*恋を自覚した大般若と山鳥毛が、審神者を仲良く共有する決意を固めるまでの話。いわゆるサンド。
 トリガーとなる謎の政府職員(男)が終始出張る。審神者との関係については終盤で明かされる。
 大般若も山鳥毛も、神様意識高めの仕上がり。
 霊力ネタ・潜入任務ネタなどn番煎じの宝庫。
 審神者に対しては優しくてエレガント、そして雄。余所の男達に対して敵意を剥き出しにしている時でも、審神者にはコロッと態度を変えちゃう。...というのが見たいだけ。


 
 



 
「邪魔するぜ、お刀様」
「あぁ、待っていたぞ。主は庭にいらっしゃる」

 その日は雲一つない晴天だった。本丸の玄関に現れた客人を長谷部が出迎える。髪、瞳、スーツ。ネクタイ、靴、時計、右目の泣きぼくろに至るまで漆黒。晴れやかな空の下、この男は異様だった。来訪を告げる口ぶりは実に慇懃無礼だが、長谷部は全く気にする様子はない。日本刀の付喪神がずらり居並ぶ中でも見劣りしない容姿。この本丸の主人であるなまえと同じく、浮き世離れした印象を与えるこの男は政府の職員だった。そうかい。それだけ言うと、煙草に火を付け、天に向かって紫煙を吐き出した。ジッポも煙草の巻紙も漆黒。黒い男が吐く煙だけは白く、高い天井にゆらゆらと昇っていく。ここでも、長谷部は何も言わなかった。

「連絡事項は確認した。本来なら俺が主のお側にいたいところだが…」
「あんたは駄目だ。この前の一件でクレーム付いただろう?生け捕りにしろとあれだけ言ったのに、嬲り殺しにしやがって」
「迷惑を掛けたのは悪かったとは思うが後悔はしてない。下郎の分際で主に気安く触れようとしたのだから死んで当然だ!ところで、今回の伴は誰にする?」
「ったく、反省してねぇのかよ。あぁ、その件だが…」

***

「ふう!一休み一休み。」
「そうだな、少し休憩しよう。」

 この日の畑当番は、内番に消極的な部類に入る大般若と山鳥毛だった。広大な畑の管理は確かに骨が折れる作業だ。畑の脇には、農具などを収納する納屋がある。納屋とは言っても、台所にトイレ、シャワーまで付いた一軒家のような建物。内番担当の男士が休憩するためのスペースでもあるのだ。草むしりもそこそこに、一杯やろうか。と談笑しながらそこへ向かう。すると、馬の世話をしていたはずのなまえの声が聞こえてきた。誰と話しているのだろうか。もともと、馬当番をサボった男士の代わりに馬の世話をしている彼女。サボった男士を見つけて説教しているのかもしれない。クスリと顔を見合わせた大般若と山鳥毛は、気配を消して納屋に近づいた。

「…内容は把握しました。次は10日後でしたっけ?」
「一週間後の夜だ。お前に早く会いたいと連絡が入ったそうだ。適当に理由を付けて伸ばしたが、これ以上は無理だ」

 なまえの会話の相手は、あの政府の男だった。大般若と山鳥毛が顕現した時から、すでにこの男は本丸を出入りしていた。この本丸に出入りする人は彼を置いて他にいない。あれは何者か?と古株の男士達に聞いても、主と組んで仕事をしている政府職員。という返事が返ってくるだけ。なまえに害をもたらす者ではないようなので様子を見ているが、得体の知れない男というのが二人の印象だった。
 なまえが長谷部や他の男士を連れて本丸を空けることは今まで何度もあった。それは決まって、この男が来訪した後。内容を明かされることはなかったが、この男と組んでの仕事だと理解していた。どうやら、今回も仕事が舞い込んで来たらしい。

「伴は長谷部でお願いします。前回の一件では…ご迷惑をお掛けしたと思っています。でも、皆に心配を掛けるので、限られた者にしか知られたくなくて…」
「駄目だ。最適なお刀様がいるから安心しろ。すでに長谷部とは話を付けてある」

 手元の書類に目を落としていたなまえが、えっ?と顔を上げた。盗み聞きしていた大般若と山鳥毛も驚いた。なまえ命のあの長谷部が、彼女の隣を易々と譲るはずがない。そんな彼を説き伏せた時点で、この男がタダ者ではないことは明白だ。

