「水砲戦・・思い返しただけで折れそうだ。」

青い空に光る海。ジェットスキーにサーフィン。白く輝く浜辺では,ビーチフラッグを高く掲げた大包平が雄叫びをあげていた。浜辺から少し歩いた所にそびえる白亜の建物。そこのテラスには,玉座を彷彿とさせるチェアに腰掛け,上品な蒼い浴衣に身を包んだ男がいた。長い足をフットマンに乗せて優雅に寛いでいるように見えるが,その端正な顔は曇りきっていた。

「俺の心は嵐で荒れ狂う海だ。光が差す日は永久に来ない。」
「三日月先生・・・」
「連隊戦が海辺で行われると知った俺は出陣をぱすした。衛生管理されていない潮水や砂に触れたら折れるからな。それなのにだ。あの青二才,自分も潔癖症で海が大嫌いな事を棚に上げて俺に出陣を命じてきたわけだ。」

主である審神者を青二才と罵る三日月先生と呼ばれた男。そう,時の政府史上最悪のバグと悪名高い三日月宗近である。トレードマークの黄緑色のベレー帽を麦わら帽子に変えた苦無は,ロンタル椰子で編まれたうちわで風を送りながら言葉の続きを待った。

「ぱわはらだ。本丸に戻ったら弁護士をつけてお前を訴えると言ってやった。そうしたら青二才は何て言ったと思う?『あっそ。次は法廷で会いましょう』だ。」
「何と」

足袋に砂が付くだけでキレる潔癖症の三日月は出陣を拒否したにもかかわらず,同じく潔癖症の審神者から出陣を命じられた。揉めに揉め,訴訟問題に発展したらしい。実に下らない話である。だが,うちわを持つ苦無の頬はピンク色に変色した。脳内では,“海という死地が引き裂く神と人の愛”と歴史修正されているのだろう。犬も食わぬ喧嘩も,ファンにとっては墓入り確定の燃料投下に他ならない。

「天晴れな胆力。流石は審神者様でございますな。三日月先生の御子を産む天啓,これ即ちこの世の嫉妬を一身に背負うこと。胆力なくしてお務めは果たせますまい。」
「人類一無礼なだけだ。俺を打った三条宗近も草葉の陰で泣いているだろう。最高傑作がぱわはら被害を受けているのだからな。」

審判者を褒め讃える高速槍は,“Luxury Hotel of JikanSakkougun”と書かれた金プレートが胸に付いたアロハシャツに身を包んでいた。ちなみに柄はボスマスマークだ。ここは,高速槍達が海辺の陣に合わせてオープンさせた超高級リゾートホテル。政府公認の保養施設でもある。万年金欠の本丸だが何とか遣り繰りして,出陣がてら1泊してこいと審神者は皆を送り出したのだ。しかも,三日月が泊まるとあって貸し切り。皆が大喜びでビーチ遊びに興じる中,彼は温泉で身を清めることに専念した。

「見ろじじい!刀剣の美の結晶が魚を仕留めたぞ!お前には真似出来まい!フッハッハハハ!!」
「・・鬱陶しい。お前をどろっぷさせて習合するぞ。」

魚を銛で突いた大包平が浜辺で絶叫している。海を大満喫しているようだ。砂や潮水まみれではしゃぐ同僚達に侮蔑の眼差しを向ける三日月の機嫌は,海の底を漂っていた。

「さぁさぁ。湯浴みで乾いた喉をこちらで潤して下さい。一口含めば,この空より輝くご気分になることでしょう。」
「この美しき瞳が映す物全て鉛色。二度と春画は描けまい。画狂老人三日月宗近を引退せねばならんな。」

高速槍はハイビスカスが飾られたグラスを三日月に差し出す。注がれた白い液体を彼は暫く見つめた後,恨み辛みしか吐かぬ口を付けた。

「これは・・門外不出のれしぴで作られたかるぴすさわー。僅かにだが塩が入っている。」
「流石は三日月先生!ご名答でござる!」

待ってましたとばかりに苦無が金枠の額入れを三日月に捧げた。そこには,“カルピスサワーレシピ(改)”と銘打ったイラスト画が収まっている。審神者の手描きだ。彼の拘りはカルピスサワーも例外ではない。しかも今年はレシピを改良したばかり。イラストに目を通す中,ある書き込みを見つける。青い海より煌めく瞳がきゅっと細まった。

「“注1:汗をかいた後に飲む場合はごく少量の天然塩を入れる。注2:食事が塩分多めの場合は注1を適用しない”。じじいに高血圧は大敵だからな,主・・・」

どうやらこの注意書きは審神者が独断で記入したらしい。思わぬ審神者の配慮に気を良くした三日月は,審判者を青二才から主へ昇格させた。

「しゃんぷーも審判者様が三日月先生専用の品を指定して下さったでござる!」
「あれは主行きつけの美容院でのみ売られている品でな。俺と主はあれしか使わんのだ。そうか,主が用意させたのか。」
「はわわ・・三日月先生の御心にあらせる天の岩戸を審神者様がお開きになったでござる!」

唇に笑みを湛え,白く長い指で艶やかな蒼い絹糸を梳く姿は後光が差し,辺り一面に神々しい光を放った。ちらりちらりと舞う桃色が,鉛色だった三日月の世界が色づいた事を告げる。

