深く深く、息を吐く。ばちんと両頬を叩いて気合いを入れるが掌は情けなく震えたまま。本当は引っ張るだけ引っ張りたかったのだが、そうも言っていられない。まあ、恋人の両親に胸を張って会いたいからという個人的な感情も少なからず含まれているのだからここでビビってるわけにはいかないのだが。恋人の仕立ててくれた質の良い紺色のスーツに身を包み、ダイマックスバンドをひと撫でしてもう一度、ゆっくりと息を吸い込む。よし、覚悟は決めた。委員長室の扉をノックして、許可を得てから扉を開いた。
「準備出来てるか?」
「おうよ。」
「キミって偶に男らしい返事をするな。」
「可愛げがないって?」
「ユーカリの可愛い姿なら見たいが、ケイのそんな姿を見たらキバナに怒られるぜ。」
「きーちゃんはそんなことで怒らないよ。」
他愛もない話を数往復、そして少しの沈黙。こちらを見る琥珀色が鋭い。この決定に関して、別段何か思うところがないと言えばそれは嘘になるけれどやると決めたからやり遂げたいとも思う。だからその琥珀から目を逸らさずにいればからりとした太陽みたいに笑ったから、少しだけ安心した。恋人の笑顔とも親友との笑顔とも違うけれど、安心出来る笑顔だなぁ。励ます時、鼓舞する時、大丈夫だと笑うのはキバナもユカリも、ダンデも一緒だ。
「怒られる時は一緒に怒られてよね。」
「ユーカリはそんなことで怒らないぜ。」
「知ってるよ。」
ガラル、シュートシティスタジアム。大勢の観客が女王と門番のバトルに夢中になっていて、エキシビジョンマッチはこちらの想定以上の大盛り上がりで安堵の息を吐く。企画を考えた身としては間違っていなかったと思える風景。姉も恋人もそれはもういい笑顔で、この光景をずっと見ていたいなと思う。来るぞ、と隣で呟いた男。ユカリがエースバーンをボールに戻す、そして眩いほどに光り輝くボールをせぇの!の掛け声と共に両手で持って放り投げる。キバナが応えるように、こちらもジュラルドンをボールに戻すと歓声がわぁ!と大きく上がった。キョダイマックスって盛り上がるよなぁ。かっこいいもんな。
「どっちが勝つかな。」
「どっちでも嬉しいぜ。」
「だろうねぇ。」
私もだよ、呟いた言葉はユカリの張り上げた声に掻き消された。
「勝者、チャンピオンユカリ!」
「クッッッソォ……。」
「どやさ。」
「腹立つ!ロトム!!」
戯れてる二人が握手したのを確認してから敏腕秘書に差し出されたマイクを受け取りバトルコートへと足を踏み入れる。これでもう退路は一切残っていないが、それでもいいかなって思うのだから構やしない。カメラが向けられて胃がぎゅっとしたけどあとでキバナに慰めてもらおうと決めてにこりと笑って見せる。
「それでは、ここからマクロコスモスより皆様にお知らせが御座います。」
「んあ?ケイちん?」
「ケイだな?」
「本日よりリーグ委員長を賜ります、ケイと申します。突然の発表となり、申し訳ございません。リーグ委員長となります私から、この場を借りてガラルの皆様へご挨拶を。未だ勉強中の身、不安はあると思いますが叱責と共に応援願いたいと思います。……そして、私から一つ、ご挨拶として。」
パチンと指を鳴らせば会場のライトが落ちる。真っ暗なバトルコート、唯一残ったスポットライトに照らされた私とそれを映す液晶だけが光を持つ、その刹那。ドォン!と大きな音が響いてコートの端、先程までキバナが居たその場所にスポットライトが当たる。その場に居るのは、勿論。
「えっ!?!?」
「ダンデ!?!?」
つんざくような悲鳴。随分と観衆が見慣れたいつもの、唯一無二の相棒を模したポーズを決めるその男。ひっくり返りそうになった恋人、処理落ちしかけてるであろう姉。漏れた笑みをそのままにマイクを強く握り直し右手を大きく広げた。
「………さあ!10年玉座を守り抜いた男が、辛酸を舐めて2年と4ヶ月あまり!虎視眈々と牙を磨き続け噛み付く準備は整った!!今この時、女王の頭を飾る冠を奪いに戻って参りました!」