「でも今回は場所が…。こんな場所、誰に伴を?」
「大般若と山鳥毛だ。あのお刀様方は余計な詮索をするタイプじゃないし、お前がやると決めたら良い意味で突き離してくれる。それに、待てと言ったら待つぐらいの上品さがある。また嬲られたら困るぜ。お前んとこのお刀様は他の本丸に比べて気性が激しすぎる。長谷部以外に身に覚えはないとは言わせねぇぞ?」

 大般若と山鳥毛の名を聞いて固まるなまえを余所に、男は煙草を取り出して火を付ける。まさか自分達の名前が出るとは思っていなかった大般若と山鳥毛は顔を見合わせた。とりあえず、二人のやり取りを見ることにした。

「何と言っても色気があるじゃねぇか。お前も少しはやる気になるだろう?」
「…っ!冗談言ってる場合じゃないんですけど」
「...へぇ?ま、あのお刀様方はお前の前では物わかりの良い優しい男でいてくれるよ。男ってのはそういうもんだ」

 カラカラ笑う男の横で、なまえは一層顔を顰めた。日本刀の付喪神である山鳥毛が抱く感想として可笑しいが、なまえと男の浮き世離れした雰囲気は異質だった。男が吐き出す紫煙で隔絶された二人だけの世界。入り込めない感じにもどかしさを覚えた。

「…体調はどうだ?最近、本業もこっちの仕事も忙しい。足りてんのか?」
「ええ、まぁ何とか」
「何とかじゃ困るぞ。消費量が並大抵の量じゃねぇんだから。ほら…こっち見ろ」

 男は口に煙草を咥えたまま、なまえの顎を掬い上げて目を覗き込んだ。あと少しで唇が触れ合うような近さ。以前、小鳥と恋仲なのか?と男に尋ねたことがある。男はキョトンとした後、成る程なぁ。とニヤニヤするだけで回答は得られなかった。山鳥毛が見ている限り、なまえは至って事務的な対応に終始しているが、男の方はどうか。

「お前には悪いと思ってる。でも、俺にはお前しかいない、逆もまたしかりだってわかってんだろ?浅い仲じゃねぇんだ、見捨てないでくれよ」
「…もう」

 男士の前では慇懃無礼さを隠さず、一切の警戒を怠らない男が、柔らかい表情を見せた。おまけに、なまえを宥めるような、甘やかすような、許しを請うような媚びた声色。
―――小鳥に触れるな。ブワッと山鳥毛の胸にどす黒い煙が充満する。それと同時に、安い口説き文句で口説かれる主人を盗み見てしまった気まずさも感じる。チラッと隣を見ると、大般若は薄笑いを浮かべて二人を見つめていた。鮮血の様な生々しい紅をギラつかせながら。

「お前のアレ、お刀様にも効くと良いんだけどな」
「…っ、効くって…。男士を見ればわかるでしょう!?」
「お前がお刀様とデキてくれりゃ、コッチの心配をしなくて済む。俺にしてやれることには限度があるからな」

 あり得ない。なまえはピシャリと言い放つと男の手を振り払った。男に気を悪くする様子はなく、一度深く彼女の瞳を覗き込んだ後、煙草の煙を燻らせ始める。どういう事だ?山鳥毛は男の言動に違和感を持った。なまえに向けられる男の目がゆるやかに細まって、右目の泣きぼくろがやけに毒々しい。彼女の右目にもあるそれ。男の所有物である証のようで不愉快だった。
―――私を見ろ、小鳥。身勝手なのは十分承知だ。だが、なまえの目に自分以外の男が映るのが許せない。焦りを含んだ苛立ち、痛みを伴う喪失感が胸を巣食う。実にみっともない。山鳥毛は小さく息を吐いた。この男のせいで心に発露した感情の名を彼は知っている。

***

「一杯やるんだろ?…盗み見した分際で、俺だけが気付くよう殺意を向けるって良い趣味してるぜ」

 男はなまえを本丸に帰すと、大般若と山鳥毛が隠れている方をチラリと見て口を開く。見つかったか。大般若は態とらしく肩を竦めると、山鳥毛と一緒に男の前に現れた。大般若は冷蔵庫から日本酒の瓶を取り出して、お猪口を3つ盆に乗せる。ところが、俺は結構だ。苦笑いを浮かべた男が首を振った。この男にも勤務中という概念があったのかと面食らったが、そういえば煙草以外にものを口にしたところを見た記憶がない。

