よしなしごと

▽2020/05/11(Mon)
あの子の標本
「わあー主さん!」
焦ったような声が庭に響いた。
「ハチ!でっかいのがこっち来る!」
乱の悲鳴に顔を上げた薬研は「ありゃクマバチだぜ」と呟く。
「体はでかいかもしれないが、あいつは刺さねえ」
「そうなの?」
あんなにブンブン言ってるのに?と彼は訝しげな視線を藤棚に向けた。
大きな羽音を立てながら、忙しそうに花に身を隠す彼らのそばで歌仙はため息をつく。
「花を愛でるのは好きだが、土いじりはあまり雅ではないね」
「そう・・・?僕は、きらいじゃないけど」
もくもくと新しい花苗を植えてゆく小夜の背中を眺めていた彼は、ようやく諦めがついたのか隣にしゃがみこむ。
「僕が穴を掘るから、小夜は植えていってくれ」
「でも、さっき」
「綺麗になった花壇を眺めながら飲むお茶はきっと雅だろうさ」
穏やかに笑う彼を見て小夜はなにか言いかけたものの、どんどん空けられていく穴へ苗を植えることに専念することにしたらしい。
「あ、見て。ちょうちょ」
白い羽ばたきの行方を目で追っていた安定は、やがてその休み場が麦わら帽子の頂上になったのを見て息を飲む。
「すごい。清光の頭にとまったよ」
「えー、微妙なんだけど」
なんで?と尋ねた彼に「だって虫じゃん」と清光は答える。
「可愛いもの好きなお前がそんなこと言うのなんか意外」
「そう?ねえ、なんで人間はわざわざ標本なんてもの作るんだろう」
ふいに頭を上げたことに驚いたのか、蝶はどこかへ飛び去ってしまった。
それを眺めながら「行っちゃった」と安定は呟く。
「でもそれ分かる。生きてるからあんなにきれいなのにね」
刀に美しさだけを求める萬集家のようだ、と彼は思った。
その時、ふいに隣にいた三日月が呟く。
「人の心とはおそろしいものだな」
「あ、標本のこと?分かる」
「きっとやりきれないよね、蝶はさ」
立ち上がった三日月は、庭を飛びまわる蝶の姿を見つめながら考える。
本当に欲しいのなら生きながら閉じ込めてしまえば良いのに、と。


category:刀剣
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