神と人の秘め事
「今日も大漁大漁!万屋でつまみも買ったし,今日は飲むぞ〜。」
「毎度の事だが,これ目当てで遠征に出てると知れたら,俺達折られるんじゃないかい?」
「アンタがいれば平気さ!アタシらだけなら真っ二つになってるけど。うひひひ!」
「そうだよ大般若さん!ボクの助言通り,万屋であるじさんへのお土産買ったんでしょ?それ渡して,“俺と一緒に乱れちゃお?”って言えば良いんだから!」
遠征帰りの日本号・大般若・次郎・乱の4口。口笛混じりの日本号が引く荷台には,酒瓶がびっしりと敷き詰められている。彼らは酒を調達する目的で遠征に出ているのだ。しかも,万屋でつまみを買うという道草付き。
「女ってのは贈り物に弱いんだろ?酒を飲ませりゃ主は股を開くぜ。酒は万能だ。正三位の俺が言うんだから間違いねえ!」
「ついにまぐわう日が来たんだねえ。よーし!祝杯だ!」
「どんな勝負下着に高まるの!?あるじさんから借りてくるから選んでよ!」
「おいおい,勘弁してくれよ。」
大般若は美麗な顔に苦笑いを浮かべると,手元に目線を落とした。その先にあるは,なまえのために買ったお土産。黒い箱にピンクのリボンが結ばれたそれ。先日,“これを読んで贈り物のやり方を勉強しろ”と乱から少女漫画を借りた。それを読んでなまえが喜ぶ物を選んだつもりだ。大般若は彼女の笑顔を思い浮かべながら本丸へ歩みを進めた。
「休息時間を返上して写経とはっ!負けてはおれん!主殿!拙僧に山籠りの許可を願いたい!」
「こつこつやらないと終わらないからさ。ていうか,終わるのかな・・・」
本丸に戻り酒瓶を隠した大般若達は,遠征成果を報告するためになまえの執務室へ向かった。漏れ聞こえてきたのはこの日近侍の山伏となまえの声。なまえは写経をやっているらしい。一体何を目的にやっているのか。彼らは聞き耳を立てた。
「主殿!拙僧に良い考えがある!大般若に教えを請うたらどうだ?逸話を持つあやつが適任である!」
「だだだ!大般若には!絶対だめっ!!」
「理解が深まれば筆も進む。苦行であるぞ,大般若経600巻の写経は!」
「山伏ィィィ!!!この事は絶対内緒にして!主命っ!」
マジか。日本号と次郎と乱は顔を見合わせた。なまえと大般若は互いへの恋心を拗らせている。彼女が大般若経の写経に挑んでいるのも拗らせの産物だ。600巻もある教典の写経への挑戦。流石の彼らもこれには引いた。
「恋する女ってのは奇天烈な行動を取るらしいぜ。引くなよ?主はあんたに惚れて,」
「これは効くなあ」
よろめいて柱にもたれ掛かった大般若は口元に手を当てた。桜を舞わせて照れる姿は美しい彫刻の様だ。それも束の間,頭を横に振って眉間に皺を寄せた。悲しげな表情もまた美しい。
「仕事に違いないさ。頑張り屋さんだからなあ。わかってはいるんだが・・な。」
仕事だとわかっているが期待してしまうと言いたいらしい。なまえを頑張り屋さんと評する男士は,大般若をおいて他にいない。正確に言うなら病的な社畜(極Lv99)だ。どうやら恋は偵察値を奪ってしまうようだ。ただでさえ太刀ワーストなのに。恋を拗らせた社畜のなまえの行動が,恋を拗らせた大般若を更に拗らせていく。まさに無限地獄。日本号・次郎・乱の3口が溜息をついた瞬間,執務室の障子が開いた。
「・・・春,であるな。」
姿を現した山伏が大般若を見るや,いきなりぶっ込んできた。修行と筋肉しか頭にないはずの彼が,あの長船派相手に。どうやら,彼は悟りの境地に達していたらしい。ニカッと眩しい笑顔を浮かべた山伏は,大般若の肩をポンポンと叩くと山籠りに出掛けた。
「お帰りなさい,ご苦労様。刀の点検するから手入部屋に来てね。」
執務室の中からなまえが出てきた。平静を装っているが,先程の山伏とのやり取りのせいで頬が赤い。社畜な上に過保護・潔癖・神経質と何十苦も抱えた彼女は,出陣だけでなく遠征の場合も点検を行うのだ。大袈裟だと思いつつも男士は皆,喜んで受け入れている。
「帰ってきたよ。おや,少し目を離した隙にまた女っぷりを上げたのかい?」
「冗談ばっかり・・・」
「頼むから,俺がいない間に美しくならないでくれ。あんたが美しくなる様は,全てこの目に焼き付けたいんでね。」
突然,ギアを“長船派モード”に切り替えた大般若。息を吐く様に口説き文句を紡いでいく。なまえの腰を引き寄せ,顎をくいっと持ち上げた。唇が触れ合いそうな至近距離で見つめ合う。そして,黒革のグローブに覆われた指が,絵筆を滑らせる様になまえの整った顔のパーツをなぞっていく。最後にぷっくりとした赤い唇に触れたところで,なまえの指が大般若の指に重ねられた。薄い口が“美しい”と動いたのを合図に指が絡み合う。この睦み合いに似たやり取りは,顔を合わる度に毎回行われるのだ。拗らせているくせに距離感だけは異常に近い。
「そら,土産だよ。俺の見立てだ。気に入ってくれると良いんだが。」
「・・・ありがとう。」
