「ふむ,男がちょこを渡す・・・か。」
「南蛮では男が女に花や文を贈るのが一般的だそうです。近年になって漸く日本でも,逆ちょこや友人同士で贈り合う友ちょこというものが出来たとか。審神者様が教えて下さったのですよ!」
「人間のくせに現世に疎い主が?友人が一人もおらぬおたくのくせに,友ちょこを知ったところで虚しいだけだろうに。」

扇状に整った長い睫毛を伏せた三日月は,ワイングラスの縁をくるりと撫でた。千年以上讃えられてきた刀としての美と,この三日月宗近だけが持つ妖しい美。一等美しくて一等性格が悪い。そんななまえの三日月宗近は,酒屋内にあるバーで真っ昼間からワインを嗜んでいた。店長の高速槍と配達員の苦無と語るは,近く来るバレンタインについて。無類のイベント好きである三日月だが,逆チョコにはあまり乗り気でないようだ。

「審神者様はお元気で!?審神者の間ではいんふるえんざが大流行で,拙者が配達に行く先々の本丸が開店休業状態。飲む以外にやる事がない男士達から注文が殺到してぼろ儲けでござる!」
「生憎,俺を槍で刺そうとしたぐらい元気だ。くしゃみ一つで風邪ひいたかもしれないと大騒ぎしているが,あの長谷部でさえ相手にしておらん。社畜仲間に見捨てられた憐れな社畜というわけだ。」

主人であるはずのなまえを嫌みったらしく扱き下ろしまくる三日月。どうやら彼らは喧嘩中(正しくは,三日月がなまえに粛正されかけた)らしい。しかし,彼らの下らないやり取りさえもファンの脳内では美化されてしまう。情熱的な方々だと胸をときめかせながら,高速槍は三日月のグラスにワインを注いだ。

「審神者様がお元気で何より!とはいえ,審神者様を看病するという萌えいべんとはご経験済みでしょう?」
「いや,一度もない。不摂生な生活をしているくせに生命力は異常に強くてな。社畜は人間ではないのかもしれん。あんな奇天烈な女,うぃるすも近寄りたくなかろう。」
「社畜とは心技体全て揃った選ばれし者がなれるのではありませんか?それに,天下五剣の名物であらせる三日月先生のお世継ぎを産むという天啓を授かったお方が,うぃるすなぞに負けて如何するのです!?」

三日月ファンの間では,なまえは神の子を産む天啓を授かりし女というのが定説だ。なまえがこの場にいたら怒髪天を衝く勢いで怒鳴り散らすだろう。やる事はやっているが,好きだ愛してるだといった言葉が一度も交わされていない初歩の初歩で躓いているからだ。三日月は三日月で,苦々しい気持ちで高速槍の話に耳を傾けていた。いざ本気のまぐあいという時に登場するあの膜。付けない方が気持ち良いからではなく,ただ単に互いを隔てる存在が邪魔なのだ。それなのに付けねば無責任だと罵られる。男の純な情熱を理解しない無粋な女め,と心の中で超身勝手な悪態をついた。いずれにせよ,彼らは子作りなんて段階にはない。

「拙者も社畜の頃,毎日休みなしで男士を屠っても疲れ知らず。しかし,ある晩の帰り道,月の美しさに目を奪われて,“拙者・・何してるでござろう?”と思った瞬間に苦無いんふるに感染したでござる。」
「ほう。社畜は正気に戻ると病に罹るのか。しかし,月が嫉妬する程美しいこの俺を血眼で刺し殺そうとした無粋な女だ。お前の様に“もののあはれ”を感じる心を取り戻す日が来るとは思えんな。」

一々なまえを扱き下ろさないと気が済まないほど今日の彼らは揉めたようだ。優美な仕草でワインを口にした三日月は,手元に置かれた三日月型の皿に目を遣った。そこには彼の紋が入ったチョコレートが並んでいる。酒屋では,審神者の財布を破壊する目的で全刀剣男士をイメージしたチョコを販売するらしい。試食を頼まれた三日月は,一粒口に含むと目を見開いた。

「これは美味い。甘口・辛口・洋酒・和酒全ての酒と完璧なまりあーじゅが生まれるぞ。強さ・美しさ・賢さ全てを兼ね備える俺の様だ。うむ,俺の紋入りの価値はある。」
「っ,三日月先生!!そちらのれしぴを考案したのは審神者様でございます!!!」
「“三日月の様に完璧なチョコを作る”と!・・拙者,お二人のまりあーじゅを前に尊死寸前でござる!」

三日月をイメージしたチョコ作りの相談を受けたなまえは,何にでも合う無難なチョコが一番売れるだろうと高速槍らと試作を繰り返した。そして,試食をした三日月が“俺の様なちょこだ”と言ったら合格だとアドバイスしたのが真実だ。苦無の脳内で修正された歴史を告げられた彼を桜が包み込む。

「“完全無欠の三日月宗近は私だけのものよ”と自慢したい一心でちょこを・・・愛い奴め。お前達も大義であった。あやつの舌は肥えているから骨が折れたろう?超一流の物しか食わさぬ俺の食育の成果だ,許してやってくれ。」