「話は聞いてたろ?あいつは政府の命でちょっとした仕事をしている。それでだ。一週間後、お刀様方には伴を頼みたい」
 
 先程までなまえが読んでいた資料が差し出された。戦況が日を追う毎に悪化しているせいで、自暴自棄になった審神者が歴史修正主義者に寝返るという事件が多発している。そのせいで、歴史修正が頻発し、より戦況が悪化する事態を招いているらしい。これ以上の損害発生を未然に防ぐため、隠密任務の命がなまえに下ったのだという。男の説明を聞きながら大般若と山鳥毛は資料を読むなり、眉間に皺を寄せて美貌を歪めた。これのどこがちょっとした仕事なんだい?つとめて冷静に言ったつもりだが、吐き出された音の低さに大般若自身も吃驚した。だが、政府の尻拭いでなまえがこんな真似させられるなんて冗談じゃ無い。

「いつもはもっとマシな場所だ。一週間後の夜、あいつは此処で言質を取るのが仕事だ。コイツ自身はまだ寝返ってないが、すでに寝返って行方をくらましたヤツと通じている。生け捕りにして政府で管理しないとならねぇ。傷を付けても良いが致命傷は止してくれ」
「ま、何とかしてみようか。と言いたいところだが無理だね。これじゃあ、あの人の身の保障がされていないも同然だ」
「小鳥に何かあってからでは遅い。何かが起きる前に首を飛ばすぞ」

 あんた達も気性が荒いなぁ。男はうんざりした顔で、また煙草に火を付けた。なまえの顎を掬い上げていた指が煙草を挟む。煙を吸う時,男の指が唇に触れた。なまえの肌に触れていた指が。みるみる増幅するどす黒い感情を何とか抑えるため、大般若は目を伏せた。

「無論、あいつの命が危ないと判断したら殺して良い。この前、対象者があいつの手を握ろうとしただけで長谷部が嬲り殺しにしてな。その始末が大変だったんだよ。場所が場所だ。多少の事は辛抱してくれ。“待て”が出来ねぇならこの話はナシだ。政府所属の男士を連れて行く」

 なまえの警護を主従関係にない政府所属の男士に譲る気など更々ない。大般若と山鳥毛は男に了承の意を伝える。男は大般若と山鳥毛が最初から従うと予想していたのか、特に表情を変えることはなかった。

「前から思っていたんだが、あんたは女の敵だな。他でどうしようが俺には関係ないが、あの人を惑わすのだけはやめてくれよ」
「...へぇ。流石は長船派のお刀様だな。だけど、被害を受けているのはいつも俺だぜ。それに、あいつをどうにかする事だけは絶対にねぇよ」
「……あの人、あんたと恋仲なんだろ?」
「…………昔の女、いや、死んだ女と言った方が正しいか」

 またはぐらかされた。大般若は以前にも同じ質問を男にしたことがある。その時は、へぇ、こんな事ってあるんだな。と何故か驚いた顔をされて終わった。付喪神相手にのらりくらりかわした男は、過ぎ去った思い出に耽るような表情で煙を吸っている。慇懃無礼な男には不似合いな甘ったるい香り。男がここへ来る度になまえの体に染みつく。今日もたっぷりあの体に染みこんでいることだろう。大般若が一番嫌いなこの香りを。
―――あんたにその香りは似合わない。この人の男が誘発する焦燥感、飢餓感、嫉妬。自分でも嫌になってしまう悪感情。本当にみっともないな。これらの感情の根源が何であるかを彼は知っている。
 お刀様方には聞いておきたいことがある。灰皿で火を消して男が顔を上げた。聞いておきたいと言っているくせに、その問いは非常に断定的なものだった。

