急いで仕事を終わらせて、幸いにもなんの緊急もなく済んだから定時通りに上がれそうだ。普段ならトレーナーたちの上げてきた書類に目を通したり点検して回ったりと少し残るが今日はそうもいかない。ジムトレーナーたちに声を掛けて先に上がらせてもらう。友人と予定が、と言えば快く送り出してくれたので感謝は絶えない。ボールを一つ取り出してフライゴンを呼び、跨って家へと一直線。半日も離れていなかったというのに何をこんなに落ち着きをなくしてるんだ、オレさま。ティーンかよ。
家に戻って大急ぎでシャワールームに向かう。砂埃を落として全身を手早く磨き、化粧水を叩き込んで髪を乾かす。普段なら丁寧に全身に保湿クリームを塗り込んだりストレッチしたりとするがそれは帰ってからでもいいだろう。クローゼットを開いて、暫し悩む。パブに行こうという話だからあんまりカッチリし過ぎても、だが流石にTシャツ一枚は手抜き過ぎる?だからと言って普段から愛用しているパーカーではすぐに人が集まるだろうし…彼女を口説きに行く、という感覚があるせいでグルグルと考えすぎてしまう。落ち着けキバナ、まずは気温に合わせるべきだろう。…六月末、まだ夜は冷える。ボトムスは黒のタイトパンツにしよう、靴は…差し色に一目惚れしたローカットスニーカーと最近漸く足に馴染んだウィングチップの革靴の二択。スニーカーだとカジュアルすぎるか?でもバーに行くわけではないのだから、革靴だと…ああ、決まらない。時間を確認しようとして彼女に連絡をしていなかったことを思い出し大慌てでロトムに通話をかけてもらって、その間にもクローゼットの中を漁る。
「もしもし?」
「あ、ケイ?ごめん、連絡遅れちまった。」
「全然大丈夫だよ。あ、今日行くお店ってどんな服が良いとかある?ワンピースの予定なんだけど平気?」
「アー…大衆向けとは言えないけど結構気軽なとこだから問題ないと思う。」
「了解〜。」
「今がー…18時半か。19時前後でソッチには着けると思うけど、どう?」
「おっけおっけ。ホテルから出ておいた方が良いよね?」
「いや、着いたらもっかい電話するからその時に出て来た方が良いな。そこまで治安は悪くないけど夜だし。」
「はは、過保護だ。じゃあお言葉に甘えてそうさせてもらおうかな。」
待ってるね、と続く言葉に心臓が飛び上がるのを自覚する。だからティーンかっつの。また後でと通話を切って視線を服に戻すとネイビーのシャツが視界に入る。うん、コレにしよう。手早く着替えを済ませたら特に気に入っている香水を振ってアクセサリーを身に付ける。髪を軽く纏めて鏡で全身を確認して問題がないことを確認したら必要な物をクラッチバックに詰めて玄関へ向かい、白とネイビーのウィングチップを取り出して履く。今から向かえば丁度予定時刻に辿り着けるだろう、ついでに向かう予定のパブへと電話しておくのも忘れない。これである程度の配慮はされる筈だ。足早になるのを自覚しながら予約していたガアタクに乗り込みホテルへと向かった。
「ごめん、お待たせ!」
「いやいや、こっちのが待たせちまったから。」
「お仕事お疲れさま。」
着いたよ、と連絡して出て来た彼女は昼間と雰囲気が違う。ウエストの部分がキュッと締まった無地のリブニットのタイトワンピースに大判ストールを羽織っていて、化粧は昼間よりもしっかりと施されている。目尻のバーガンディを差し色に全体的にブラウンで色が付き、大人っぽい雰囲気だ。髪は纏めず、巻いてもいないがそれが彼女らしい。
「そういう格好も似合うな。」
「ありがと。やー、イケメンと夜飲みに行くならって気合い入れたよね!」
「ワォ、オレさま照れちゃう。」
「言われ慣れてるでしょ〜。」
ケタケタ笑う彼女は昼間より少しだけ背が高くて、ヒールを履いているんだと気が付く。ゆっくりめに歩こうと決めて行こうかと声を掛けたら嬉しそうに頷いて二人で歩き始める。彼女の泊まるホテルから少し歩いたところにあるパブへと向かいながらまた他愛もない話をするが、ふわりと香った香水にちょっとだけ言葉が詰まった。ここまで来るとティーンというかチェリーだぜ、オレさま。