「さて,報告書を書いてくるかな。俺の点検は最後で頼むよ。」
緋色の瞳がすっと細まるとなまえが小さく息を飲む。最後にもう一度,彼女の唇に指を這わせてから彼は去った。その背中は長船派としての自信に満ち溢れている。生温い目で見届けた3口が口を開いた。
「何を貰ったか知らねえが良かったな。あとは酒飲んで股を開くだけだぜ。」
「今夜はまぐわいだ!こういうのはさぁ,酒の勢いでちょちょいっ!てね」
「勝負下着あるだけ出して!どれに高まるか,ボクが大般若さんに聞いてきてあげるよ!」
3口が好き勝手言う中,なまえは大般若からのお土産を胸に抱いて頬を赤らめた。恥じらいの中に垣間見える大人の女特有の艶のある色気。3口は美しい女だなと改めて思った。事実,本丸の内外で常に言い寄られている。社畜のくせに隅に置けないのだ。そんななまえは,頭を横に振って眉間に皺を寄せた。悲しげな表情もまた美しい。
「私が審神者だからだよ。大般若,銭六百貫だもん。わかってはいるんだけど・・ね。」
あの名刀が優しくしたり褒めるのは,自分が審神者だからとわかっているが期待してしまうと言いたいらしい。デジャブ。同じ光景を2度も見せられた3口は,本日何度目かの溜息をついた。
「外してくれるかい?」
大般若の声が仄暗い手入部屋の空気を震わす。背の高い彼が少し身を屈めると,なまえは彼の右目に嵌められたマスクに手を伸ばした。緋色の瞳はなまえから離れない。体の芯をじりっと焦がす視線を浴びながら,一つずつ丁寧に外していく。神を飾り立てる装備は,外す毎に神が持つ本来の美を解き放つ。なまえが恋した神様は何をどうしたって美しいのだ。
大般若が顕現した際,色気を存分に含んだ美しさに圧倒されたが一目惚れではない。神経をすり減らす日々を送る中,常にのんびりと構え,なまえの全てを受け入れ見守ってくれる柔らかな緋色に惹かれたのだ。関係が進展などするはずがない。ただ,穏やかな関係を保っていられれば良いと思っていたのに。大般若の温もりがそれを許してはくれなかった。最初は髪,次は手。なまえに触れる頻度や場所が日に日に増えていく。審神者を美術品の様に扱っているだけだと頭ではわかっている。それでも,彼を欲する気持ちを抑えきれずに今日も彼の温もりを受け入れる。
次々に装備を外していったなまえは両膝をついた。グローブで覆われた指が頭に触れる。それはまるで,神に忠誠を誓う儀式。下半身の装備を外すには,大般若の際どい所に触れなければならない。しかし,彼はなまえの頭を撫で身を任せるだけ。腕を回して腰に抱きつくと,彼の指がなまえの耳の輪郭をなぞる。漏れそうになる声を噛み殺し,腰周りの装備の留め具に手を掛けた。最後に腿の鎧を外して,スラックスに付いた鎧の跡に指を這わす。これが終わりの合図。大般若の指がなまえから離れた。
モーニングコートを脱いだ大般若は,壁に背を預けて床に座った。アスコットタイを解いてシャツのボタンを一つ二つと外しながら,点検を始めたなまえを見つめる。顕現した時,随分と見目の美しい女だと思ったが,それは美術品を愛でるのと同じ感情だった。しかし,なまえの人となりを知るにつれ,ある感情が生まれる。胸の奥がきゅっと締め付けられる感情。乱から借りた少女漫画を読んでそれが恋だと知る。どうするつもりもなかった大般若は静かに受け入れた。
装備の点検を済ませたなまえは,最後に刀を鞘から抜いた。大般若は人知れず熱い息を漏らす。なまえと触れ合うと,心も体も暴いて貪って支配してしまいたくなるのだ。本体に触れられてもそれは同じ。恋を自覚した大般若に生まれた新たな感情。触れ合う度に蠢くそれ。この感情の名を情欲と知るのはすぐだった。それ以来,人前で触れ合うのに飽き足らず,手入部屋で行われる点検にかこつけて,主人であるなまえを跪かせては触れ合うという背徳的な時を過ごしている。
「来な」
なまえが作業を終えると,グローブを外しながら大般若は決まってこう声を掛ける。普段の彼とは違う強い口調。そして,熱を帯びた緋色の瞳。不思議と体が彼へと吸い寄せられていく。大般若に促されて彼の片腿に跨がると,両腿をぐっと引き寄せられた。装束の裾が捲れ上がることなどお構い無しだ。
「あんたを抱く男は良い男かい?」
「・・・うん」
「おかしいな。あんたの瞳には,抱く女の美しさに見惚れた情けない顔の男が映っているんだが。違ったかい?」
唇こそ涼しげに弧を描いているが,なまえの心と体を焦がす緋色は酷く熱い。白い指が唇を何度もなぞる。直接感じる彼の体温が愛しい。なまえはたまらなくなって,腕を回した大般若の首に顔を埋める。すると,いつもは隠された剥き出しの肌に唇が触れた。
どろり。押し留めた情欲が溢れ出そうになる。大般若は,なまえを愛しくも憎らしくも思った。柔らかい肌に触れる事は出来ても,口付ける勇気は彼にはまだないのだから。首筋に与えられた熱に応えるために,なまえの体を抱き締める腕に力を込めた。