「文を送ろう。流れ落ちる玉の涙を止めてやらねば。」


「薄い本を読んだところで,貴方の三日月はあのままですよ。」
「うっ」
「2分50秒経過!休憩時間が大幅に超過しています。訴訟を起こされたら受けて立つのでしょう?連隊戦も訴訟も先立つ物は金。完璧な小判遠征の計画を立てるまで寝かせませんよ!?」

長谷部がドヤすと審神者は手元の薄い本に目を落とした。女審神者と三日月宗近が日本全国の銘菓を食べるという全年齢向けの本。優しさに満ちた表情で饅頭を食べるこの本丸の三日月とは対極の姿が描かれていた。長谷部が顕現したての頃,毎日せっせと三日月に手作り菓子を食べさせていた審神者の姿が脳裏に甦る。貴方はあの頃に戻りたいのですか。長谷部は口をついて出そうになる言葉を噛み殺し,彼女の額に巻かれた鉢巻きの"Ineed 虹色夜光貝”という文字を撫でた。

「同志ッ!貴方こそ休憩時間が8分42秒経過!!原稿落としたら稲荷寿司の具にしますよ!?はぐー!」

“締切死守”と描かれた三角巾を頭に巻いたこんのすけが執務室に突入してきた。長谷部に飛びかかると,“主命と原稿の両立”という鉢巻きの文字を肉球で殴りつけた。鉢巻きや三角巾は社畜にとって必須アイテムらしい。

「原稿って?」
「い!あっ!み,三日月様から文が届いております!」
「げっ!もう訴状が来たの!?」

挙動不審のこんのすけから受け取った物を見るや審神者は顔をしかめた。ハイビスカスが差し込まれた結び文。どう見ても恋文だ。口喧嘩をし始めた長谷部達に見えないようそっと開く。
ーーー海を眺める俺は人魚の伝説に思いを馳せている。俺を恋しく想って流すお前の涙も,波に弾けて真珠となるのだろうか。

「ならねーよ,鉄クズが!!」

和歌を訳した審神者は怒鳴り声をあげた。あれだけパワハラだ慰謝料だとキレていたくせに,結局は呑気に和歌を詠んでいたとは。審神者は筆を持ち,力任せに書き殴る。ボタリと墨が滲み,筆圧で紙が破れたがお構いなし。墨が乾かぬ紙を折りたたむと,文机の引き出しから釘と金槌を取り出した。

「公武合体遠征24時間の刑に処すッッ!!」


「審神者様から贈り物が届きました!!」

高速槍が白い布にくるまれた物を頭より高く掲げて恭しく運んだ先には,パンケーキに舌鼓を打つ三日月がいた。審判者が小判遠征の最善策を不眠不休で立てているというのに良いご身分である。白い布を剥がした三日月をうっとりと息を吐いた。

「・・これは俺と美姫の情熱の証。情熱の滾りを絵図にしようと何度も試みたが,未だ表現出来ずにいる。」

息を飲む高速槍達の視線の先にあったのは,左胸にどす黒い墨が滲む手紙が五寸釘で打ち付けられた藁人形。三日月が連れ込み茶屋で審神者に無体を働いた日以来,二度目。今回は顔や戦闘服まで描かれている拘りよう。藁人形作りスキルを無駄に上げた審神者は美姫の称号を得てしまった。

「破れてしまった所は読めんな。ん?・・“合体の務めを果たせ”,か。乾かぬ墨は気が逸った女の印。そして五寸釘は」
「「ひぃっ!」」

三日月の春画の如き神と人が紡ぐ淫靡な世界。尊死不可避の燃料投下に高速槍と苦無は歓喜の声をあげた。墨が乾かぬうちに五寸釘を打ち付けた結果,肝心要の“公武”が破れてしまったのだ。急いては事をし損じるの典型例だろう。

「人類が文字を発明して数千年!かつてこれ程までに情熱的な文を書く女子がいたでしょうか!?」
「笠郎女,額田王,和泉式部に与謝野晶子。この国には情熱的な歌を詠む者はいたが,我が美姫の右に出る者はおらんな。」
「人間にとって愛とは,決して解けぬ呪い。美しくも残酷な執着でござる!この藁人形は“永遠に貴方を愛する”という審神者様の呪い!拙者,尊死・・」

苦無の言葉に,三日月の瞳に浮かぶ打ち除けがぐらりと揺れた。しかし,瞼に閉じ込められ再び姿を現した時には,いつもの静謐さを取り戻していた。

「今日という晴れの日を記念して俺も何か贈らねば。そうだ・・虹色夜光貝を使って帯留を作ろう。中身はあやつらに食わせてやれ。夜光貝は美味いらしいからな。」
「あ,あれは,経験値を稼げとの命令で配布されし特別合戦場の通行手形でございますぞ!?成る程!愛の為ならば無能な時の政府に背くことは厭わぬと!」
「あんな下々の者に慈悲をおかけになるなんて!慈悲の無駄遣いでござる〜」

時の政府や三日月以外の男士には苛烈な高速槍と苦無。騒ぎながら宴の準備に取りかかった彼らの横で,三日月は藁人形を見つめていた。全ての感情をない交ぜにして煮詰めた様な,宇宙の果てより暗い瞳で。慈悲なんて生易しいものなど持ち合わせていない付喪神は,己の左胸に手を置くと一言一言噛み締める様に言葉を紡いだ。

「・・愛とは決して解けぬ呪い。美しくも残酷な執着,か・・・」

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