「エールの他は?」
「……どうしよう。」
「ここのフィッシュ&チップス美味いよ?」
「………魚苦手なの、いつもはユカリに丸投げしてるんだけど。」
「フフッ、オレさま食べるから大丈夫だよ。」
「申し訳ない…!」
頑張ってメニューを読み上げこれは?これどんな味なの?と聞いて来る彼女に丁寧に答えていれば気になった物がいくつかあったらしいので纏めて注文する。届いたエールを手に持ちグラスを合わせて煽るの炭酸がパチパチと弾けて喉に痛いが、コレがクセになる。ケイが楽しそうで、思わず笑みが漏れた。
「ユカリとは飲まないの?」
「んー?あの子あんまりアルコール飲まないのよ。いつ呼ばれるかもわからないし、ポケモンライド出来ないの困るからって。元々そんなに飲む方じゃないし、ソフトドリンクの方が味が好きって言うから自然とお酒を飲むような場に行かなくて。」
「チャンピオンも大変そうだな。」
「やー、色違いのニュース出た時とかに飛び出せるようにって意味のが強いと思う。ユカリはそういう病気か生き物。」
「ひっでぇな!?」
「私から見たらそんな印象にもなるよ。各地方回ってチャンピオンもぎ取っては返納してまた別の地方回って、ってしてるんだもん。旅をして知らないポケモンを探して見つけて一番になって、そしたら次!なんだもん。ガラルの玉座だって戻して来ると思ってたし。」
いつもそうだった、と言う彼女は苦い記憶なのか顔を顰めている。聞く限り楽しそうではあるが、確かに周りの人間からすれば心配の絶えないことだろう。ユカリは興奮すると偶に文脈が飛ぶからどこの話?今何の話している?と疑問も尽きなかっただろうし。
「どんな子供時代だったの?」
「ユカリ?えー、私が出会った頃にはもう道場破りし始めてたと思うけど…。」
「違う違う、ケイのこと。」
「……私?」
パチパチと瞬きを繰り返す、表情は困惑と疑問が混ざったようなものでこちらも驚く。確かにどっちにも捉えられそうな話の振り方をしてしまったが、わざわざ彼女に他の女性の話を聞き出すこともないだろうに。ふと、そういやマスコミに囲まれて困っていたという話を思い出す。こちらに来てからずっとそうだったのだろうと思うとなんとも言えない感情が押し寄せるが、とりあえず今は飲み込む。
「ごめんごめん、みんなユカリのことを知りたがるからそっちかと思った。」
「はは、大変だなぁ。」
「私は別に普通の子供だったからなぁ…ああ、でも……ユカリと会う前は、カントーに住んでたよ。」
「カントー!?」
「うん、…ダンデさん自慢の相棒ってカントー原種のリザードンじゃん?絶対圧凄いから秘密ね?」
「オーケー、オレさまたちのヒミツな。」
三杯目を注文した所で彼女の視線を感じる。なになに?オレさまドキドキしちゃう。
「どした?」
「見慣れないなぁって。」
「アー…バンダナ?」
「そ、髪そうしてるとオフって感じ。」
「オフだからなぁ。」
「ダンデさんとかすっごいラフな格好でユカリと会うよ、アレもオフって感じするけど…恋人とのデートなんだからTシャツとジーパン、スニーカーはどうかと思う。でも目的地がワイルドエリアとかだし正解なのかなぁ。」
もっとデートらしいデートすればいいのに、と困ったように笑う。ダンデたちらしいが、女性からすればちょっと考えものらしい。Tシャツで来なくて良かったと心から思う。あっぶねー。
「ケイの思う、デートらしいデートらしいってどんなの?」
「んー…目的もなく街ウロウロして、カフェでお茶して、また出歩いて…みたいなの。」
「ウィンドウショッピング?」
「あれ似合いそうだねとか、あれお揃いにしようとか…二人で探すの。ああいうのが好きなんだって思ったらプレゼントの候補に入れて、デート中は沢山写真を撮って帰って寝る前にその写真を見返して幸せだったなって思いながら寝るの。そこまでがデート!」
「女の子らしいなぁ。」
「二人で沢山笑って、手を繋いで、沢山色んな話を出来たらデートだとは思うけどねぇ。」
そっと手を伸ばして、彼女の手に掌を重ねる。小さな手はすっぽりと覆い隠されて、ビックリした顔でオレさまの顔を重なった手を交互に見る。カワイー。
