夜半に融解する


今夜も酒を酌み交わす大般若達は,日刊審神者新聞に目を通していた。彼らが熟読するのは,本丸対抗で行われたある大会に関する記事だった。乱が記事を読み上げる。

「『優勝した本丸の審神者と博多と長谷部は,金運カラーである金色の鉢巻きと耳にペンを挟む“社畜コス”で出場。審神者にいたっては,首から電卓をぶら下げるという拘りぶり。圧巻だったのは決勝戦。銭六百貫を現在の貨幣価値に換算するといくらか?という超難問に対し,この審神者は問題文が読み終わる前に正解を導き出したのだ。異次元の計算力で見事,経理王決定戦を制した。この本丸には万屋お買い物券が贈られる。』」

贅沢好きの男士を多数抱えるなまえの本丸。なまえ・博多・長谷部の社畜トリオは,経理に関する能力を競う経理王決定戦に万屋お買い物券目当てで出場し,実力の5億分の1も出さずに優勝を果たしたのだ。

「あれは普段の姿だってアタシが説明したのに,何だい社畜こすって!頭きた!明日,新聞社で暴れるよ!」
「偽社畜の件で突撃したら,お宅の社畜審神者を取り上げるなら事件面ですよって言われてな。主はお天道様の下を歩けねえ女って事だぞ!?そんな主が日の本一に・・!」

日本号は涙ぐみながら酒を一気に煽った。貰い泣きした乱も次郎も彼に続く。新聞に掲載されたなまえ達は当然すぎる優勝に無表情だったが,彼女は大般若が贈った電卓とピアスを身に付けていた。彼は愛おしそうにその姿を指でなぞる。

「『決勝での審神者について感想を求められると,“俺の財布を預けたくなる良い女だね。いや,付喪神辞めて財布になろうかな。”と優勝した本丸の大般若は語った。天下を取った審神者に捧げる天下一の口説き文句である。』・・これ書いた人,絶対に非もて男だよ。」
「アンタ,まだ“何々になりたい”を引き摺っていたのかい!?」
「参ったよ。新聞に載るとわかってたら上手い事を言ったのになぁ。」

酔っ払い達の説教が今夜も始まったが,大般若にとってはなんのその。先日,一緒に飲もうとなまえが特上の酒を買ってくれた。あの美しい女を独占して飲む酒はさぞ美味だろう。紅玉で飾られた耳たぶを撫でたら,またあの顔を拝めるに違いない。脳内をピンク一色に染めながら,お気に入りの胡瓜の浅漬を口に入れた。


「太刀放免,食べ過ぎ!これは大太刀放免の分でしょ!?」

月明かりが煌々と輝く夜の庭に響くなまえの怒鳴り声。庭の真ん中にある大きな池に何かが蒔かれた。池の中には立派な錦鯉が5匹,なまえに向かって口をパクパク開けている。そう,彼女はペットの錦鯉に餌をやっているのだ。雅を愛する男士達に強請られ買ったのだが結局,なまえが世話の一切を行っている。飼い主に似て夜行性の錦鯉に餌をやるのが,写経と並ぶ夜のルーティーンだ。

「薙刀放免,早く食べて!コラッ!太刀放免!図々しいところがじじい太刀にそっくり。」

なまえが叫んでいるのは錦鯉の名前だ。検非違使の名前を付ける独特のセンス。長風呂したせいで体が茹だる様に熱かったため,寝間着代わりの紅い襦袢1枚で冬の夜の庭に出てきてしまった。でも,火照りが覚めて気持ち良い。

「月は変わらないな」

付喪神と共同生活をして戦争に明け暮れる特異すぎる生活。だが,夜空に浮かぶ大きな月は現世で何度も見たものと同じ。普段は思い返そうともしない現世での思い出が脳裏を掠め,少し感傷的な気分になった。

「“莫對月明思往事 ”。月明かりを見て過去を懐かしんではいけないという白居易の詩さ。月から降りてきたばかりで,もう帰りたくなったのかい?かぐや姫さん。」

目元を覆われて月が暗闇に隠された。火照りが冷めた体に再び与えられる熱に息を呑む。恐る恐る振り返ったなまえは更に息を呑んだ。月明かりが反射してきらきらと光る銀髪。まるで真冬の月の様だ。夜風でさらさらと靡く度に光の粒が舞う。夜の闇に溶け込む黒い着物に身を包み,なまえを見つめる瞳をゆるりと細めた妖艶な男。この男を形容するなら畏怖だ。畏れを抱かせる美しさを備えた男をまじまじと見ていると,男は髪を手で束ねて見せた。

「こんな色男の顔を忘れたとは言わせないよ。ところであんた,随分と色っぽい格好だな。・・・男と逢引かい?」
「大般若!逢引!?私は錦鯉の餌やりに,あっ!顔見ないで!化粧ッ!」

大般若は僅かに目を鋭くさせたが,なまえから餌やりと聞くとまたゆるりとさせた。一方のなまえは風呂上がりですっぴんだった事を思い出し,慌てて背を向ける。美丈夫な神様達の目汚しになってはいけないと素顔を晒す事は極力避けていたのだ。ましてや大般若は意中の男。素顔を見せたのは初めてだった。

