*三日月×主前提 大般若に口説かれる シリアス風


「お初にお目にかかる。俺は大般若長光。長船派の刀工,長光の代表作さ」

我が本丸に大般若がやって来た。ダークグレーのスーツに身を包み,白銀色の長髪を桃色のリボンで束ねている。シャツと同じ鮮やかな緋色の右目には,繊細な金細工が施されたマスクが掛けられていた。右目だけでなく,耳やネクタイや右太腿などにも施された金細工が,彼という刀がいかに美術品として愛でられているかを表している。緋色の瞳が醸し出す妖しげな色気。長船派と聞いて納得した。そんな見た目とは裏腹に,彼の口調や性格は,とてものんびりしたものだった。


「趣味かあ。そうだなあ・・・あんたみたいなのを,口説くことかな。ははは,驚いたかい?」
「うん。社交辞令とわかってても嬉しいよ。ありがとう。」

我ながら上手く返せたと思う。大般若に趣味を聞くと,沼で溺れると風の噂で聞いていたので心の準備は出来ていた。大般若は小首を傾け,きょとんとした顔をしている。私はにこりと彼に微笑んだ後,大急ぎで万屋へと走った。

「危ねえーーーーっ!!!長船派の圧倒的夜感,恐るべしっ!!」

万屋へ着くと,真っ先に本屋へ向かう。この滾りを“大般若×さに”で解消しなければならないからである。新しい男士にもかかわらず,すでに何冊か出ていた。彼の人気の高さが窺える。私はそれを全種類買った。


のんびりとして人当たりの良い大般若は,本丸にすぐ溶け込んでいった。長船派の内番服はジャージとは聞いていたが,彼の内番服を見た時は度肝を抜かれた。ジャージの下にワイシャツ。まるで,“教頭先生”ではないか。私は,密かに彼のことを教頭先生と心の中で呼んでいた。


「あんた,良い女だ。・・・美しい。」

彼がこの生活に馴れた頃,初めて近侍に置いた。適度に手を抜きつつも,要所要所ではしっかり仕事をこなしてくれる。とても要領が良いが,相変わらず口説き文句は健在だった。緋色の瞳をじっとこちらを見据えて囁かれるそれ。彼の口説き文句を間に受け止める程馬鹿ではない。でも,彼は私を主として慕ってくれているのだろうと思うと,素直に嬉しかった。


「おや,美術品に興味があるのかい?じゃあ,今度,俺が教えてあげよう」

大般若は己が美術品として愛でられていたからか,美術品に対す造詣が深い。私も絵画や骨董品の類いが好きだということもあり,彼との会話は非常に興味深く勉強になるものばかりだった。万屋の中には美術館がある。買い物がてら見に行こうと約束した。


「黒の紋紗地に酔芙蓉か・・・似合ってる。」

大般若の出で立ちに配慮して,肩や裾に薄桃色の酔芙蓉の柄が入った黒地の着物を選んだ。帯は白銀色だ。ありがとう。と返すと,彼はきゅっと緋色の瞳を細める。黒の革手袋で覆われた手が差し出されたので手を重ねると,彼の腕に導かれた。大般若は口説き文句だけでなくエスコートも達者だった。流石は,あの燭台切を祖とする長船派だ。
万屋内にある美術館では,現世で国宝等に指定されている茶器や壺が展示されていた。どうやって,現世から持ち込んだのだろうか。辺りを見渡すと,懐かしそうに美術品を眺める男士達の姿を見つける。自分の生まれた時代に思いを馳せる彼らの癒やしになっているようだ。

「あんた,この茶器を知っているかい?」
「曜変天目茶碗でしょう?」

美術品の一つ一つを丁寧に解説してくれる大般若が,ある茶器を目の前に私に尋ねてきた。その茶器は,黒地に星のように煌めく青い斑文が無数に散りばめられた国宝に指定される名品中の名品だ。輝く玉虫色に吸い込まれるような美しさである。

「ご名答。あんたには,この茶器がどう見える?」
「・・・宇宙みたい。」

大般若は,その緋色の目で私を捉えて静かに答えを促す。そして,私の答えを聞くと口元を緩めた。宇宙などと何とも凡庸な感想しか言えなかった私としては,緊張が解れた瞬間だった。

「俺には,あの漆黒があんたに見えるよ。」

彼の緋色を見ていると,私の黒い瞳の奥の,そのまた奧を覗き込まれているような錯覚に陥る。居たたまれなくて視線を外そうにも,何故か外すことが出来なかった。

「あの青は,あんたの初期刀だ。あいつがあんたを抱いているのか,あんたがあいつを抱いているのか。・・・俺には,この茶器が,あんたとあいつの情交に見える。」
「・・ちょっ,・・!」

想像を絶する爆弾発言に絶句した。私と三日月の関係は,誰も気付いていない。本丸に来て間もない大般若はそれに気付いてしまったということか。人に気取られることは何もしていないはず。私は冷静という仮面をすぐに顔面と心に貼り付けた。