ぐしゃりと歪んだ姉の顔、キバナがその背を押して、ふらつくように前へと出る。ぼたぼたと大粒の涙を流し、震える唇を噛み締め、それでも前を見据えた。美しく傲慢な、彼女の愛する男の姿を焼き付けようとするようにも見えるし、トレーナーとして目を逸らさないようにも見えるがどちらだろうか。あとで答え合わせをしよう。泣きじゃくってそうだけども。
「対するは此度のエキシビジョンマッチ勝者!この地に君臨する女王ユカリ!挑む立場は変われど、共に玉座にその身を据えた二人が今宵、再度この地で相見えるこの光景を望んだ人間は少なくないでしょう!」
弾けるように盛り上がる観客たちに細く息を吐き、それから三人みたいには出来ないけれど…私に出来る最大限の笑顔を見せた。
「……私からの些細な催し物です。さあさあ!皆々様!喉を枯らす準備は整いましたでしょうか!今宵弾けんばかりの声援と喝采を!!英雄同士の血沸き肉踊るバトルをご覧あれ!!」
「けいちんんんんんん!!!!!」
「ングッ!」
「ケイ!どういうことだよ!?」
バトルが終わったその後、控え室に顔を覗かせに行ったらユカリにタックルされて腰から変な音がしたしユカリごと引っ掴もうとするキバナにたじたじである。
「ユカリはいつダンデと交代しても泣くって言ってたし、キバナもいつでもいいぜって言ってたじゃんか…から、生粋のエンターテイナーと画策した結果と言いますか。」
「今回のエキシビジョンで勝った方とバトルすると決めたのはケイだぜ!」
「やー、だってインパクト大事じゃん…?」
「んんんんんんん!!!」
「ごめんって、ユカリ…あとそろそろ折れちゃう……。」
キバナが引き剥がしてくれてそのままダンデに押し付けたのを若干息切れしながら見ていたがそのままガッチリと抱き寄せられた。次は君か。可愛いので許す、撫でてやろうな。あ、ちょっと届かない……屈んでくれるの?ありがとね。
「実際インパクトが必要だったんだ。オレが降りる理由を明確に伝えることでケイへの反発を防ぐ目的もあった。それと、この催しがケイの企画だと発表すれば今後はより面白い物が見られると観客に印象つけたかった。」
「ユカリとダンデは公認カップルだし、キバナとダンデはライバルだからどっちが勝っても観客は大盛り上がりするでしょ?ってことでこうなった。あとユカリがギャン泣きすることはわかってたから…これが私の出来る最大限だったんだよねぇ。」
「教えてくれてもいいだろぉ…。」
「あの場で二人も知らないことが大事だったんだよぅ…知っててもテンションは上がっただろうけど、インパクトには欠けたでしょ?」
「………ユーカリ、そろそろ泣き止まないか?」
「む゛り゛」
ガラルスタートーナメントの他にもやりたい催しはあるのだ。それを円滑に進めたい気持ちもあるので若干パワープレイを披露したのだが…まあ、知らずにいた二人の気持ちもわからなくはない。ごめんって、ねえ!
「改めてご挨拶はするよ。」
「はー…もう、スゲェびっくりした……スーツ似合うな…。」
「きーちゃん現実逃避しないで。」
腹に回った腕に手を重ねて摩ってみるがすぐに落ち着けそうにもないので仕方ないからそのままにすることにした。ユカリは相変わらず大泣きしているがダンデの腕の中に大人しく収まっているし大丈夫…いや、泣きすぎてちょっとヤバそうだな。そろそろ過呼吸になりかねない、そしてそのまま吐きかねない。うーん、と唸るが正直もうやってしまったことなのでどうにもならないから諦めてくれとしか言いようがない。キバナもユカリも切り替えが上手だからもう少ししたら落ち着くだろうけど。とりあえずユカリはダンデに任せようと決めてキバナの腕を軽く叩き緩めて貰い、正面から抱き合う。化粧が付かないように気をつけながら胸元に擦り寄って、首を傾げて見上げる。
「もう引き継ぎは済んだから今年度のジムチャレンジとかチャンピオンカップは私がやるよ。オリーヴさん居るから大丈夫だと思うけど、きーちゃんフォローしてくれる?」
「おう、任せろ。オレさまが居るから安心してくれな。」
