「ヤッてないよね?三日月に脳天ブチ抜かれる・・って,あいつ関係ないし。」

なまえは,宿の傍にある川の土手を歩いている。完全なる茶の完成を目指した厳しい研究は,この日も朝から続いていた。鶯丸がまたどら焼きを所望したため,材料を調達するついでに散歩をしているのだ。
昨晩の衝撃的な告白の後も,鶯丸は深夜遅くまで研究に没頭した。隙あらば畑仕事をサボろうとする彼からは想像もできない熱心さ。研究で疲れ果てたなまえは,茶室で寝落ちした。目が覚めると同じ布団の中で,鶯丸がスヤスヤ寝ていたのである。起きるまで一切の記憶がない。

「茶の飲み過ぎでヤるわけないって!」

なまえは,土手の草むらに風呂敷を広げた。細長い木箱が落ちていたので,ハンカチをかけて枕代わりにして寝っ転がる。空が青い。何か大事な事を忘れている気がした。携行していた袋の中を見ると,本丸から持ち出した端末が入っているのに気付く。凄まじい数の着信が入っていた。慌てて本丸に連絡を入れる。

「主っ!!何故,連絡を下さらないのですか!!俺がどれほど心配したか!!あるじぃぃぃ!!!」
「ごめんっ!端末持ち出していたの忘れてた・・・」
「俺はもう折れてますよぉぉ!!皆も大変な状況です!大包平探索の進捗状況は!?」

自称折れてる長谷部の叫びで,なまえは漸く忘れていた大事な事を思い出した。しかし,ひたすら茶を飲んだ挙げ句,鶯丸と何故か同衾したなどと言えるわけがない。

「頑張っているんだけど,なかなか・・・」
「主か!?もう帰って来てくれ!!君には源氏の重宝がいるから良いだろう!?兄者が!兄者ガ−ッ!!俺の名前を覚えている!!」
「良かったじゃん。」
「良くないのだ!!君が遠征に出てから,兄者は折れると言ってずっと伏せっている!!おい兄者!教育はどうした!?兄者,生きてくれぇぇぇ!!主,胃が痛いぞ!俺が折れても君は良いのか!?」

なまえは,審神者である自分が遠征に出た場合に男士に悪影響が生じないか懸念していた。何度もこんのすけに確認し,問題ないとの回答を得ていたのに。すぐさまこんのすけに確認しようとしたが止める。2カ月ぶりの休みを貰って,伏見稲荷に遊びに行くと聞いていたからだ。社畜の礼儀として,休日に仕事の連絡を入れるなど御法度。今はただ,男士達を落ち着かせるしかない。

「主か,い?・・ケホッ,僕だよ・・」
「ひ,髭切!?どうしたの!?大丈夫!?」
「コホッ,早く僕の手入れを・・折れたら君に教育を・・施せない,君の乳で包んでおくれよ・・ケホッ,」
「ちょっと!わかったから!何でもするから!明日帰るから!ね!?」
「何でも?いいね,楽しみ・・だ,約束だよ,コホンッ」

なまえは,猛烈な罪悪感に襲われた。大切な刀達に異常が生じている最中,遠征の目的を忘れてひたすら完全なる茶を完成させる研究に没頭していたことを。これで大包平を入手出来なかったら皆に合わせる顔がない。

「・・きみ。驚きなんて,この世にあるのかい?こ,心が死にそうだ・・折れるぞ,ああ。きみの乳に・・」
「鶴丸!?何,どうしたの!?安心して!何でもするから!明日まで頑張ってよ!!」
「何でも?きみ,絶対に約束だ,ぞ。乳,吸わせてくれ・・」

あれだけ驚きを貪欲に追求する鶴丸が,驚きの存在を疑っているとは。鶴丸の自己否定とも言える魂の叫び。なまえは気が気でなかった。三日月にも異常が生じているかもしれない。

「主か?俺だ。」
「三日月!?ねえ,大丈夫なの!?心配で,」
「いやぁ困った。ずっと気が逸ってなぁ。思春期,」

どうでも良い奴に限って無事だった。なまえは端末の電源を切って袋に放り込むと,ゴロンと寝っ転がる。

「溶けろよ,鉄クズが!!あーー大包平,早く来いよ!!!」
「感じるようだな。俺の,真の力を」

突然聞こえた男の声になまえは驚いた。恐る恐る声がした方に首を向けると,燃える夕日のような赤髪の美丈夫と目が合う。

「き,綺麗・・・」
「!!!・・こそ,もっとも美しいと言う奴もいる」

自分と同じように刀を探索している審神者かもしれない。なまえは起き上がり男に挨拶をした。審神者の方ですか。と尋ねると,男は一拍置いた後にああ。と答えた。

「お前は・・天下五剣をどう思う?」
「鉄クズですよ。あ,すみません!うちの三日月に限った話です。」
「フッハッハハハ!」

赤髪の男は,なまえの返事に気を良くして笑い出した。なまえは,審神者に課された守秘義務に反しないよう内容をぼかして現状を伝える。赤髪の男は,特に追及することなく黙って話を聞いていた。ただ,彼は,天下五剣に対して相当複雑な感情を持っているようだ。もしかしたら,自分と同じように本丸にいる天下五剣に手を焼いているのかもしれない。

