで彼はずっと私を見てくれているんだって思ったら不安になったことが酷くバカらしくなった。この灰色の瞳はいつも真っ直ぐに見据えているのに。頬を撫でる大きな掌に擦り寄ってじっと彼の瞳を見上げる。

「好き?」
「愛しているよ。」
「なら、全部大丈夫だ。」

貴方が私を見て愛してくれるのならば、もう怖いことはない。ちゅ、と掌に口付けて笑みを漏らすとワタルくんも笑った。やっと笑ったね、そう言ってまた重なる唇。

「…私が寝るまでここに居て。」
「寝かさないという手段もあるけれど?」
「ワタルくんがくれるならなんでも嬉しいよ。」



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ぐずぐずと泣き噦り、そのまま肌を合わせた疲労と相まって気を失うかのように眠ってしまった恋人の頬へと手を伸ばす。涙の跡を拭ってやって、赤くなった目元を指の腹で撫でる。腫れが残らなければいいが、とは思うものの自分以外が見ることもないのだから構わないかと結論付けた。甘える行為が苦手というわけではない、と思う。姉と慕う子には散々甘ったれだと言われてきたしその自覚もあると言っていた、それは事実だろう。だがどうも、姉以外に甘えるのは許されないとでも思っている節があるようにも感じる。別にそんなことで怯えなくてもいい、ということでも彼女は一度口を噤む。許しを得て、そうしておずおずと小さく言葉を吐露するのだ。大人になるしかなかった子供、一人を選ぶことしか出来なかったのだろう。そんな子供が姉という存在を得て、そうして一人ではなくなった故の孤独への恐怖。手にした物を失う悲しみと恐怖だけが根付いていないことが不幸中の幸いではあるが。

最初は同情に近かった、それは否定しない。それでもおれの言葉に喜びを露わにしていたり、おれの後ろを子供のように着いてくる姿は可愛いと思うには十分だった。あの地に置いて行くと伝えた時の泣きそうな、それでも諦めが滲んだ表情がどうにも頭にこびりついていた。だから偶然にも次に会えたその時には手を伸ばした。決して良いことばかりではない。おれと共に在るのならば危険は付き纏うし安息の地などないに等しい。それでも彼女はおれの手を取った。そんな顔をするのなら最初から連れ出してやれば良かったと思ったのが懐かしいことのように感じる。あの時最初から連れ出してやればもう少しおれにも甘えてくれたかもしれないのだが、過去は変えられないのだからこれからの人生の中でおれには甘えてもいいのだと彼女が思うまで待とう。姉であるあの子だって時間を掛けたのだ、ならばおれもそれに倣うとするさ。


顔にかかった前髪を指で払ってやると長い睫毛が揺れる。起こしてしまったようだが、優しく髪を撫でてやればまたゆったりと瞼を伏せて眠り始めた。どうしても些細な音で起きてしまうようで、何とかしてやりたいのだが触れてやれば安堵したように眠る。此処が安全であると彼女が思っているのだと伝わってきて少しばかり擽ったい気持ちになる。ああ、そうか。

「キミにとっての安息の地には、おれがなるからね。」

ひと束掬った髪に口付ける。さあ、おれも寝てしまおう。起きた時に寂しい思いをさせないように、明日くらいは寝過ごしてしまおうね。