ちゅ、とつむじに口付けが落とされて擽ったい。最後の砦である彼は忙しいだろうけど、こうして素直に頼ると嬉しそうに笑みを浮かべてくれるからオネダリは素直に、だ。勿論本当に助けて欲しいので。みんなが楽しめるように頑張るからねと言えば彼は蕩けたように笑って、腰を折って唇が合わさった。ユカリとダンデが居るんだけどなぁって思ったけども、ユカリはそれどころじゃなさそうだしダンデは何も気にしなさそうなので私も気にしないことにしよう。
「ケイ、すまない……。」
「やっぱ今回はダメだったかぁ。ほら、ユカリおいで〜。」
「ン゛ン゛!!!」
「んっふ、お怒りやん。」
キバナの腕から抜け出して姉を抱きしめる。ギャン泣きした原因なので泣き止むの難しいだろうなとは思っていたよ。背中を摩りながら髪をぐしゃぐしゃに撫でたら不満です!と言わんばかりの声を出されて思わず笑ってしまった。ごめんごめんと背中で掌を弾ませる。
「ダンデとまた公式戦、楽しみだねぇ。」
「う゛ん…っ、」
「チャンピオンカップもだけどさ、もっとみんなで楽しめるように色々考えてるんだ。エキシビジョンもね、今日以外のも考えてるの。マイナーリーグの人とか、あと引退したって人たちが嫌がらない範囲で巻き込んだりしたいなって。私、ピオニーパパとカブさんの試合見たいんだよねぇ。」
「なにそれめちゃ見たい…、」
「やりたいこといっぱいあるんだ。ダブルの公式戦とか!ふふ、ユカリとキバナどっちが初代チャンピオンになるかなぁ。……ね、だからユカリもいっぱい協力してね?対価はそうだなー…楽しいバトル、沢山のお祭り。どう?」
「や゛る゛!」
「ありがと!頑張ろうぜーぃ!」
まだスンスンしているけど大分落ち着いたみたいだ。最後にぎゅうっと力強く抱き締めたら同じだけの力で返してくれる。ありがと、と震える声に耐え切れなくなったダンデに姉を強奪された。いいけども。泣き止ませることは出来なかったが、ユカリが私に引っ付いてるのはもっと無理だったらしい。独占欲が服着て歩いてんのかな。伝え忘れたことがあるので見守ってくれていた恋人の元に戻り左手をひょいと持ち上げ、頬に添えさせる。一瞬だけ不思議そうな顔をしたけれど指の腹が優しく輪郭を撫でてくれて、眉尻を下げてしまう。分かってなくても甘やかしてくれる人だな、本当に。
「きーちゃん、帰ったら慰めて。」
「うん?」
「めちゃくちゃに怖かったんだよね、挨拶する時。だから二人の家に帰ったら、頑張ったねっていっぱい褒めて?」
「オレさま今でも良いけど?」
「私が甘えん坊してるのダンデとユカリに見せていいの?」
「……良くないけどぉ。」
「でしょ?だから帰ったら、お願い。」
「じゃあ、今はキスだけな。」
目尻に落とされた優しい口付けに甘えたいモードになりそうになったが何とか堪える。多分そろそろ敏腕秘書がお迎えに来てしまうので、物凄く名残惜しいけれど離れなくては。背後からユカリの悲鳴が聞こえてきた気がするけど気が付かなかったことにしよう、多分ダンデがまたなんかやらかしただけだろうからね。頼むからキスまでにして欲しい。舌突っ込まないヤツね、それ以上は家でやってよね。
「そんじゃあ私たちは挨拶回りなど行ってくるわ。ダンデ、オリーヴさんが激昂する前に行くよ。」
「ユーカリと離れたくないぜ。」
「分かった、前リーグ委員長ですって紹介してくるからリザードン出して。」
「……行くからやめてくれ。ユーカリ、また後でな。」
「ミ°ッ」
……せめて私たちが見てないタイミングでキスしてあげて欲しかったな、ユカリが恥ずかしくて死んでしまうから。仕方ねえなぁみたいな顔で笑ってるキバナの指先に唇を押し付けてからダンデの回収へ。激昂秘書に叱り飛ばされるところを見られるわけにはいかないんだよ、私。
「今日!四人で!ご飯!!」
「オッケー、終わったら連絡する!」
「ユーカリ!オレ以外の前で泣かないでくれよ!?」
「ユカリ、ティッシュ使うか?」
「サンキュー、ドラスト。」
「もう本当にリザードン連れてっちゃダメかな。」
漸く笑顔になった姉と、優しい顔した恋人と、ちょっと拗ねた顔した友人。騒がしく忙しい日々が待っているだろうけれど、この三人が居れば私は無敵だな、なんて思う。さて、それじゃあ夕食の時にでもやりたいことを三人に話して意見をもらおうかな。ダブルの大会、早く纏めよっと。