「実は・・私の初期刀は三日月なんです。しかし,天下五剣で最も美しいことを鼻にかけて贅沢三昧。性格は最悪で,仕事はサボるという鉄クズでして・・・」
「何!?初期刀が三日月だと!?随分と苦労しているのだな。世の中は皆間違っている!「天下五剣」がなんだ!お前もそう思わんか!?」
「勿論思いますとも!私の本丸では,天下五剣であるからといって優遇ことは一切ありません。序列で言ったら最下位ですよ!あの鉄クズ!!この前も私に無体を働いたので,藁人形を奴の部屋の柱に打ち付けてやりました!」
「お,お前・・・」

なまえと赤髪の男は,三日月の悪口で大いに盛り上がった。すると,そこへ鶯丸がやってきた。彼は目を細めて赤髪の男をじっと見ている。なまえは,自分がどら焼きの材料の買物中であったことを思い出し,慌てて立ち上がった。

「うちの鶯丸です。鶯丸,こちらは審神者の方だよ。」

鶯丸は目をぱちくりさせた後に,珍しく大笑いをし始めた。一方,赤髪の男は何とも言えない微妙な顔をしている。

「茶屋に行こう。俺達の道を脅かすらいばるがいないか索敵しなければ。審神者殿も如何かな?」
「索敵って・・・。折角ですから,お茶しませんか?私が奢りますので!」
「・・・宴か。よし。では俺も参加するとしよう。」


なまえ達は,近くにあった小綺麗な茶屋へ入った。なまえと赤髪の男は餡蜜を頼んだが,鶯丸は後でどら焼きを食べるからと煎茶だけを頼んだ。

「餡が髪に付くといけない。結ってやろう。」

鶯丸がなまえの髪に触れる。そして,たんぽぽの綿毛のような白い飾りを手首から外し,器用に髪を一纏めにした。

「えっ!?それって,ヘアゴムだったの!?」
「ごむ?・・ああ。安心しろ,俺はつけない派だ。君との本気のまぐあいに俺達を隔てる物など無粋だろう?」

本気のまぐあい。聞き覚えのあるワードに,三日月との情事がなまえの脳裏を掠めた。平安紳士とは,本気のまぐあいにゴムは無粋だと判断するらしい。安心できる要素などない無粋な奴らである。なまえ達のやりとりを見ていた赤髪の男が口を開いた。

「お前らは,その・・そういう関係なのか?」
「『身分を明かせない二人の愛の逃避行』。・・どうか察してくれ。」

赤髪の男は驚いた顔をした。審神者と刀の付喪神との恋愛なんて軽蔑されるだろう。と,なまえは顔を顰める。
なまえには友人がいない。四六時中働いている上,僅かな余暇はあるじを始め漫画を読みまくるという根っからのオタク。男性審神者などから言い寄られる事は多いが恋愛に発展しない。唯一交流があるのは,尊敬してやまない忠犬先生だけ。その正体は長谷部だ。女性審神者とは,苦情を突きつけられる位の交流のみ。彼女は気づいていないが,癖が強すぎる刀達が,男女関係なく誰も近づけさせまいと鉄壁の守りを固めていた。そんなわけで,審神者や刀の恋愛事情はおろか,余所の本丸事情についてはとんと疎かった。

「・・そうか。その,祝言は挙げたのか?」
「まだだ。獣道を共に歩むと互いの心は固まっているのだがな。」

鶯丸は,眉を寄せてふうっと悩ましげに溜息を付いた。目に掛かる長い前髪がさらりと揺れる。なまえは,色々と誤解を招く表現を訂正したかったが,頭に守秘義務がちらついたため沈黙を選んだ。鶯丸は,煎茶を口に含むとすぐさま茶器を置く。

「うっ,話にならんな。君の煎茶と味に天地の差があるぞ。」
「あれ・・旨味が出てないね。温度も蒸らしも駄目だってことだよ。」
「随分と仲睦まじいのだな。もう立派な夫婦ではないか!」

社畜根性が災いし,人前にもかかわらず茶の研究をやってしまった。なまえは,ますます顔を顰める。ちらりと鶯丸を見ると,彼はなまえを見つめて瞳を緩やかに細めた。チラリチラリと桜を散らせながら。

「出来が悪すぎる天下五剣がいる上,祝言も挙げられぬとは。本当に苦労しているのだな。しかし,お前らの仲を見て安心したぞ。この俺が祝福してやる!ーーーお前らに幸あれ!!」

端正な顔に笑みを浮かべる赤髪の男。なまえの良心に激痛が走る。しかも,ここに来て三日月の話を蒸し返されてしまった。奴と爛れた関係であることを彼に知られたら,心底軽蔑されるだろう。全くもって忌々しい刀である。

「どら焼きが食べたいな。不味い茶を飲んだから口直しが必要だ。行くぞ。」
「あ,おいっ!!!お前らっ!!」
「ちょ・・鶯丸!審神者さん,またどこかでお逢いしましょう!ではっ!」

すくりと立ち上がって店を出て行く鶯丸。なまえは支払いを済ませると追いかけて行った。一人取り残された赤髪の男が呟く。

「・・俺を放っておくなんて,どうかしているのではないか」

茶と大包平への道は1日にしてならずB



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