「あんた達は......あいつのこと、抱けるよな?」

***
 
「花魁、今日はよろしく頼みますよ」
 
 任務遂行の夜がやって来た。ある見世の一室。遣手婆の手によって、なまえが花魁姿へと変貌を遂げていた。特徴的な抜き襟からは細く白い項と肩がさらけ出されている。帯を前で留め、金刺繍がたっぷり施された絢爛豪華な色打ち掛けを羽織ったなまえ。普段何もしなくても見目の良い彼女だが、頭の先から爪先まで着飾った姿も見事なまでに美しかった。遣手婆もその姿に鼻息を荒くする。
 なまえを茶化すように声を掛けた政府職員の男は、伴として来た大般若と山鳥毛に目をやった。二人とも彼女の色打ち掛けに目を留めたまま唖然としている。なまえはなまえで、政府の命とはいえ、いかがわしい場所に彼らを連れて来てしまった申し訳なさから、表情が曇りきっていた。男は吹き出しそうになるのを誤魔化すように、漆黒の電子タバコを口に咥える。今日は密室に籠もるため、いつもの煙草が吸えないのだ。
 
「大般若、山鳥毛。本当に今日はごめんね。もう、何と言ったらいいか...」
 
 皆に背を向けていたなまえが振り返って座り直した。色打ち掛けが衣擦れの音を立てて羽のように躍る。大般若と山鳥毛へ畳に手を突いて頭を下げる彼女の胸元は非常に頼りなく、厚みのある肉の山が覗いていた。男を誘う艶めかしい様が目に入ったがすぐに逸らし、山鳥毛は彼女の肩を抱いて引き寄せる。指のほんの僅かな先が剥き出しの肌に触れた。なまえは顔を伏せているが、大人しく山鳥毛の胸元に体を預ける。彼女の耳たぶに唇を押し当て、これ以上にない甘やかな声色で語り掛けた。

「何を言う。護衛の任を預かり光栄だ。...小鳥、必ず君を守る。私を信じて任務を遂行することに集中して欲しい」

 顔を上げたなまえの表情は強張っていたが、山鳥毛の柔らかい笑みを見て安心したのか少し緩んだ。男を欲情させることに特化した口紅の色。見つめていると体も意識も吸い寄せられそうになる。彼の脳裏には花を啄む鳥が思い浮かんで、鳥の気持ちが理解出来た。ぷっくり膨れた燃える火の色をした唇。―――小鳥、その色だけは君を飾るに相応しい。山鳥毛は心の中で囁いた。
 山鳥毛に抱かれたままのなまえは、ここへ来てから黙り込んだままの大般若の方へと目をやった。彼女の視線に気付いた大般若は、彼女と目線を合わせるため畳に膝を付ける。なまえを見つめる瞳は蜜の様にとろりと蕩けていた。だが彼女は気付かない。いつもはガラスみたいに透き通った緋色が火の色で蠢いていることを。

「随分と色っぽくなったもんだから驚いたよ。あんたの命は俺達が預かるから安心しな」

 畳に付いたままの手を握ると、白い指が大般若の黒に絡まった。緊張からか指先が冷えている。全身が白粉で塗られた中、大般若が良く知るなまえを留めた素の色をした指先。温もりを分け与えるようそこに唇を落とす。薄い唇に伝わるひんやりとした冷たさが酷く心地良くて堪らない。一段と艶やかな化粧が施された顔を覗き込めば、目に止まるはやはり山鳥毛と同じものだった。―――その紅だけは、あんたに似合って綺麗だよ。大般若は心の中で口説いた。

「いつも通り落とせ。俺達は隣の部屋でモニター越しに見てるぞ。どうにもならなくなったら畳を一発殴れ。おい…体調は大丈夫だろうな?」
「大丈夫です。任務達成は必ず」

 なまえの顔が一気に引き締まった。危険な隠密任務を政府に託されるぐらいだ、肝の据わり方は半端ではない。鼈甲の簪が何本も刺さった頭が一つ頷いたのを確認してから、男は大般若と山鳥毛と共に隣の部屋へ引き上げた。

「聞こえねぇよう細工してるから会話は通常通りで構わない。...っ、おい!言いたい事があるなら言えよ。殺気を出すのは止めてくれ、対象者に気付かれたらマズイ」

 おい猫被り、笑わせるのも大概にしろよ。男は苦笑いを浮かべながら電子タバコを吸った。大般若も山鳥毛も薄ら笑いを浮かべているものの、紅い目は男への敵意をギラつかせている。なまえの目が届かなくなった瞬間、猫被りと揶揄された二人は態度を豹変させた。狭い部屋は殺気に満ちて一触即発状態だ。