ぺこり。三日月が高速槍と苦無に頭を下げた瞬間,彼らは椅子から飛び上がり地にひれ伏した。千年以上至宝として崇められてきた刀の神が,天啓を授かりし女のために頭を下げたのだ。互いを思いやる愛のマリアージュ。奇跡の尊さに,彼らは手を合わせ号泣した。

「三日月先生っ!逆ちょこを貰った事がない審神者様にちょこをお贈り下さいませっ!先生の手で新たな歴史の一頁を!!」
「拙者達がお手伝いするでござる!逆ちょこ生娘の審神者様に女子の悦びを!!」

相わかった。高速槍達の魂の叫びを聞き入れた三日月は,チョコをもう一粒含んだ。ほろ苦いチョコの中から程良い甘さの生チョコが蕩け出す。舌の上で溶けていくにつれ,なまえとの諍いでささくれ立った心が手入されていく。内番をサボった位で槍で突く度量の狭さが玉にキズだが,チョコに独占欲を忍ばせるいじらしい女。瞼を閉じて甘い独占欲を味わいながら,逆チョコ生娘を悦ばせる策を思案した。


「二人きりになりたいって言っている様なものじゃない・・・」

バレンタイン当日。なまえは三日月と出掛けるために支度を調えていた。手に握られているのは,数日前に彼から送られてきた文。バレンタインは外出するからめかし込めという内容なのだが,そこに付け加えられた“邪魔立て無用”。なまえはブツクサ文句を言いつつも,文を丁寧に折りたたんで文机に閉まった。バレンタインは,チョコをあげて夜は宴会というのが恒例行事。酒屋で発売された男士のイメージチョコは大好評らしく,その中でもなまえがレシピを考案した三日月チョコの売れ行きは凄まじいらしい。お礼にと全男士のチョコをただで貰ったためチョコ代は浮いたが,宴会用の酒を買い漁ってしまったためになまえの財布は重傷だ。

「紅を差すぞ」

ズカズカと部屋に上がり込んできた三日月は,手に持つ口紅に鏡台の引き出しから取りだした紅筆を滑らせた。冬らしいこっくりとした赤は,この日のために買ってくれたものらしい。彼の薄い唇が軽く開けられたのを合図になまえもそれに習う。唇を照らす二つの打ち除けと唇を滑る紅筆の冷たい感触のこそばゆさは,何度経験しても馴れそうにない。咥えさせられたティッシュをなまえが唇で挟むと,三日月の声が落ちてきた。

「俺の文をしかと読んだな?今日は万事滞りなく行いたい。ゆめゆめ忘れるなよ。」


なまえと三日月は料亭ですっぽん鍋をつついていた。今日は精を付けなければならないらしい。一瞬嫌な予感はしたが,任務続きでスタミナ切れ気味であるのは確か。栄養ドリンクをこよなく愛するなまえとしては有り難い。今日の三日月は,なまえから見て不気味な程に張り切っている様子だった。平安生まれらしくイベント好きではあるがどうも雰囲気が違う。二人で過ごすバレンタインを楽しみにしてたのかなと,文に書かれた言葉を思い出した途端,胸が高鳴った。だが,そんなはずないと思い直したなまえは,三日月が一方的に喋りまくる至極どうでも良い話に集中する。

「絵の新作発表の準備で忙しくてなあ。だから内番はぱすだ。」
「・・・・・」

和歌に茶,菓子に春画。なまえと異なり超アクティブな三日月は,人の身を大いに楽しんでいるように見えた。神意識が高すぎるエセ平安紳士の国宝様だが,そもそもは人の都合で人の身を与えられ,人に仕えて戦う事を強いられている。そんな刀剣男士の境遇を思うと,審神者としてなまえは安堵を覚えた。たとえそれが鉄クズであっても。

「三日月は・・人の姿になって良かった・・・?」
「無論。手足があれば俺の才をいかんなく発揮出来る。他の分野にも挑戦しなければならん。というわけで,内番はぱすだ。」


食事を済ませたなまえ達は人気のない小道を散歩していた。鼻先がつんとする寒空の下,なまえを唯一暖めてくれるのは,彼女が人の身を与えた三日月の手だった。絡め合う指に伝わる彼の温度。今の三日月宗近は美しい鋼ではなく,血の通った生身の美しい男なのだ。そんな三日月の顔を盗み見ると,彼の打ち除けが日の光に照らされ煌めいていた。

「なあ,なまえ。俺は人の身を得て嬉しいぞ。長い間,人に愛でられ大事にされてきたのも幸せなことだ。だが今は,こうして自由を謳歌することが出来る。そして何より・・男の体を手に入れた俺は,なまえの体を好きなだけ抱いて愛でて悦ばしてやることが出来る。」

小道の奧に行き着いたところで,三日月が絡めた指を引き寄せてなまえの体を胸におさめた。ちらりと横目で周囲を窺うと,強烈にその記憶が脳に刻み込まれた建物がなまえの目に入る。耳と頬,そして唇にも柔らかなキスが落ちて来た。顎を持ち上げられ視線を絡ませると,そこにはなまえの唇を彩った赤色でうっすら唇を染めた男がいた。この世の美しさ全てを集めて閉じ込めたなまえの三日月宗近。一等美しいその男は,一等甘く囁いた。

「今日も良き思い出を紡ごう。」

世界中の夜を連れ去っていくあなた@



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