「こんな夜更けに薄着で素顔を晒して。あんたが餌になるぞ?」
「錦鯉は人間を食べないから大丈夫大丈夫!」

言いたい事が伝わってないらしい。溜息を付いた大般若は,脱いだ羽織でなまえの体を包むと彼女の頭に顎を乗せた。鼻孔を擽る髪の香りに腰の底がじんと燻り始める。人の男の体とは何て単純なのだと呆れるのと同時に,無防備が過ぎるこの女が少し恨めしい。なまえがこうして夜更けに餌やりをしていたとは知らなかった。彼女について知らない事がまだまだあるようだ。

「頭が大きいのが長柄槍放免で,髭が長いのが槍放免だろう?」
「凄い!当てたの大般若だけだよ!?嬉しいな〜」

大般若の審美眼は伊達じゃない。ぐるりと振り返って満面の笑みで彼を見上げるなまえの顔は,いつもより少し幼く見えた。上気した頬を撫でる大般若の手になまえの手が重なる。あっと声をあげた彼女が耳を疑う事を口走った。

「ごめん,冷えちゃったね。私の部屋のお風呂で暖まり直して?男士用のお風呂,この時間はお湯抜いちゃってるから。早く!」


大般若の体はすっかり暖まった。風呂場はなまえの部屋の一番奥にあるため,彼女がいる執務室に戻るには私室を通ることになる。現世から持ち込んだと思しき私物が見当たらない部屋には,男の存在を匂わせるものも一切ない。現世について何も語らないなまえだが,月を眺めて昔愛した男でも思い出したのだろうか。彼女は大人の女。過去を詮索するつもりは全くないが,あの体に己を埋めた男がいると思うと面白くない。自分は漸く,紅玉のピアスで埋めたばかりなのに。

「俺が錦鯉になったら,あんたを餌にくれるのかねぇ・・・」

風呂に入る前に通った時にはなかった畳に敷かれた布団。枕元には,“実録・鵺の生態”と書かれた本が置いてある。夜更けに部屋に招いて,風呂に入らせ,布団を敷いて。期待するなというのは無理だろう。数ある刀の一口としか思っていないくせに本当に悪い女。表紙に描かれた牙を剥く鵺を撫でた大般若は溜息をつくと,なまえが待つ執務室へと続く襖を開けた。

「あんたも入っておいで。その化粧,落としてきな。」
「え!?それは・・・」

大般若を風呂に放り込んだ後,なまえは薄く化粧を施したのだが,あっさり見破られたようだ。素顔なんか見て何が楽しいのだろうか。見上げた先には瞳を濃い紅に染める真顔の彼。つうっとピアスが付いた耳たぶを撫でられ,頼むよ。と甘い言葉が注ぎ込まれる。こんな事をされて意識するなというのは無理だろう。気なんかないくせに本当に狡い男。今度は,なまえが溜息をついた。


風呂から出たなまえは,つまみを作ろうと執務室に備えられた小さなキッチンに立っていた。湯上がりで頬が上気した素顔に満足した大般若が冷蔵庫を開けた瞬間,なまえが慌てて中身を隠すように立ちはだかった。

「あっ!やだ,恥ずかしい・・・」
「・・・あんたが食ってくれるなら,俺はこの干物になりたいよ。」

所狭しと並べられた栄養ドリンク各種に密封袋に入ったまむしの干物。端から見ればドン引きの冷蔵庫だが,大般若にとっては宝物庫。これに囓りついて自分を探してくれたのか。今度はまむしの干物になりたくなってしまった。

「この浅漬はどこで買ったんだい?俺の好物なんだが,次郎に聞いても教えてくれなくてな。」
「・・・それ・・私が作ったの・・・」

グロテスクな物が敷き詰められた冷蔵庫内で異彩を放つこんのすけ柄のタッパ。大般若がつまみに必ず食べている胡瓜の浅漬が入ったタッパと全く同じ。次郎にどこで買ったか聞いてもニヤニヤするばかりで教えてくれない。仕方なく万屋内の漬物屋を巡ったが,同じ味のものには出会えず仕舞いだった。どうやら次郎に一杯食わされたらしい。大般若の胃袋をも掴んでいたなまえは,襦袢と同じ色に顔を染めて彼が着せた羽織をきゅっと掴んでいる。羽織になりたいよ。口を突いて出そうになる言葉を飲み込んで,大般若はなまえの手をとった。


「次郎がお酒に合う漬物が食べたいって。それで試しに作ってみたら気に入ってくれたの。」

二人きりの飲み会は随分と酒が進んだ。勿論,つまみは胡瓜の浅漬だ。二人が醸し出す雰囲気のようなぬる燗は舌の上でふわりと消えていく。胡瓜の浅漬レシピについて身振り手振りで語るなまえを銀髪の美丈夫は、ドロドロに溶けた玉鋼の様に熱い瞳で見つめた。

「来な」

なまえをじっと見据えたまま,大般若は胡座をかく太腿を叩く。彼の口からこの言葉が出た時に彼女がすべき事はただ一つ。なまえの饒舌だった口は閉じられ,二人の間に初めての静寂が訪れた。膝をついて遠慮がちに片腿に跨がって座ると,腿の上を滑る様に引き寄せられる。