「何だい、あの色打ち掛け。俺達への当て付けかい?冗談じゃないよ。あの人、何でここまで男の趣味が悪いかねぇ」
「君はとんだ下郎だな。遊女の真似事をさせるは、私達に宛がおうとするは。いつも通り落とせだと?自分の女には何をしても許されると思っているのか?」
「……あいつの霊力が著しく低下する時があるのはわかってるだろう?」

 唐突な話題だが、モニターに顔を向けたままの男の口ぶりは真剣だ。審神者なる者は、日本刀の付喪神を刀剣男士として顕現させ、戦へ出陣させることをその職務とする。これらの職務を行う際に必要なもの、それが霊力だ。その量は人それぞれで、彼女に関しては申し分ないはず。ところが、度重なる出陣に政府からの隠密任務で、霊力の消費に供給が追いつかなくなる時があるらしい。今のところきちんと休養を取れば何とかなるらしいが、戦況が悪化の一途を辿るこのご時世だ。いざという時に、足りません。は許されない。

「それなりの対処法はある。一番多いのは審神者同士の交際や結婚だ。霊力を持つ人間とヤッて分けて貰えってことだな。だが、あいつにはこの方法が使えない」

 会話をしながらも皆の目はモニターから逸らされることはなかった。そのモニターに対象者が映った瞬間、狭い別室に緊張が走る。なまえ扮する花魁と遊ぶには、初会・裏と二度の顔見せを済ませなければならない。対象者から触れられることはおろか会話をすることもないため、大した情報を得られずに終わった。つまり、床入りを迎える今回、言質を取らなければならないのだ。床入りとはいえ、部屋に来て早々、事を始めるというのは野暮。なまえにすっかり首ったけの対象者に、彼女は酒を注ぎ始めた。
 暫く動きはねぇな。と呟くと、男は漆黒のジャケットを脱ぎ、緩めたベルトの隙間からワイシャツの裾を出してそのまま捲り上げて腰を晒した。何をする気だ。大般若と山鳥毛は急に服を脱ぎ出した男に顔を顰めたが、現れたものを見てニヤリと表情を一変させた。

「随分立派じゃないか。女だろう?」
「ご名答。あんた達みたいに手入が出来ねぇから困ったもんだぜ。この他にあと3つある。全部別の女にやられた」
「気の毒だと全く思えないのが不思議だよ。それが小鳥とどういった関係がある?」

 男が見せたのは痛々しい刃物による刺し傷だった。男はなまえと組む前、他の女性審神者と組んで同じように仕事をしていたらしい。ところがだ。組んだ女性審神者は必ず豹変し、最悪、刃傷沙汰に発展してしまうとか。話だけなら眉唾物と相手にしないが、実際に傷を見せられると納得せざるを得なかった。

「あんた、女難というわけか。どうせ身から出た錆だろう?」
「この傷は、あいつと政府施設で打ち合わせしてたところをブスリとやられたんだ。『私に見向きもしないのはこの女がいるからね!?』ってな。あんた達にはわからないかもしれねぇが、何もせずに異性を狂わしちまう性質の人間が確実にいるってことだ」
「…小鳥が、気の毒でならない…」

 山鳥毛は目頭を押さえたまま深い溜息をつく。考えてみれば心当たりはいくらでもあった。なまえに恋慕した男からの文や贈り物は可愛いもの。演練や万屋で執拗に迫られることも日常茶飯事。出刃包丁を持って待ち構えていた男も一人二人ではない。その度に、山鳥毛や大般若が率先してなまえに近づく男を始末してきた。彼女から粉を掛けての事なら自業自得。だが、いくら見目の良い女とはいえ、全く興味を持たれていないのに何故ここまで人の男は狂えるのか。と不思議で仕方なかったのだ。

「だから、ヤレって言ったところで出来るわけがねぇ。余計危険に晒されるだけだろう?そもそも、あいつは人の男に嫌気がさしてるからな」
「......?小鳥と恋仲、なんだろう?君は見たところ霊力があるようだ。それなら…」
「勘弁してくれ、いくら霊力があるからって俺には無理だよ。人の男が駄目ならお刀様。だからこうしてあんた達に聞いてるわけだ。今のところ、あんた達が適任らしい」
「恋仲なのに自分は抱けないから俺達に宛がうってことかい?そういう趣味が存在するっていうのは知識として知ってるが、人間様の考えることはさっぱりわからないねぇ」