「じゃあ、コレもデート?」
「ヒェッ……デートは、思い合う二人がすることでは…。」
「一方通行ならデートにはならねぇの?」
「待って待って待って、キバナさん酔ってる!?」
「キバナでいーよ。」
「ファーストネーム呼び捨て慣れな…ちがう、手、ねえ!遊んでる!?」
何言ってんだ、心臓ぶっ壊れそうだっつーの。積み上げて来た経験でポーカーフェイスを貼り付けてるだけで一瞬でも気を抜いたら顔も耳も首も真っ赤になる自信あるぜ。すり、と指の腹で甲を撫でたらケイが小さく唸って眉尻を下げる。ほんのり赤くなった顔はアルコールのせいじゃないと知っている、どんだけ飲んでも赤くならないってさっき自分で言ってたもんな。
「で?デートなの?」
「…個人差あります!」
「じゃあ、オレさまはデートって言っていいんだ?」
「今コレ、ドッキリ企画とかしてる?その辺からユカリとか飛び出して来ない?」
「来ないし、オレさまそんな悪質なことしないぜ。」
「ひぇ……あの、とりあえず手…こんなとこ人に見られたら困るのでは…!」
離して欲しいとは言うけど手を引っ込めたりしない辺り、完全に脈なしってワケじゃないんだろうけど…本心からどう思ってるかまではわからない。柔く握り込んでやると彼女は赤くなった顔をそのままに視線をあちらそちらと散らばせてからエールを煽った。おお、豪快。というか、
「イヤって言わねぇのな。」
「ングッ…まあ、顔が好みだから悪い気はしない。それはそれとして私は兎も角キバナさんが困ることになるだろうから離した方がいいとも思うけど。」
「堂々としてたら意外とバレないもんだぜ?」
「もー…。」
結局諦めたのか、ケイはそれ以上何かを言うこともなくまた雑談が始まった。口説いてる最中だったけど、とりあえず意識してくれるようになればそれでいいかなってところではあったから一旦休憩とする。オレもずっと口説くとか無理だし、絶対途中で頭真っ白になる。
「そういやガラルに来たのってユカリの様子見なんだっけ?」
「うん、あとリョウタさん見に。」
「リョウタ?」
「そうそう、ナックルジムの。」
「………へぇ。」
「リョウタさんさぁ、彼女居るかな。個人的には付き合って三年の半同棲中の彼女がいて欲しいんだけど。」
「うぇ?え、えーと…聞いたことねぇけど……え?」
わざわざ来たというくらいだからそういう意味かと思ったら、全然違うらしい。まあ、そういう意味での興味なら口説いてる男にする話ではねぇか…断る為にする可能性はあるだろうが、だったら手を引っ込めるか。価値観が違うのか、考え方が違うのかわからないけれど…とりあえずリョウタへのライバル意識を持つ必要はないらしい。いや、彼女の興味の矢印が向くなら多少は持つかもしれないけれど。グラスを煽ってアルコールを飲むと、ケイがメニューと睨めっこしていた。そろそろエール以外が飲みたいのだろうと好みを聞いて提案すればじゃあそれにする、と返されたので通りすがりの店員を呼び止めて注文する。
「あ。」
「うん?」
「……いや、店員さん居たのに、と思って。」
「気にし過ぎだって、大丈夫だよ。」
「いやいや、クリーンな印象に越したことはないって。」
「帰りに手、繋いでくれるなら離すよ。」
「………そっちのがヤバイんじゃ?」
店は確かに口が硬いところを選んだし、この席は不自然じゃない程度に物陰だから他の客からテーブルの上までは見えない。だからこそ彼女もこの状況を甘んじて受けているのだろう。それが外になれば、まあ、守られるものはないけれど。これで一夜限りの誘いだなんだとなれば話は変わるがオレはそのつもりじゃないからそこまで困らない。ジムトレーナーは別に恋愛禁止じゃないしな。
「キバナさんって奥手なんだと思ってた。」
「うぇ?」
「ユカリが、キバナさんは堅実派って言ってたから。」
「あー…まあ、そうね。」
軽薄そうと評されることが殆どで、そりゃダンデやユカリみたいなよくバトルする相手からはそうは言われないけれど。そういえば彼女はドッキリ?とは聞いてきたが、慣れてるねだなんて一言も言わなかった。それに気が付けば思わず笑みが溢れて、小さな手を強く握り込む。
