寝返りをうつと腕にカサッと何かが触れ,それで目が覚めた。腕に触れたのは,三日月の香が焚きしめられた文だった。現代人の私にも読めるよう書かれたそれ。いわゆる,後朝の文である。性格上,文の内容を把握しないことには気が済まない。布団から這い出て,本棚にあった辞書と文の文字とを付き合わせた。
「あの野郎・・・」
どうやら,つれない女に対する恨み辛みが書かれているようだ。夜這いをかけておいて,五・七・五・七・七で恨み辛みを言うとは。見下げた根性である。しかも,かなり面倒臭い。
(腹巻きがない。)
三日月と同様に冷え性の私は,24時間365日必ず腹巻きを付けていた。ユ○クロのネット限定商品であるヒー○テックの腹巻きである。あるはずの腹巻きがない。そりゃ,冷えるわけだ。昨晩,三日月に腹巻きを脱がされた覚えはない。辺りを見渡すと,枕元に見覚えのある絹製冷え取りインナーがあった。
「・・・じじいの冷え取りなんていらないんですけど。」
平安時代の男女は,男が女を訪ね一夜を共にし,夜明け前に男は帰る。別れを惜しみながら互いの衣を交換して,男は女に文を送る。つまり,三日月は,夜明け前に起きて自室に戻り文を書き,己の冷え取りを持って私の部屋に来て,腹巻きを剥ぎ取ったのだ。長谷部顔負けの律儀さである。彼は,伝統や作法に対して神経質なところがあった。妙な所で“平安紳士”なのだ。しかし,今回のケースは,本来の後朝の別れではない。別れを惜しんでもなければ,任意で腹巻きを渡したわけでもないからだ。ご都合主義の平安紳士。それが我が本丸の三日月宗近である。
(まあ,股引じゃなかっただけマシか。)
何とも虚しい納得の仕方ではあるが,腹巻きは奪い返せばいいだけのこと。朝から不快な文を読み,すっかり頭が冴えてしまった。ゴミと化した絹製冷え取りインナーを丸めて,箪笥の適当な所へ投げ込む。襦袢を脱ぎ,ブラをつけようとしたところ,紐が当たる肩に激痛が走った。ジリジリと熱を持っているようだ。何事かと思い慌てて鏡を見るとーーー
「何,これ・・・」
所々出血のある青黒い歯形が,左肩にくっきりと付いていた。五虎退の相棒(極)よりも歯が強いのではなかろうか。こんなものを付けられたにも気がつかず,眠りこけた自分に呆れる。
「これって,謀反・・・でいいんだ,よね?」
閨で謀反を起こされるとは。しかし,記憶がないため確信が持てない。新人審神者オリエンテーションで配られた冊子の“謀反”のページを探す。当たり前だが,“閨で謀反を起こされたら”などというQ&Aはない。夜這いが成功しなかった腹いせなら最悪だ。己の実力不足以外の何ものでもないし,腹いせならあの文で十分だろう。こっちは,三日月のせいであの不毛な夜を思い出してしまったのに。心のどこかで“もう一度”などと思った自分を呪い殺したい。女という体は悲しい。一度受け入れてしまうと,嫌でも情が湧いてしまうのだ。
(あの顔,何だったのかな・・・)
ブラックアウトする寸前に見た三日月の顔を思い出す。まるで,私に気持ちを否定されて傷付いたかのような顔だった。
「主,起きてるか?朝餉が出来たぞ。」
現在ダントツで会いたくない刀。いつもは起こしに来るなどしないくせに。昨夜と同様,三日月は,こちらの返事を待たずに襖を開け入ってきた。何事もなかったようにニコニコとしているのが不気味だ。
「ちょっと・・・。色々と言いたいことがあるんだけど。」
三日月は,お前の抗議なぞ聞くかとばかりに音を立てて襖を閉めた。そして,鏡の前でブラ紐を肩に引っ下げたままの私ににじり寄る。
「ああ,これは良い。思うたよりも綺麗に付いた。」
きらきら光る瞳をキュッと細め,蕩けた表情で肩の傷を見る。そして,引きつけられるように形の良い唇を傷に這わせた。ーーー逃げなければ。しかし,体が言う事を聞いてくれない。三日月は,この世の全ての美しさを集めたかの様な笑みを浮かべ,絶望的な言葉を吐く。
「この傷が消える頃,もう一度,閨を訪れよう。」
10 劣情という名の猛毒