 大般若の口ぶりはいつもと変わらないが、男に向ける眼差しは苛立ちと侮蔑だった。なまえの前では絶対に見せることのない顔。彼女が見たら驚くだろう。モニターを見つめたままだった男が大般若と山鳥毛に顔を向ける。そして、右目の泣きぼくろをトントンと叩きながら言った。
 
「―――あいつは双子の片割れだ。ガキの時に生き別れた妹だよ。昔の女ってのはそういう意味だ。まぁ、今はこうして会ってるけどな」

 驚愕の事実に大般若と山鳥毛は紅い目を丸くする。そんな彼らを見て、どうだ、胸がすっとしただろう?と男はニヤリと笑って皮肉った。不本意ながら図星だ。あれだけ嫌な感情に苛まれていたのに、なまえとこの男が恋仲ではないと知った瞬間、胸に巣食うどす黒い感情は霧散した。人の心とは、かくも都合良く出来ている。それが大般若と山鳥毛の率直な感想だった。

「人は穢れがない所では生きていけない。でもお刀様は穢れを嫌う付喪神だ。それが寝食を共にするってどういう意味だか分かるか?あいつは人でなしになるんだよ、審神者に就任した時から少しずつ。あんた達にとっては門出だろうが、俺にとっては葬式だ。あいつが審神者に就任した時に人の子だった妹は死んだ。死んだ女ってのはそういう意味さ」
 
 男が全身を漆黒で固める理由。それは、明けない喪に服し続けているからだった。男の話を聞いて山鳥毛は納得したことがある。それは、なまえに近づく男が皆、ここから出してやる、一緒に逃げよう。と彼女に言う理由だ。人でなしになっていくなまえを自分が助けてやりたいという庇護欲を掻き立てられていたのだろう。人の男という生き物は、己の分を弁えないにも程がある。山鳥毛は内心呆れ返った。

「霊力がなくなったら小鳥はどうなる?」
「俺はもう一度、あいつの葬式をやる羽目になる。…今まで色んな本丸を見てきたが、主と恋仲か?なんて嫉妬心剥き出しで聞いてきたお刀様は2口だけだ。正直、驚いたよ。お刀様に限ってあり得ないと思っていたからな」
 
 大般若は思わず笑ってしまった。この男のせいで自覚してしまった感情に戸惑ってきたが、2口しかいないと言われるといっそ開き直れるというものだ。あの人の子が喉から手が出る程欲しい、欲しくて堪らない。手に入るなら山鳥毛と分け合ったって構わなかった。

「無理強いはしないよ。お刀様は今後も増えていく。あんた達と同類を見つけたらそのお刀様に頼めば良いだけだ。その時は、あれの柄が変わるだろうな」
「…あんた、本当にいい性格してるよ」
「前で結ぶ帯に色打ち掛け。今のあいつは花嫁なんだよ。…幸せになってくれるなら、付喪神だろうが何口いようがどうだって良い。人の理なんて今更だ」 

 大般若と山鳥毛は目を見合わせた。言葉にせずとも、互いに考えて居ることは手に取るようにわかった。そろそろだぜ。男が指差すモニターに映し出されていたもの。それは対象者に手を握られたなまえの姿だった。今すぐ斬り捨ててやりたいところだが、それではなまえが任務を全う出来ない。大般若と山鳥毛は、いつでも抜けるよう刀に手を掛けて、モニターを凝視した。

***
 
「今夜は一段と美しい。早く会いたくて仕方なかった」
「…嬉しい」

 嬉しいはずがない。なまえは、ぎゅっと握られる手を今すぐ振りほどきたくて仕方なかった。今夜の伴が長谷部だったら、お前はもう死んでいる。と心の中で悪態をつく。大般若はこんな風に握ったりはしなかった。もっと優しくて柔らかくて。指先に触れたあの薄い唇の感触を思い出すと、体の奥が痺れて切ない溜息が勝手に漏れ出てしまう。