「ケイって面白いな。」
「今どこに面白い要素が!?」
「な、来週デートしてよ。」
「脈絡!」
「木曜、ジムに工事が入るから休みなんだよ。休日よりかは自由に行き先選べると思う。」
「お、おお?」
「ウィンドウショッピングだっけ?」
「雑な伏線回収すな!」
拗ねたような怒ったような、そんな表情をする。けど、木曜日の何時頃にどこに行けばいい?と返ってくるから、どうやらデートの誘いには乗ってくれるようだ。こんなひょいひょい男に着いてっていいのか?と口説いてるオレさまが思うのは違うんだろうけども。他のヤツには着いて行かないでくれよと、握った掌に込めた想いが届くことを祈った。
「美味しかった!」
「フフッ、また行こ。次は違う店紹介するよ。」
「ポーク・スクラッチングはめちゃくちゃ衝撃的だったけど…。」
「来た時、パイだと思ってたもんな。」
「ユカリならこの気持ちきっと分かってくれる。それにしてもこっちの人って本当におつまみ食べないんだねぇ…。」
「ケイずっとチマチマとなんか食ってたよな。」
「うーん、お国柄?こっちだと空腹時のアルコールは危険って考え方だから。」
足取り軽やかな彼女の半歩後ろを歩く。ふらついたりするかもと思ってたけど、全然そんなことねぇな…ヒールなのに足元しっかりだわ。揺れる手に手を伸ばした所で彼女が何かを思い出したようにパッと振り返って来たから思わず両手を胸の前に上げた、まだ未遂!
「なにしてんの?」
「いや、反射…?」
「変なキバナさん。木曜日楽しみだねぇ。」
「お、楽しみにしてくれるんだ。」
「今から化粧と服悩んじゃうくらいにはね!」
「へえ。」
手首を掴んで引っ張って、路地裏へと引っ張り込む。時間が時間だから彼女は堪えたみたいだけど、昼間だったら悲鳴上げてただろうな。それはもうダンデが走り寄って来た時並みに。物陰で彼女を抱き締めると柔らかくて甘い香りがして、胸の奥がきゅうっとなる感覚も確かにあったのだが同時に折れないか心配になった。惚れた欲目云々差し引いても折れるぞ、コレ。混乱している彼女をよそに付き合えることになったら食育しようとオレさまは心に固く誓った。
「キバナさーん…?」
「次のデートの時に告白するよ。」
「は!?」
「目一杯、オレさまのこと考えておいてな?」
「……これはもう告白じみてると思うんだけど…。」
「まだ付き合ってくれって言ってないし。」
「そうなんだけども…えっ、私この状況で一週間何してればいいの?」
「いや、それは返事によるけど。でも今は言わないでな、オレさまも言ってないし。」
「この感情を私の母国では釈然としないって言うよ。」
「今度ゆっくり教えてくれ。」
身を屈めて彼女の頬にオレの頬を柔く押し付ければ彼女は小さく唸って、細く息を吐いてから爪先で立ってやり返された。やめて、可愛い。持ち帰りたくなるだろうが。何もしないしちゃんと客室に案内してそっちには近寄らないからこのまま連れて帰っちゃダメ?ユカリ帰って来ないなら良くねぇ?
「持って帰りたい…。」
「せめて連れて帰ってくれない?私は手荷物なの?」
「連れて帰っていいの?」
「ダメだよ、バカ。紳士ならちゃんと送ってって。」
「送ってくからもうちょっとだけ。」
「すっぱ抜かれると困るのキバナさんでしょうが。」
昼間もだしさっきのパブでもだけど、本当に抵抗しねぇな。そんななすがままで良いのか、この子。ちょっと粘ったら普通にウチに着いて来てくれそうなんだけど。腕の中に閉じ込めたまま、ぐるぐると思考を回していたら彼女の手がオレの胸に置かれて軽く押される。
「ケイ?」
「…絶賛口説いてきてる男にノーメイク見せられる程、私は女を捨ててないよ。」
「やっぱ連れて帰っていいか?」
「おい、話を聞け!ダンデさんなの!?」
その日はなんとか気合いで彼女をホテルまで送り届けた。一週間後、デートをして夜に告白しオーケーを貰ったオレさまの、連れて帰りたい願いが叶うまでそれから数日。そして彼女がオレの家を帰る場所にしてくれるのは、その同日。