「・・・何だ。あんた達,出来てるんじゃないのか?あの初期刀はあんたに惚れ・・・」
「ありえない。本当に,・・絶対ない。」

私は大般若の言葉を遮る。三日月と私はそんな関係ではないのだ。ただ単に爛れた不毛な関係。そこに愛やら恋などといった甘いものは何一つとしてない。この関係を説明できたらどんなに楽か。しかし,絶対に誰にも知られたくない。真名まで奪われているなど,絶対に知られてはならない。

「・・・そうか。悪かった。」

私の目を覗き込んでいた大般若は,静かに瞼を閉じる。瞼を開けてもう一度私を見ると,謝罪の言葉を述べた。私の言葉を信じていないのは明らかで,彼は所謂,大人の対応をしてくれたということだろう。背中に嫌な汗が流れる。大般若はそっと私の手を取り,他の美術品が置かれた場所へと誘った。そこにあったのは,白地に緋色の藤の花と鮮やかな緑の葉が描かれた壺だった。壺の底には,藤の花と同じ緋色の着色が施されている。

「これは,仁清作の色絵藤花茶壺という。均一の薄さで仕上げられた繊細な壺だ。美しいだろう?」

大般若は,私をガラスの仕切りの前に立たせて自分は背後に回った。顔を見られなくて済むと思うと,心底ホッとする。

「この茶壺は,あんたにはどう見えるかい?」

私は,この茶壺の感想を述べるのに躊躇を覚えた。なぜなら,白地に浮かぶ無数の緋色の藤が,大般若の瞳に見えてしまったからである。貴方の瞳のようですね。なんて,キザな台詞を言えるわけがない。私は長船派ではないのだ,恥ずかしすぎる。黙っていると,大般若の片腕が私の腰に回った。

「・・・なあ。あんたには,あの藤の花が俺の瞳に見えるんじゃないかい?」

耳元に唇が掠める近さで囁かれた。ギョっとして振り返ると,緋色が私を射貫いていた。あまりの近さに唇が触れ合いそうだ。藤の花よりもずっと鮮やかで強い緋色。また,奥の奧まで見透かされているような感覚に陥った。

「へへっ。合ってるかい?」

一転して,のんびりとした口調で問われる。気の抜けた私は思わず,合っている。と言ってしまった。何を馬鹿な事を。と大きく目を開けたのと同時に,大般若もその切れ長の目を大きく見開いた。すかさず目を逸らし,視線を目の前の茶壺に向けた。気を抜くと腰を抜かしそうなほど動揺していたので,仕切りに片手をつく。片腕を私の腰に回したままの大般若は,もう片方の手を仕切りについた私の手の上に乗せて指を絡めてきた。

「俺には・・あんたの裸に見える。細い口は首。あのまろい曲線は乳。きゅっと括れた底は腰だ。あの藤の花は,俺があんたの肌を吸った跡さ。」

大般若は腰に回していた腕を解き,自身の説明に合わせて私の首,胸,腰のラインに革手袋の手を滑らせた。私は思わず息を呑むと,彼はもう一度,腰に腕を回し体を密着させてきた。

「あんたは,悪い女だな。俺がどんなに口説いても靡く素振りも見せやしないのに,俺のことをしっかり口説きやがる。」
「しゃ,社交辞令でしょう?長船派は・・。それに,私は口説いてなんて,」
「おいおい。長船派を誤解してないかい?下らない女を口説く趣味は俺にはないんだがな。あんた嘘つきだ。じゃあ,何であんなに驚いた顔をした?」

言い返す言葉が見つからないが,決してやましい気持ちでいたわけではない。長船派のような振る舞いを躊躇しただけである。私の長船派に対する認識が間違えてる以上,最早言い訳に使えない。

「良い女だ,本当に。一目見た時から思ってた。見目も,意地でも孤独であろうとする所も,あんたの全てが美しい。
嫌になっちまったら,俺の所に堕ちてきな。待っててやるから。」

三日月との関係を全て飲み込んだ上での言葉なのだろう。人を惑わす神の甘言なのか,額面通りの口説き文句なのか,どちらかはわからない。大般若は私の心の深淵を覗いたのだろう。きっと,もう,とっくに。弱味につけ込めばいいものを深追いせず,最後の選択を私に委ねるところが憎らしい。
ふと三日月の顔が脳裏を過ぎる。何を考えているかわからないあの刀を。無性に悲しくなった。

(明け渡してはならない。)

心の中で何度も自分に言い聞かす。仕切りに突いた手の指先が力むと,絡められた黒がやんわりと諌めた。
大般若に顔を見られなくて本当に良かった。私の深淵を覗いた緋色に溺れてしまいそうな気がして,怖かったから。

惑溺を誘う緋色



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