「…もう、良いだろう?暫く仕事で此処を離れる。だから…」
「そんなっ…。いつ行ってしまうの?」

 対象者がいつ裏切り者とコンタクトを取るのか。言質を取らねばならないのはこれだ。あと一歩。畳みかけようとしたその時。なまえが漏らした溜息に触発された対象者が、彼女の肩を掴んで抱き寄せた。肩に男の指が食い込んで痛い。山鳥毛はこんな風に抱き寄せたりはしなかった。羽が撫でるような慈しむような。耳に触れたあの唇の温度を思い出すと、脳の奧が熱くなって睫毛が震えてしまう。

(…何て、浅ましい)

 襖一つ隔てた向こうで、大般若と山鳥毛が此方を見ている。姿は見えないのに視線を全身に浴びているような錯覚に陥る。それは全て、なまえが大般若と山鳥毛に惹かれているせいだ。刀の付喪神、それも2口とも好きになってしまうなんて。複数の男に心を奪われるのは勿論初めてだ。自分はこんなにも浅ましい女だったのかと呆れてしまう。今夜の伴が彼らだと聞かされた時には戸惑ったが、これで良かったと今は思う。任務を片付けるついでに、浅ましい気持ちを捨てる絶好のチャンスだ。気合いを入れ直し、なまえは対象者の手を取って寝床へ誘った。

***

 襖一枚隔てた向こうの雰囲気は最悪だった。作戦内容を全部知った上で伴をすると了承した手前、大人しくはしている。だが、滲み出る殺気が狭い部屋を充満し尽くし、そろそろ限界値を超えるのは明らかだった。対象者が此処を離れるのがいつかをなまえが聞き出すのが先か、殺気が爆発するのが先か。そんな中、電子タバコを噴かしながら政府職員の男がボソリと呟いた。

「欲しいものが永遠に手に入るものとは限らない」
「…確かに」

 山鳥毛は口角を吊り上げた。この男のせいで自覚してしまった感情をみっともなく思ってきたが、この言葉ほどストンと落ちるものはなかった。あの人の子は星の瞬きだ。その瞬間に手に入れなければ、光は手を掠めて消えてしまう。手に入るなら大般若と分け合ったって構わない。

***

 遊女は体が資本。傷を付けてはいけないため、客といえど軽々しく触れて良いものではないらしい。なまえにとっては好都合だ。男を布団に寝転がしてその横に座った。勿体ぶった手付きで対象者の帯に手を掛ける。対象者は熱病に罹ったように声をあげた。

「…3日後。3日後に此処を離れる。暫く会えなくなるが、俺を忘れないでくれっ!」
 
 言質は取った。なまえが襖に一瞬だけ目をやった瞬間、彼女の視界がぐらりと空転する。興奮しきった対象者が彼女に覆い被さってきたのだ。着物を脱がす余裕すらないらしく、なまえの足を掴んで股を広げようとしてくる。彼女はきつく足を閉じて必死に抵抗した。
 
「…やっ!」
「頼む、捨てないでくれっ!俺がお前の間夫まぶだろう?なっ!?」

 間夫とは遊女の本命の男を指す。まだ一度も寝てないのに、捨てるだ間夫だとはどういうことだ。任務において大活躍するとはいえ、男が勝手に狂うというこの難儀な性質には悲しくなる。頭を過ぎるのは、惚れた付喪神達の顔だった。畳を一発殴ろうとしたその時。なまえの体にのしかかる重みが急速に奪われた。

「小鳥の間夫は刀でね。いや、夫と言った方が正しいかな」
「夫の紋2つ背負った女を抱こうなんざ、人の男とは随分と身の程知らずだ」

 山鳥毛と大般若の声。そう脳が認識してから飛び起きると、すでに事切れた対象者が仰向けで転がっていた。滔々と流れ出る桜の花びらが部屋を埋め尽くしていく。場違いに咲く桜を辿っていくと、畏れを抱くほど壮絶に美しい顔と向き合った。
ーーー綺麗だ、良く似合っている。
 うっとりと燃える紅を細めた彼らはこの日初めて、なまえの美しさを言葉に出して讃えた。彼女が色打ち掛けを羽織った自分の背を姿見で確認してみると。
 そこには、彼女が愛した付喪神の刀紋が2つ、咲いていた。 

お嫁入り



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