「・・・んっ」
「・・・っ,」

腿の上に感じるなまえの柔らかい秘められた肉とその肉を擦り上げる硬質な筋肉。手入部屋の時とは異なり生地の薄い着物に身を包んでいる彼らにとって,その生々しい感触に否が応にも情欲が湧き上がる。酒が急に回り始めて熱が一気に集まった顔を見られたくなくて,なまえは大般若の肩口に顔を埋めた。髪から覗かせる真っ赤な耳。大般若は柔らかな肉に埋め込まれた紅玉に触れた。

「今夜は俺が外そう。」

眠る前に外されるピアスを大般若が外すのは勿論初めてだ。耳の輪郭をなぞられた瞬間,初めて耳を貫いた時の出来事を鮮明に思い出してしまい,なまえは身を固くした。彼の腿を挟む内股に力を込めると余計に密着してしまう。大般若は欲が滲む瞳を細め,耳に触れていた指で腰から上へと背骨を撫で上げた。

「だいはっ・・んにゃ,」
「締め付けられるなら他の場所がいいなぁ」
「何言って,ん」
「力を抜きな。怪我するといけない。」

左腕を回してなまえの頭を抱え込むと,左耳を飾るピアスのキャッチを外した。右手で柔い肉を貫く軸をゆっくり抜いていく。すると,またしてもあの感覚がなまえの体を襲った。右耳のを外されている時も同様に。体を繋げて抜き差しを繰り返している時のあの感覚。自分で付け外しをしている時には決して感じないのにどうして。

「大般若・・みみ,へんっ」
「あんたの良い顔,俺以外も見たかと思うと妬けてくるよ。」

体を充満する感覚に身を震わせるなまえを血を閉じ込めた様に紅い瞳が静かに見下ろす。一切の笑みを消し去った美貌からは底知れぬ神の畏れを人の子である彼女に感じさせた。どうして?と問おうにも,喉元を撫でられた瞬間,舌がもつれて言葉が出なくなってしまう。

「あんたが眠るまで傍にいるよ。」

え?と,なまえが声を漏らしたのに対し,大般若は口元だけ笑みの形を作ってみせた。有無を言わさぬ空気を作り,彼は自分が着せた闇色の羽織を脱がしていく。なまえの姿はまるで蛹から孵化する蝶の様だった。


洗面台に並ぶ2本の歯ブラシ。大般若もちゃっかり寝支度を済ませたのだ。先程まではなかった男の影。それが他ならぬ自分であることに彼の心は少しだけ満たされた。

「早く入りな。体が冷えるといけない。」

男女が布団ですることなんて一つ。彼にそんな気はない事は重々承知だが相手は好きな男。どうしても期待してしまう。なまえが布団の横で棒立ちしていると,大般若は捲った布団を軽く叩いた後,鵺の専門書に目を落とした。拷問だ。散々気を持たせることをされて極めつけに寝るまで傍にいられるなんて。なまえは恥ずかしいやら惨めやらで泣きそうになった。情けない顔を隠すために掛け布団を被ろうとしたその時,何と大般若も布団の中に入ってきたのだ。

「何っ!?あの,もう眠れるから・・・」
「もう足が冷えてるじゃないか。そら,俺の足に絡ませな。」

冗談じゃない。布団から飛び出す前に,なまえの足は長い足で絡め取られ,腰は強く引き寄せられてしまった。大般若の足の指がふくらはぎを撫で上げた瞬間,なまえは反射的に胸を彼の硬い胸板に押しつけるよう抱きついた。

「いたずら,やめてっ」
「だったら大人しく寝ることだ」

先程までの威圧感は鳴りを潜め,大般若は穏やかな緋色に戻った瞳を細めている。麝香撫子の甘い香りがする胸の中,大きな手でトントンと優しく背中を叩かれているうちに,なまえの意識は夢の淵へと誘われていった。


「・・・男殺しもいいところだな。」

寝付きが良いとは聞いていたが,恋仲でもない男と同衾してすんなり眠るとは思ってもみなかった。なまえの寝顔を見つめる脳裏に浮かんだのは期待と欲が浮かんだあの目。押し倒して脱がせて肌を舐めて吸って,あの秘められた柔い肉に己を埋め込んでやろうという暴力的な衝動に駆られた。とっさに目を逸らしてすんでの所で堪えたが,目が合ったのが威嚇する鵺のイラストでなければ本当に不味かったかもしれない。

「俺は何になれば,あんたと離れずに済むのかねぇ」

限りある命を燃やす人の子と離れたくないだなんて,叶うはずない望みだと頭ではわかっている。随分と女々しい男だなと自嘲の笑いを浮かべた顔は,切なげでもの悲しい。足を絡め合って眠るなまえに問いかける日は来ないだろう。真面目な彼女の事だ,可哀相な鋼だと憐れんで体を開いてしまうかもしれない。そんな憐れみだけはご免だ。なまえに聞き届けられることのない大般若の本心は虚空の中へ溶けていった。